脱線日記

大学の時の友人とパフェを食べに行った。

大学のとき、と言っても3つほど年が離れている。
12:30に約束したのに私がついたのは13時頃だった。
にも関わらず笑顔で迎え入れてくれていつまでも甘えてはいけないと思った。
 卒業後地元に帰っていた私に友人が久々に京都に帰ってきた理由を聞いた。長期休みをもらったことを告げるといいなぁ、と彼女は言った。
就職も決まり、夢が叶いそうなことを嬉しげに語り
就職祝いを兼ねてパフェ代ぐらいはご馳走してあげようと思った。

抹茶のパフェを2つ頼み、運ばれてきたものを口に運ぶ。
匙が硝子でできており、柄を握って少し前、ガラスペンが欲しかったことを思い出した。
ガラスを口に含んだときに唐突に梶井基次郎の檸檬を思い出した。
ーあのびいどろの味ほど幽かすかな涼しい味があるものか。
アイスを口に含んだからではなく、硝子から本当に涼しい味がした。
ザラリとした舌触りが金属の味気ないスプーンとは全く違う、これをスプーンと呼ぶのはなんとなく嫌で、匙という言葉が似合うなぁと思った。
もはや大手を振って匙を口に運びたいがために抹茶のパフェをひたすら食べた。カステラよりもアイスよりも小豆よりも、匙を口に含んで安心したかった。小さい頃、涼しい味を知りたくてビー玉を舐めたことを思い出した。そのときにはわからなかった涼しい味がwaterを理解したヘレン・ケラーのようにどうしてか今唐突にわかったことがなんだか嬉しかった。

会計時に財布を開いて、予想よりも高価なパフェで、奢るほどお金を下ろしていなかったことに気づいて自己嫌悪に陥った。
幸い友人は気にしていなさそうでいくらか心が救われた。

大学時代にふらふらと散歩に出ていたあたりを歩くと懐かしさに押しつぶされそうになり、おそらく後輩に当たるだろう女子学生を横目に自分の居場所はもうここにはないのだとうっすら思った。

話をしながら途端に胸が痛くなり、
息ぐるしくなる。少しの不安がよぎると最近こうなる。不安がどんどんと大きくなり、悲しくなり、鼻の奥がツンとする。なんでもないこと、例えば将来訪れるであろう死別を思って今が疎かになる。

つい先月、会社に休職願いを出した。
心が不安に陥り、攻撃的になっていくのが自分でもわかった。不平不満ばかりが口をついて出る。他人が妬ましくて自分が疎ましくて仕方がない、
ついた病名は適応障害だった。

今の自分のなにかもがいやで、今の社会から脱線してしまった自分を知らない人のところへ行きたいと思った。そうして決して満喫したとは言えない大学生活でさえすがりつきたくて四年を過ごした京都に逃げ帰ってきたのだ。

胸が酷く痛む。
洗い流してしまいたくて飲みたくもないお茶を口に含んだ。体の中心をすうっと通るのがわかるのに、痛みの場所には届いてくれない。高瀬川のそばをふらふら歩くと川からくる冷気が足を冷やす。
もう少しで痛みを和らげてくれそうなのに、高瀬川でさえ罪の意識を流してはくれなかった。

かくあるべし、という考えが常に支配してつきまとって離れない。
友人と別れ、大丸に寄った。
ふと涼やかな味を思い出して、ようやく痛みが和らいだ。『檸檬』の文庫本が目に入り、手に取る。

 えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧おさえつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか

一文目が目に入り、涼やかな味がわかった理由を知った。

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