日本書紀に見る [権威と高度]

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2024.7.21 presented in [note] ( //note.com/runningWater/]

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1 はじめに

[Power and Altitude] in Kojiki, 古事記に見る [権威と高度]

Stage of Power and Altitude, 権威と高度の舞台

において、[権威]という概念と、[高度]という概念が、リンクづけされ、一体となって把握される様を見てきた。そして、そのリンクづけの原動力となったものが、 [方向性のメタファー] である、という事も、見てきた。

[方向性のメタファー] については、下記に述べた。

About [orientational metaphor], [方向性のメタファー] について

その説明で使用されたのは、[古事記]であったが、このコンテンツにおいては、それと同時期に成立した、[日本書紀]について、調べてみた。

[日本書紀]の中に、
[[権威]という概念と、[高度]という概念のリンクづけ]
を活用しての表現が行われている箇所は、あるか?

と、いうことを、調べてみたのである。

以下に、その調査結果を、述べたい。

なお、これ以降、
[[権威]という概念と、[高度]という概念の リンクづけ]
を、
[リンク [権威]-[高度]]
と、表記することとする。

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2 官職の名前について

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2.1 [大]|[大なし]

日本書紀の中には、当時の貴族階級に所属する人々の名前や官職名が、多く、書かれている。

大王家に所属していない人々は、下記の2つに区分されていたようである。

 貴族階級
 非貴族階級(いわゆる、人民、庶民)

貴族階級の人々の間にも、権威の差はあったようである。その差を表す語として、ある時期から、

 [大]|[大なし]

が用いられるようになったようだ。例えば、

[大]
 大臣、大連

[大なし]
 臣、連、直

[大] の具体例としては、[大連・物部守屋]、[大臣・蘇我馬子]などの人名が記述されているのだが、詳細をここに書くと長くなるので、後述の[備考1]の方に書いた。

[大なし]の方の具体例としては、

 [巻第二十一 崇峻天皇] の中に記述されている、[東漢直駒]

 [巻第二十三 舒明天皇] には、下記の人名が記述されている。(推古天皇の次の天皇を誰にするかで、群臣が様々に折衝するシーン)

 [大伴鯨連]、[阿倍麻呂臣]、[采女臣摩禮志]、[高向臣宇摩]、[中臣連彌氣]、[難波吉士身刺]、[許勢臣大麻呂]、[佐伯連東人]、[紀臣鹽手]、[蘇我倉麻呂臣]
 [境部摩理勢臣]
 [身狹君勝牛]、[錦織首赤猪]

この、[大]|[大なし]という呼称の区分に使用されている概念リンクは、
 [リンク [権威]-[高度]]
 ([権威]という概念と、[高度]という概念の、リンクづけ)
ではなく、
 [[権威]という概念と、[サイズ](大小)という概念の、リンクづけ]
であるとして、よいだろう。 

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2.2 [大] と [大なし] との間の、異動

[大]から[大なし]方向への権威の変化に相当するような記述箇所は見つからなかった。

[大なし]から[大]方向への権威の変化に相当するような記述箇所は、下記のように、数か所見つかった。いずれも、世襲により、この変化が起こったものと、推測される。

[大伴金村]は、[武烈天皇]が即位する前は、[大伴金村連]であったが、即位後、[大連]に任命されている。

[乙巳の変](飛鳥板蓋宮でのクーデター)当時、[蘇我入鹿]は[大臣]の位にはついていない。その時に[大臣]の位にあったのは、入鹿の父・[蘇我蝦夷]である。

ただし、[巻第二十四 皇極天皇] の、皇極天皇2年10月の項には、

 [蘇我蝦夷]が、ひそかに、[蘇我入鹿]を大臣の位になぞらえた

というような趣旨の記述がある。

[乙巳の変]の発生を未然に防げていたら、あるいは、そのクーデターで致命傷を負うことなくすんでいれば、やがて、[蘇我入鹿]は父から、[大臣]位を、公式に継承していったのであろうか、あるいは、大王家からの禅譲を経て、蘇我王朝が成立していたのであろうか。

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2.3 [大]の中、[大なし]の中では、対等?

[臣]、[連]、[直]等の、[大なし]の人々の権威は、同等であったのだろうか、同等ではなかったのだろうか? その詳細は、分からない。

[大臣]と[大連]とは、対等の立場にあったように思える。

[巻第十九 欽明天皇] 中の[仏像破棄事件]の際には、[大臣・蘇我稲目]と[大連・物部尾輿]は、対等に争っているようだし、

[巻第二十 敏達天皇] 中の[仏像破棄事件]の際においても、[大臣・蘇我馬子]と[大連・物部守屋]は、対等に争っているように、思える。

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3 冠位の変遷

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3.1 最初の段階においては、[リンク [権威]-[高度]]は、用いられず

大和朝廷の初期の段階においては、上記に見たように、[リンク [権威]-[高度]]を活用したような、権威の表現は、無かったようである。

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3.2 冠位十二階

その段階の後に、初めての、権威差の細分化の試みが行われた。[冠位十二階]制度の制定である。

[巻第二十二 推古天皇] 中の記述によれば、その[十二階]は、下記の語で表現されていた。

 大德 小德 大仁 小仁 大禮 小禮 大信 小信 大義 小義 大智 小智

すなわち、
[徳]、[仁]などの、6個の文字
と、
[大]と[小]の2個の文字

の組み合わせにより、構成されるランク
でもって、
各人の保持する権威の差異を、表現しよう、
と、いう試みである。

権威のスペクトラム(権威のものさし)とも言うべき、12個の目盛を持った、表現手法である。

 (6×2=12)

上記に見るように、この段階においても、権威の差を表現するための手段として、[リンク [権威]-[高度]]は、用いられていない。

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3.3 冠位十三階

次に制定されたのが、[冠位十三階]である。

[巻第二十五 孝徳天皇] 中の記述によれば、それは、下記の語で表現されていた。

 大織 小織 大繍 小繍 大紫 小紫 大錦 小錦 大青 小青 大黒 小黒 建武

この[権威スペクトラム]においても、[リンク [権威]-[高度]]は、用いられていない。

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3.4 冠位十九階

次に制定されたのが、[冠位十九階]である。

[巻第二十五 孝徳天皇] 中の記述によれば、それは、下記の語で表現されていた。

 大織 小織 大繍 小繍 大紫 小紫 大花上 大花下 小花上 小花下 大山上 大山下 小山上 小山下 大乙上 大乙下 小乙上 小乙下 立身

ここで注目したいのが、下記の点である。

 [上] と [下] の文字が、使用されている。
 [上] の方が、[下] の方よりも、権威が大きい、という順序になっている。

[ 上 | 下 ]は、[高度]の概念に、密に関わるような、言葉である。

よって、
ついに、この段階において、
[リンク [権威]-[高度]]が、
[権威スペクトラム] の中
に、用いられるようになった、
と、してよいだろう。

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3.5 冠位二十六階

次に制定されたのが、[冠位二十六階]である。

[巻第二十七 天智天皇] 中に、それに関して記述されているのだが、それをここに詳細に書いてしまうと、これを読まれる方もタイヘンだろうから、下記に要点だけ述べることとする。([冠位二十六階]、[冠位 変遷]等で検索したら、詳細情報が得られるかも)

注目すべきは、

 [上] と [中] と [下] の文字が使用されている。
 [上] の方が、[中] の方よりも、権威が大きい、[中] の方が、[小] の方よりも、権威が大きい、という順序になっている。

[上 | 中 | 下]は、[高度]の概念に、密に関わるような、言葉である。

よって、
この段階においても、
[リンク [権威]-[高度]]が、
[権威スペクトラム] の中
に、用いられている、
と、してよいだろう。

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3.6 冠位四十八階

次に制定されたのが、[冠位四十八階]である。

[巻第二十九 天武天皇 下] 中の、天武天皇14年の項の記述によれば、これは、下記の3個の文字の組み合わせにより、構成されている。

 [文字1|文字2|数字]

 [文字1]は、右記のいずれか:{正|直|勤|務|追|進}
 [文字2]は、右記のいずれか:{大|広}
 [数字]は、右記のいずれか:{壱|弐|参|肆}

上記を組み合わせて、表現するので(例えば、[正大壱]、[直広参])、合計48個となる。

(6×2×4=48)

この段階において、[リンク [権威]-[高度]]が、[権威スペクトラム]の中に用いられなくなってしまう。

([数字]は、高度の他にも様々な概念と密に関連する概念だから、数字が用いられているからといっても、[リンク [権威]-[高度]]が用いられている、とはいえないだろう。)

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3.7 最終段階の位階制度

大宝令と、養老令によって、[位階制度]が定められ、これが江戸時代まで使用し続けられたようである。

再び、[上]と[下]の文字が用いられることにより、[リンク [権威]-[高度]]が、[権威スペクトラム]の中に用いられるように、なっている、

[従五位上]、[従五位下]、というように。

知名度の高い戦国大名たちも、朝廷から、これらのうちのどれかを与えられているようだ。

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4 各氏族の中においても、[リンク [権威]-[高度]]等を活用

[氏上]という語が、下記に記述されている。

[巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇5年 6月
[巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇10年 9月
[巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇11年 12月
[巻第三十 持統天皇] 持統天皇8年 1月

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5 外交官

外交官に対しては、[リンク [権威]-[高度]]は活用されなかったようだ。

例えば、以下の箇所においては、[大使 小使]の表現が用いられている。

 [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇8年 11月
 [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇13年 4月
 [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇13年 10月

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6 仏教界

仏教界に対しては、[リンク [権威]-[高度]]は活用されなかったようだ。下記のような語が使用されている。

[僧正]、[僧都]、[法頭]
 [巻第二十二 推古天皇] 推古天皇32年4月

[小僧都]、[佐官]
 [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇2年12月

[沙門]、[寺主]
 [巻第二十五 孝徳天皇] 大化1年8月

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7 上記以外の部分での、 [リンク [権威]-[高度]]の活用

この章においては、

漢文部分は、[日本古典文学大系68 日本書紀 下 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]より引用した。

現代語訳部分は、[日本書紀(下) 全現代語訳 訳:宇治谷孟 講談社(講談社学術文庫834)]より引用した。

太字修飾は、私が施したものである。

日本書記の中において、 [リンク [権威]-[高度]]が活用されている、と思われる箇所を、以下に示す。

「納、甚協王心而爲王佐。」
「上に伝え下に告げることは、よく王の心にかない、王の助けとなっている」
 [巻十九 欽明天皇] 欽明天皇11年2月

「臣連二造、二造者、國造伴造也。及百姓」
「臣・連・伴造・国造から下百姓に至るまで」
 [巻二十 敏達天皇] 敏達天皇12年10月

「對則好説過、逢則誹謗失」
「上に向っては好んで下の者の過ちを説き、下にあえば上の者の過失をそしる」
 [巻二十二 推古天皇] 推古天皇12年4月([十七条の憲法中の六]の文)

「易曰、損
「易経に、『上は損しても下の利を益するように努め」
 [巻第二十五 孝徳天皇] 孝徳天皇 大化1年9月

臣之墓者・・・臣之墓者」
「上臣(大臣か)の墓は・・・下臣の墓は」
 [巻第二十五 孝徳天皇] 孝徳天皇 大化2年3月

過、暴」
「上に立つ者は下の者の誤りを責め、下の者は上の者の粗暴な振舞いを諫めれば」
  [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇8年10月

上下通用綺帶白袴」
「綺の帯(組紐の帯)・白い袴は身分の上下を問わず使用してよい」
 [巻第三十 持統天皇] 持統天皇4年4月

「唯今臣不賢、而遇當乏人之時、誤居群臣耳」
「ただ自分は不賢にもかかわらず、たまたま人が乏しかったので、間違って群臣の上にいるだけです」
 [巻二十三 舒明天皇] 舒明天皇の即位前のエピソード中の、蘇我蝦夷から山城大兄皇子へのメッセージ中。

「仍賜食封大夫以上、各有差。降以布帛、賜官人百姓、有差」
「そして食封(給与される戸口)を大夫(四位・五位)より以上にそれぞれに応じて賜わる。以下は布帛を官人・百姓にそれぞれに賜わることとする」
 [巻第二十五 孝徳天皇] 孝徳天皇 大化2年1月

「諸王以下、初位以上、毎人備兵」
「諸王以下初位以上の者は、各人で武器を備えよ」
 [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇4年10月

「唯雖以下庶人、其才能長亦聽之」
「これ以下の庶民でも、才能のすぐれている者は許せ」
 [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇5年4月

「因以看大山位以下之馬於長柄杜」
「大山位以下の者の馬を、長柄杜でご覧になり」
 [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇9年9月

「次官以上其爵位」
「次官以上は冠位を降等し」
 [巻第二十五 孝徳天皇] 孝徳天皇 大化2年3月

最後に、極めて興味深い記述を一つ。(高度には関係ないのだが))

「且專捕赤烏者、賜爵五級」
「また赤烏を捕えた当人には、爵位五級を賜わった」
 [巻第二十九 天武天皇 下] 天武天皇6年11月

これは、クラス5の位を賜る、ということではなく、位のクラスが+5される、ということなのだろうか? だとすれば、+5とは、すごい大盤振る舞い。で、この[赤烏]とは、いったいどんな鳥なんだろう?

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[備考1]

[大]のつく位になった人としては、下記のような人名が記述されている。記述箇所(ここばかりではない)も併記した。

武内宿禰(大臣)
 巻第七 成務天皇

平群真鳥(大臣)
 巻第十六 武烈天皇

大伴金村(大連)
 巻第十六 武烈天皇()
(この巻の中で、[連・大伴金村]と[大連・大伴金村]で記述されている。連から大連に変わったのである。)

物部麁鹿火(大連)
 巻第十六 武烈天皇

許勢男人(大臣)
 巻第十七 継体天皇

物部尾輿(大連)
 巻第十八 安閑天皇

蘇我稲目(大臣)
 巻第十八 宣化天皇

物部守屋(大連)
蘇我馬子(大臣)
 巻第二十 敏達天皇

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