かつて、「高い音」とは、大きい音のことであったようだ

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2024.7.23 presented in [note] ( //note.com/runningWater/]
2024.7.24 rewritten

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1 「高声」とは、いったい、何の事なのか?

音楽の用語に、[高声]、[中声]、[低声]というものがあるようだ。

女性メンバーだけで合唱する場合、

 [高声] - [ソプラノ]
 [中声] - [メゾソプラノ]
 [低声] - [アルト]

という事に、なるらしい。

(この用語は、他の言語(例えば、イタリア語、ドイツ語、フランス語)では、どのように表現されているのか、他の言語においても、[高]、[低]という意味を持つような用語で、表現されているのだろうか、という事に関しては、個人的には興味があるのだけれども、ここでは、そこまでは考えないこととしよう。)

[声]は、[音]の一種であり、
[音]は、[[空気の振動波]の集合]であり、
その[[空気の振動波]の集合]は、
主音、倍音、といったような様々な[空気の振動波]により、形成されている。

上記3個のグループの人々が、歌唱の中で発する声に関しては、以下のような関係がある、といってよいだろう。

[ソプラノ]グループの人々が発する音
の主音の
周波数の平均値

[メゾソプラノ]グループの人々が発する音
の主音の
周波数の平均値

[アルト]グループの人々が発する音
の主音の
周波数の平均値

(音波に関する物理的な知識に乏しいので、上記のような説明しか、私にはできない。もしかしたら、この説明には、誤りがあるかもしれない。)

ゆえに、以下のように、考えてよいだろう。

[[高声] | [中声] | [低声]]
 という表現は、
[概念 [音の周波数]]
 と
[概念 [高度]] ----- ([高]、[中]、[低]で表現されるような)
 とを、
 リンクづけすることにより、
かたちづくられている。

About [orientational metaphor], [方向性のメタファー] について
にある、[方向性のメタファー]の定義から見て、
この[概念間のリンク]もまた、
[[方向性のメタファー]に関連するもの]
であろうと、思われる。

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2 江戸時代より以前での、「高声」とは?

現代の日本における、[高声]に関しては、上記に述べたようになるのだが、
江戸時代以前においては、どうもそのような状況では、なかったようだ。

後の方に詳しく述べていくが、江戸時代までは、

 [高音] = [大きな振幅を持つ音]

と、いうことであったようなのだ。

([大きな振幅を持つ音]は、現代日本においては、[強い音]とも、[大きい音]とも、表現されるようだ。)

これを、より、物理的に正確(?)に述べるならば、

[音」は、[[空気の振動波]の集合] であり、
それぞれの[空気の振動波]は、それぞれの振幅を持つ
それら全ての振動波の振幅の平均値 が、大きい値を持つとき、
その音は、[強い音]
と、呼ばれる

ということになるのだろうか?

音波に関する物理的な知識に乏しいので、上記のような説明しか、私にはできない。もしかしたら、この説明には、誤りがあるかもしれない。

現代の日本における、
 [[高声] | [中声] | [低声]]
を、音の周波数に関連づけての解釈
は、
もしかしたら、明治時代以降、欧米の文化・文明を急速に受け入れる過程において、発生したのかもしれない。

すなわち、

江戸時代までは
 [[高声] | [中声] | [低声]] ----- [音の振幅]
 
との関連づけをもって、把握されてきたものが、
明治時代以降、現代に至るまでは、
 [[高声] | [中声] | [低声]] ----- [音の周波数]

というように、その[概念把握における、ダイナミックなチェンジ]が発生した、という可能性があるのだ。

ここで、ある問題が浮上する。

問題
 このような、音に関する、[概念把握における、ダイナミックなチェンジ]は、日本人だけに起こった独特の現象なのだろうか、それとも、他の人々においても、起こっているのだろうか?

この問に対して、現在の私は、いまだ、解答を出せていない。

地球上には、膨大な数の言語が存在していると思われる。

現在、同じ言語を使用している人々においても、その祖先の段階まで遡っていけば、異なる言語、異なる文化の中に、生きていた、ということも、ありえよう。

そのような、[膨大な言語の森]の中で、私がよく分かっている言語といえば、たった一つだけ、日本語だけ、なのだ。(厳密に言えば、よく分かっているのは、現代の日本語だけ。江戸時代以前の日本語となると、おぼつかない。)

そのような私なので、上記の問題への解を、とても出せそうにない。

でも、これを、お読みになっている方の中に、もしかしたら、この問題への解を、出すことができる方が、おられるかもしれない。私は、大いに期待する。

その解探しの方法が、とても単純である、という事を、この後に記した内容を読んでいただければ、お分かりになると、思う。

ようは、

 (1)何らかの文書を、題材として選び、
 (2)その文書を読みながら、その中に含まれている、
[[音]と[高度]の関連づけから、できているような語]
らしき言葉を、拾っていく。
 (3)そのようにして拾った言葉を、その言葉が意味している事により、グループ分けする。グループ分けに関しては、様々な観点が考えられるだろうが、例えば、下記のような観点からのグループ分け、も、アリかもしれない。

 グループA : それは、音の周波数に関する事を、表現する言葉なのか
    それとも
 グループB : 音の振幅に関する事を、表現する言葉なのか
    それとも
 グループC : 上記とは異なる、音の質に関する事を、表現する言葉なのか

題材とするものを、古典に限定する必要はないだろう。明治時代や大正時代に書かれた文書を調べていったら、「われ、その解を発見せり!」ということに、なるかもしれない。

あるいは、

[グループAに属するもの]と、[グループBに属するもの]が、混在していた時期を、発見できた! 

とか、

この地域では、[グループAに属するもの]を使用していたが、別の地域では、[グループBに属するもの]を使用していた、ということを、発見!

あるいは、

[グループAに属するもの]の使用と、[グループBに属するもの]の使用に関して、世代間の違いがあったことを、発見!

場合によっては、調査対象となる書物の電子化媒体を利用することが、可能になるかもしれない。そうなると、コンピューターを使っての語句検索もできるようになるだろうから、作業の効率が劇的にアップするかもしれない。

そのように調査して、何か分かった事があれば、それを紙に書いて、机の引き出しの中にしまっておく、というのもアリだろうが、それではなにか、もったいないのでは、というような感じもする。調査して分かった事を、ネット上に発表してみる、というのも、アリかも。

[音と高度が関連するもの]、そのようなものが、
 『イーリアス』、『オデュッセイア』の中に、あるか?
 ローマ帝国の法律文書の中に、あるいは、[ハンムラビ法典]の中に、あるか?
 古代メソポタミアの、粘土板に書かれていたという様々な文書の中に、あるか?
 『三国志演義』の中に、あるか?
 『旧約聖書』の中に、あるか?
 
などなど、興味の網は、様々に膨張するのだが、残念ながら、私には、それらの網をたぐるだけの、パワーと時間は、ないようだ。

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3 いろいろなもの、調べてみた

調査対象としたものは、以下の通り。

 日本書紀
 古事記
 万葉集
 土佐日記
 枕草子
 南総里見八犬伝 (江戸時代に曲亭馬琴(滝沢馬琴)により著された小説。)

結論を先に述べてしまうことになるのだが、これらの書物の中においては、

 [高い音] --- 振幅

という関連づけを基礎として、記述されている箇所しか、私は見つけることができなかった。

 [高い音] --- 周波数
 
という関連づけを基礎として、記述されている箇所を、私は見つけることが、できなかった。

(もちろん、見落としを、していた、ミスっていた、という可能性は、ある。)

以下、これらの古典の中の、私が注目した部分を、述べていくこととする。分中の太字修飾は、私が施した。

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3.1 日本書紀、古事記

高天原へやってくるスサノオを迎えるアマテラスを描写した、日本書紀の中の記述(巻第一 神代 上)の中に、下記のようなものがある。

 「又背負千箭之靫 千箭、此云知能梨。 與五百箭之靫、臂著稜威之高鞆、稜威」

(上記は、[日本古典文学大系67 日本書紀 上 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]より引用。)

[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]の 35P においては、これを下記のように現代語で表現している。

 「背には矢入れ、腕には、立派な高鞆(たかとも)をつけ」

[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]の 53P に、下記のような注がある。

 「(2) 高鞆 弓を射る時、左の腕にはめる革の道具、矢を射た後、弦が当って高い音をあげる。」

古事記にも同様の記述箇所がある。

[古事記(上)全訳注 次田真幸 講談社学術文庫207 講談社]の 76P に、下記のようにある。

 「そびらには千入の靫を負ひ、ひらには五百入の靫を附け、亦いつの高鞆を取り佩ばして」

[古事記(上)全訳注 次田真幸 講談社学術文庫207 講談社]の 79P には、下記のような注がある。

「いつの高鞆 「いつ」は盛んな威力。「高鞆」は、高い音を発する鞆の意。「鞆」は弓を射るとき、左の臂に着ける武具で、弦があたって音を発した。」

これは余談だが、日本書紀の中の[巻第二 神代 下] の最初の方に、[葦原中國]の当時の状況を、とてもおもしろく表現した箇所がある。

 「然彼地多有螢火光神、及蠅聲邪神。復有草木咸能言語。」

(上記は、[日本古典文学大系67 日本書紀 上 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]より引用。)

[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]の 54P においては、これを下記のように現代語で表現している。

「しかしその国に、螢火のように輝く神や、蝿のように騒がしい良くない神がいる。また草木もみなよく物をいう。」

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3.2 万葉集

[巻十一 2730 番]の和歌は、下記のような内容だ。

 原文:木海之 名高之浦尓 依浪音高鳧 不相子故尓
 訓読:紀伊(き)の海の 名高(なだか)の浦に 寄する波 音(おと)高(だか)きかも 逢(あ)はぬ児(こ)故(ゆゑ)に
 現代語訳:紀伊の海の 名高の浦に 寄せる波のように 音-噂が高いことよ 逢ってもいないあの娘のことで

(上記は、[新編 日本古典文学全集8 萬葉集3 校注・訳:小島憲之 木下正俊 東野治之 小学館]より引用。)

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3.3 土佐日記

「二月十六日」の項の中に、下記のような内容のものがある。

 原文:今宵(こよひ)、「かかること」と、声高(こわだか)にものもいはせず
 現代語訳:今夜は、「こんなことってなかろう」と、みんなに、声高に言わせはしない。

(上記は、[新編 日本古典文学全集13 土佐日記 蜻蛉日記 校注・訳:菊地靖彦 木村正中 伊牟田経久 小学館]より引用。)

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3.4 枕草子

下記のような内容のものがある。

二一 清涼殿の丑寅の隅の

 昼の御座の方には、おものまゐる足音高

七三 うちの局

 こと所の局のやうに、声高くえ笑ひなどもせで、いとよし

二二八 一条の院をば今内裏とぞいふ

 これを御笛に吹かせたまふを、添ひに候ひて、「なほ高く吹かせおはしませ。え聞きさぶらはじ」と申せば

(上記は、[新編 日本古典文学全集18 枕草子 校注・訳:松尾聰 永井和子 小学館]より引用。)

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3.5 南総里美八犬伝

[南総里美八犬伝(一) 小池藤五郎 校訂 岩波文庫 黄224-1 岩波書店] 60P に、下記のような内容のものがある。

 「浩処(かゝるところ)に河下より、声高やかに唄(うた)ひつゝ、こなたを望(さし)て来るものあり。」

[南総里美八犬伝(四) 小池藤五郎 校訂 岩波文庫 黄224-4 岩波書店] 337P に、下記のような内容のものがある。

 「復説(またとく)。荘介(さうすけ)・小文吾(こぶんご)の二犬士は、功ありながら賞を得ず、稲戸津衛(いなのとつもり)に謀られて、矢庭に搦捕(からめと)られしかば、倶(とも)に怒れる声高やかに、」

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4 浮上した問題点

上記のような調査を行っている中に、またまた、疑問が浮上した。

疑問A いったい、どのようにして、どのような仕組みでもって、上記にみたような、

[概念 [音の振幅]] (concept amplitude of sound)]
 と
[概念 [高度]] (concept altitude) ----- ([高]、[中]、[低]で表現されるような)
との、概念間のリンク

が、(江戸時代より以前の日本人の心(脳)中に)発生したのだろうか?

疑問B いったいなぜ、[振幅が小さい音]のことを、「高い音」と表現しなかったのだろうか?(江戸時代以前の日本において)

すなわち、なぜ、下記の Fig 1 ではなく、Fig 2 のように、要素間のリンク(その概念間のリンク中の)は、形成されたのだろうか?

Fig 1
Fig 2

これへの解答を、私はまだ、見いだせていない。

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