脱線日記

住んでいる街から逃げるようにして京都に来て早一週間が経った。

私は温泉が大嫌いである。
老若男女が集い(男女は別れるが)、たっぷりお湯をたたえた湯船に何が混じっているのか我々には知る術がない。身を隠すものが何もない心細さと、裸で他者とお湯越しに触れ合う居心地の悪さがなんともいえず、出汁を取られている昆布にでもなったような不快感がある。

そんな私が京都に戻ってきてから通う銭湯ができた。
昭和の雰囲気を醸しながら高瀬川沿いに佇む銭湯に入り、微妙な狭さの靴箱に靴を入れ、そそくさと湯船に向かう。風呂は正直タスク消化なのでケロリン桶に湯を溜めつつ、頭を洗い身体を洗うとまず電気風呂に浸かり思い通りにならず、各々意思を持ったかのように勝手に動く指先を見ながら時間をやり過ごす。こうしてみると人間も電流で動いているのだと実感する。なんだか機械とそう変わらないような気がして妙にユカイになる。
そうして熱めの湯船に移り20数えて上がる。

 先述のように温泉嫌いの私がこの温泉に通い詰めている理由は実のところ、湯よりもこの温泉にぽつねんと置かれた信楽焼の狸なのである。
トボけたような、深妙なような顔をして首をかしげる狸を見ていると目下の悩みがバカバカしく思えても来る。友人に言いにくい悩みを声には出さないが狸に一方的に問いかけていると何だか許された心持ちがする。

自分の悩みや考えをアウトプットするように言われて少しずつ実践するようにしている。
 このnoteもアウトプットの一環で書いているが、文に起こすとどうにも気取ってしまう。
ボトルメッセージのように誰に見せるまでもなく書いてるつもりで誰かに読まれた場合を考えてしまう。
一方狸相手では気取る必要もないのでストレートに思いの丈をぶつけやすい。
真剣のような話半分のような表情もまたよい。
なんとなく目線の高さが、同じなので何となく話しやすい。グリグリとした黒い目は私を映さない。人と違って他人に話を洩らされる心配がないので気安い。
こんなに悩み相談にうってつけの相手を他に識らない。

10月も半ばを過ぎると京都も底冷えするようになってきた。ただ幾分か私が京都にいたときよりだいぶ過ごしやすい気がする。
狸との対話が長話になっても湯冷めしないのは気候変動によるものなのか、温泉効果なのか。
500円玉を握りしめて今日もいそいそと狸の元に通う。

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