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「あの頃、文芸坐で」【66】長崎俊一監督オールナイト。自主映画が、不思議なパワーを放っていた時

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文芸坐.001

すごい、久しぶりに書くことになるこの連作。コロナ禍もあり、なんか色々気が進まず、今に至る。まあ、何があっても映画は好きなわけで、映画館には通っていたりする。そして、行くたびに思うのは、今の映画館の優雅な感じが、ある意味不自然で無機質にも感じる。それに伴い、上映される作品もお上品という事なのかもしれない。この間、昔の雰囲気の残る池袋シネマロサで「ベイビーわるきゅーれ」をみた時に、少し、昔の映画熱に近いものを覚えたりもした。そう、観る環境は映画にとってはとても大事なことだ。だから、40年前の文芸坐において映画に対峙した記憶はとても大切なものだったりもする。私のどこかにそんな古臭い映画感みたいなものがある。

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そして、今日は、1982年2月20日の長崎俊一オールナイトに関して書くのだが、その前に描いておきたいことがある。私はその週の2月17日に、丸の内東映パラスにおいて行われた「キネ旬ベストテン」の表彰式に行っている。私は、この前年「キネ旬東京友の会」に入り、そこで出席されていた編集者の方に、表彰式のルポをやらないかと言われ、何も考えずに、大学生の身でお引き受けした。大体、何も考えずに、ただ、それなりに文章は書けるだろうという感じで引き受けた。そして、東映会館の上で、受賞された、倍賞千恵子さんや永島敏行さん、加賀まりこさんたちと一緒の部屋でコメントを取れと言われたが、なかなか難しく、その場で読者賞の小林久三さんに捕まって、映画談義をした記憶がある。でも、その時の、加賀まりこさんの美しさは今も覚えている。この時の受賞は「泥の河」によるものだが、あの、白黒世界の淫靡な加賀さんではなく、すごい華やかな彼女だった。

そして、楽屋に移る前に、編集者の方に地下のバーに連れて行かれて、「駅」で脚本賞の倉本聰氏と降旗康男監督とお話しさせていただいたのも、若気の至りでの思い出。席につくなり、「バーボンでいい?」と言われ、ご馳走になる。話した内容は全く覚えていない私。ただ、大きな二人に驚いたという感じだった。二人とも、とても優しい方だったというのは覚えている。そして、今になってもこの日の思い出は強烈で忘れる事はない。このルポは、ちゃんと後日、キネ旬に記載されました。ほとんど、直しなしに使っていただき、今でもありがたい事だと思っております。

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無駄話はこれくらいで、いつものプログラム。まずは、コラムは、この日観た、長崎俊一監督のオールナイトについて、新作を伴っての自主映画総ざらい。まあ、これからメジャーに挑戦ということもあり、期待の監督だったのですよ。

プログラムは、文芸坐は「アメリカン・ニューシネマ特集」から、ポール・ニューマンとアル・パチーノの二本立て。こういうスター二本立てはよくありましたね。そして、「天井桟敷の人々」と「ネオファンタジア」の二本立て、なんか懐かしい。文芸地下は、ロマンポルノ、エロ時代劇、名作、そして角川映画というラインナップ。今の日本映画からしたら、かなりバラエティな感じはしますが、日本映画は、混沌状態にあったというのが本当のところなのでしょうね。そして、オールナイト「日本映画監督事典」は、長崎俊一監督の後に、野口博志監督、野村芳太郎監督と続いていますが、こちらも日本映画というマーケットの混沌とした感じ。それでも映画館が商売になった時代がすごいのですけど、ビデオレンタルなどまだまだなかった時代ですものね…。そして、ル・ピリエは映画上映とコンサート。これを見ると、こういうなんでもやるようなスペースは今無理なのでしょうか?などと考えたりします。コロナ禍以後のエンタメの復興は、こういう興行スペースをいかに儲かるように復活させるか?という点が大きくウェイトを占めるような気もします。

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そして、長崎俊一監督の話。私が長崎監督の作品を見るのは、実はこの日が初めてだった。この当時はPFFが始まっていたのもあって、自主映画ブームであり、その中で日大芸術学部の長崎監督は、ある意味、名前だけはかなり売れていた。そして、彼はこの年の6月に「九月の冗談クラブバンド」でメジャーデビューする。そういう意味では、かなり勢いがあった時のオールナイト上映だったのだろう。この日の上映作品

「闇打つ心臓」「夢子惨死」「ユキがロックを棄てた夏」「クレイジィ・ラブ」「ハッピーストリート裏」「映子、夜になれ」「造花の枯れる季節」の7本。

全て16mmで撮られたもので、映倫を通っていない自主映画だ。なんか、モノクロの粗い粒子のフィルムの中にある活力は覚えているのだが、あまり内容を覚えていない。なかなか今見返すこともない作品だからだろうが、もう一回、この日に戻って見直したい気がする。そんなフィルムだ。

そこには、長崎監督とともに活動していた、内藤剛志や伊藤幸子などの姿が印象的に動いていた。そして、映倫を通さない強みか、性器が映っていたりする。まあ、ポルノ映画が乱立する中、裸が映画に必要不可欠みたいに思われていた時代である。自主映画も右に倣えだった。そんなフィルムの発するオーラにただ影響された感じはあった。でも、私は長崎俊一という監督がメジャーになって、強くその映画に引き寄せられることはなかった気はする。そう、あくまでも長崎俊一の映像は16mmの頃とメジャーでのものとは違うものだ。まだ、現役映画監督なのだろうから、是非、この混沌とした中で新しい次元の作品を作って欲しいものだと思ったりする。

なんか、書く前から感じていたのだが、内容を覚えていないのに勢いだけ覚えているものって、うまく文字になりませんよね…。しかし、プログラムにある、長崎監督の似顔絵いまいちですよね。髪が白髪になってからの印象が強いからですかね?まあ、なかなかいい男ですけど。


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