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「あの頃、文芸坐で」【75】何故に私は「ミッドナイト・エクスプレス」という映画が好きだったのか?

1982年4月22日、文芸坐で「ミッドナイトエクスプレス」と「カッコーの巣の上で」の二本立てを観る。プログラムは、前回と同じものをもらったので、前回のを見てください。

「ミッドナイト・エクスプレス」は2回目の鑑賞。「カッコーの巣の上で」は初見だった。「カッコーの?」は、精神病院の話だが、見ていて結構眠かったのを記憶しているが、ラスト、ロボトミー手術を受けた主人公のジャックニコスソンを殺め、脱走する友人の大男の姿は鮮明に覚えている。この主人公は刑務所から逃げるために精神病を偽っていた役だから、刑務所という点で「ミッドナイト〜」とも通ずるところもあるのだろうか?

とにかく、この日は「ミッドナイト〜」をもう一度見たかった。とにかく、トルコから少しの麻薬、ハシシを密輸しようとした青年が、捕まり刑務所から出られなくなる話だ。タイトルは脱獄のことを意味する。中東とアメリカの国際関係も絡み、一人の青年はただただ、地獄の日々を送る。その苦痛を観客はただただ見せつけられる。アラン・パーカー監督の作品の中でも好きな作品である。そして、なんか不吉な雰囲気で、頭をリピートするようなテーマソングもとても印象的だった。ある意味、なんでこんな暗い映画に、あの頃興奮したのだろうか?今考えると不思議なのである。上の写真は、恋人が面会にきたところだが、ここで彼女を裸にしてオナニーするシーンがあったと思う。とにかく、人間として、ズタボロにされた挙句、やっとラストで逃げ出せる映画である。見終わった後にとにかく疲れる映画だ。だが、以前にも他の映画で書いたが、私は疲労感を伴う映画が好きなことは確かである。そういう意味で、マゾ的なものを映画に求めているところはあるのかもしれない。そして、映画とはそうなって、作品としての価値がある的なものがこの頃から私が感じることだったりするのだ。「インディー・ジョーンズ」なども、疲労感があるから好きだったりする。視覚からくる疲労感というものはかなり得意なものだとは思うが、いまだにこの映画はその最高峰の気がする。

そして、最後の脱獄で、とにかく疲れが飛ぶくらいのガッツポーズができる映画でもある。当時は何に対してなどあまり考えなかっただろうが、あの興奮はなんだったのか?今の、最初から刑務所のような(昔の人間が見るとそう見えるのだ)日本で暮らしている若者たちは、この映画をどう見るのだろうか?

ただ、40年前より、いろんな国で、このような目に遭うことが不思議ではないような状況にある。各国でワクチンパスポートなどというものが出回っているが、これがないためにこういう目に遭うことも合うかもしれない。パンデミックの中では、ナショナリズムを感じることも強くなるだろうし、これからますます、差別と抑圧から逃れないような状況も多々起こるだろう。そんな中で、「ミッドナイト・エクスプレス」という映画をもう一度見てみたくなったりもするわけだ。その時はまた感想を書こうと思う。

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