コロナウイルスの休館は終わったけど、競技生活を振り返ってみる。PART.30
こんにちは。まるです。前回の続きを書いていこうと思います。
次の西日本インカレも400mとマイル。後輩が入って来たことにより800mから逃げる私。(笑)
400mは59“36でまずまず。もちろん予選落ちですが…。この年は結構60秒切れた大会が多い。マイルは4‘00”50。なかなか4分が切れません。本当に全員のコンディションを合わせるのって難しい。そこから、多分故障したのでしょう。全然試合出てない(笑)まぁ、調子がいい時にケガしがちなところありますので…。
そして、学部生最後の秋インは、マイルのと4継のみに出場しました。4継は、人数合わせの4走に。私は、バトン下手くそなんで、もらうと渡すの両方は出来ず…。スタートも下手なので、結局アンカーになるという。嫌だけど、最後は。53“28でした。4継のタイムはいまいちわからないので、そのまま。マイルは、せっかくなのでと4年生チームに、一人足りなかったので、後輩に走ってもらって。本当は嫌だったけど、さすがに後輩を4走にするわけにもいかず、4走を走ることになりました。結果は4‘14”54で思った以上にみんな走れていました。(笑)ラストはみんなしんどそうだったけど、一緒にバトンつなげたことがすごく嬉しかったです。
なぜか、この秋インのあとに5000m走らされることに、数合わせのための12周半はみんなでJOG。最初は楽だったけど、後半はきつかった。はよ終われーって思ってた(笑)21‘23“90で、4分ペースより遅いという。昔ならペース走でいけてたくらいと考えると怖いですね。(笑)
そして、駅伝シーズンへ。2週間前の記録会は、腰がやばい!ってなって途中棄権させてもらいました。だいたい、駅伝シーズンになると発生する練習できない問題。それでいて、走るとまぁまぁ走れてしまうから、そこでイラッとするんでしょうね。でも、本当に休み休みしないと、駅伝走れなかったと思うし、もちろん個人のトラックレースも走れなかったと思います。もちろん、一緒に練習をできないっていうのは気にしてはいましたけど…。そんな態度に出したからってどうなるわけでもないし、雰囲気悪くなったらなって。自分のことは自分のことしかわからないので、みんなに合わせるために無理するっていうのはちょっとおすすめできません…。
一時期は、「見せる練習」というか、「私、こんだけやってますよ。頑張ってますよ。」っていうのを出せばいいのにって言われたこともありますが、そういうの嫌いで。だから、結局衝突しちゃう。まぁ、今となってはいい思い出ではあるし、もちろん理解してくれる人もいたから頑張れたわけですが…。
そして、駅伝本番。今回も2区ということで慣れたコースで、好きなコース。今年のタイムは14“19。去年よりも30秒悪かった。調子もさほど良くはなかった気がするし、仕方ないか。区間順位も変わらず4位という。区間順位変わらなかったからよしとしよう!10位でもらって、めっちゃ追いかけたけど、順位的には変わらず。でも、1分くらいあった前との差を3秒にしたのは、頑張ったと思う。ラスト思いっきり走った。疲れた。(笑)一応これで、大学4年間が終わりました。練習をなかなかしないおせっかいなおばさんでしたが、後輩たちが慕ってくれて、卒業された先輩方や院に進学された先輩方の支えがあって、なんとか大学での4年間を頑張ってこれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
さて、大学4年生。駅伝まで出て試合もたくさん出て就活はどうしたのか…。
実は、中学の時から、体育教師になろうと思っていて、陸上の指導とかしたいなって。それもあって、地元の陸上教室にボランティアとして参加できる大学に進学したわけですが、大学4年生で、実習に行って。合っていないなって思い知らされる。高校の理事長にも、「あなたの声は、体育の先生には向いてないですね」って。声?ってなりましたけど、自分の中でも違うなっていう思いがあって、そんなこんなで、どうするかってなっているときに、顧問の先生でもあり、ゼミの先生でもある先生から、「大学院に残らないか?」というお話しをいただいて、特にやりたいこともないし、もう少し陸上に関わりたいし、残るかという軽い気持ちで、大学院進学を決めました。もちろん、ちゃんと試験は受けましたよ。
そんなこんなで、あと2年間陸上部として陸上に携われるようになりました。選手としてもあと2年頑張りたいっていう気持ちはもちろんありましたが、後輩の育成にも関われたらいいなと思いながら、大学院に進学しました。
読んでくださってありがとうございました。次回は大学院1年目について書いていきたいと思います。