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さよなら成人式

昨年ハタチになった。

でも、1月に行われた成人式には行かなかった。
というより、「行きたくない」というこだわりを見せた。

私は割と温和で従順な性格であるため、ここにきて「行きたくない」というこだわりを見せるようなタイプだと皆からは思われていないはず。
だからこそ行かなかった。
私は頑固者ですと見せつけてやりたかったのだ。多分だけど。

本音の部分で行かなかったのは、いわゆる幼馴染や地元の友達がいなかったからだ。

単に私は成人式で孤独を感じるのが怖かった。

成人式に出席する自分を想像するたび、式の会場である小学校の体育館で右往左往している姿しか想像できなかった。
もし誰かが気を遣って輪の中に入れてくれたとしても、周りに合わせてなんとなくヘラヘラ笑うので精いっぱい。上の空で「あー家に帰って早く月9見たい…」とか思っちゃうんだろうな、なんて嫌な想像しかできなかった。

今どきLINEという便利なツールが存在し、SNSのDM機能だってあるのに地元の友達とは本当に縁が切れてしまった。

その理由は単純で、私にとってLINEは必要事項の確認に使うものであり、無駄話や世間話をダラダラと続けるようなものではないからであった。
そのため、中学を卒業したら自然と連絡もなくなったのだ。

私からしてみれば、LINE上で「今何してるー?」って連絡して「暇なら電話でもしようよ〜」とか言って寝るまで寝落ち電話をする気などサラサラない。

なので、たまに居る「本当はLINE続けたくないのに、相手がしつこくて…」などと言いながらため息をつく人は個人的に信用していない。本当はその毎日続くLINEが楽しいんでしょ?ちょっとした自慢するなよっ!って内心では思う。そのため「このLINE続けた方がいいのかな?どう思う?」などと聞かれたら、「無理に終わらせる必要ないんじゃない?」と笑顔で答えるだろう。
笑顔の裏にある本心など決して口には出さない。まあこの場合言う必要もないと思うが。

改めて言うが、私は成人式で孤独を感じたくなかった。

小中学生のときは仲の良かった知っている友達が、段々と遠くへ行ってしまう感覚を実感させらるのが嫌だったのだと思う。あの時の何も考えずにいられて楽しかった思い出のまま心の中にとっておきたかったのだ。…カッコつけたような周りくどい言い方をしているが、要は友達がいなかっただけ。ほんとそれだけ。

それに、コロナを気にしてなのか同窓会が開かれる気配すらしなかった。
同窓会だけでも行こうかなあなんて「行けたら行く詐欺」みたいなぬるい気持ちでいたら同窓会なるものは企画さえされず、人生で一度しか訪れないであろう大規模イベントはあっという間に幕を閉じた。

それでも気になってSNSは見てしまった。成人式に行きたくないというこだわりを見せた分際でSNSを見てもいいのかギリギリまで迷ったが、薄目ですこーし見てみた。
ふーんとかへーとか思いながらストーリーを見て、そっかそっかみたいな不思議な気持ちになり、着付けやメイクをして煌びやかな格好をしていてもみんなの見た目があの頃とあまり変わってないということに安堵を覚えたりもした。

行かなくて正解だったのかどうかは未だにわからない。行ったら意外と楽しめたかもしれない。
でも成人式に行かなくたってハタチを名乗ることはできるし、ちゃんと大人になれるのだなと身をもって実感している。

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