太平記 現代語訳 7-6 後醍醐先帝、隠岐島脱出に成功

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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鎌倉幕府首脳A 近畿地方の騒乱は、未だ収まらず。なのに、四国、中国地方までもが、日に日に騒然となっていくじゃぁないか。

鎌倉幕府首脳B まさに、人心薄氷を踏むがごとし、だなぁ。わが国は今、危機の深淵の水際にある状態。

鎌倉幕府首脳C 今の天下が乱れているのも、その原因は全て、先帝の野望に。

鎌倉幕府首脳D もしもだよ、反体制勢力が警備のすきをついてだね、隠岐島(おきとう:島根県)に侵入して、先帝を奪取するようなことになったとしたら?

鎌倉幕府首脳E そりゃぁもう、タイヘンな事になってしまうわさ・・・。

というわけで、「よくよく注意怠らずに、先帝を警固するように」と、幕府から隠岐島守護・佐々木清高(ささききよたか)に指示が出された。清高は、近隣の地頭や御家人を動員して日直夜警おこたりなく、宮門を閉ざして厳重な警備体制を敷いた。

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閏(うるう)2月下旬、佐々木善綱(ささきよしつな)に、その警護の番が当たっていた。

御座所の中門の警備を行っているうちに、どういう出来心(できごころ)からか、彼の心中にある野心が宿った。

佐々木善綱 (内心)ふーん・・・「重大ニュース! 佐々木善綱、先帝陛下を隠岐島から連れ出し、陛下の命を受け、倒幕軍を旗上げす!」か・・・ふーん、なかなかオモシロイ・・・いっちょやってみるかぁ? でもなぁ、陛下に接触する手だてがないわなぁ・・・うーん、いったいどうしたら・・・。

そのように思いわずらっているところに、ある夜、先帝から、お側づきの女官を介して佐々木善綱に盃を下された。

佐々木善綱 ややや、もったいなくも、先帝陛下からわしみたいなもんに盃とは・・・いやいやぁ・・・(盃をおし頂きながら頭を下げる)

佐々木善綱 (内心)もしかして、これは天から与えられた絶好のチャンスかも。

佐々木善綱 ねぇねぇ、ちょっとちょっとぉ。

女官 はい、はい?

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)あのな、これは、ここだけの話にしといてくれよぉ。

女官 (ヒソヒソ声で)はいー。

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)今、日本のあちこちで倒幕運動が起こってるの、陛下はまだご存じじゃないのかなぁ?

女官 (ヒソヒソ声で)エーッ、と、倒幕ぅ?

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)そうよ・・・まず河内(かわち:大阪府南東部)では、楠正成(くすのきまさしげ)が金剛山(こんごうさん)に城を構えてがんばってやがるわなぁ。関東から軍勢100万がやってきてな、2月の初めからその城を攻め続けてるんだけどなぁ、城の守りがものすごく固くて、攻め手側はヒイヒイ言うててな、幕府側陣営からはボロボロ脱落者が出てるって話だわな。

女官 (ヒソヒソ声で)ヘェー!、脱落者がなぁ・・・。

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)備前(びぜん:岡山県東部)ではな、伊東惟群(いとうこれむら)が三石(みついし)っちゅうとこに城を構えて、山陽道(さんようどう)をふさいでしまいよった。播磨(はりま:兵庫県南西部)では、赤松円心(あかまつえんしん)が護良親王(もりよししんのう)の倒幕命令書を錦の御旗にふりかざして、摂津(せっつ:兵庫県南東部+大阪府北部)まで攻め上ってな、兵庫(ひょうご)の摩耶(まや)っちゅうとこに陣取ってるわな。その兵力はすでに3000余騎にも達しててな、その勢いでもって、京都にプレッシャーをかけ、近隣を制圧して威を振るってるって話だぞ。

女官 (ヒソヒソ声で)いやぁ・・・ほんまですかいな!

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)それだけじゃぁないよぉ。四国では、河野(こうの)一族中の土居二郎(どいのじろう)と得能弥三郎(とくのうのやさぶろう)が、倒幕の旗上げをしたそうな。その討伐に向かった長門国(ながとこく:山口県北部)駐在・中国地方執務本部長の北条時直(ほうじょうときなお)は、大敗けしてしもぉて、行方不明になってるらしいわ。

女官 (ヒソヒソ声で)ふーん! 知らんかったわぁー・・・。

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)それからというもんは、四国中ことごとく、土居と得能になびいてしもぉてな、連中もうすぐ、大船を整えて、隠岐まで陛下をお迎えに来るんじゃなかろうか、いや、まずは京都へ攻め上るんだろうよとか、世間にはあれやこれやと、いろんな情報が飛び交うとるわな。

女官 (ヒソヒソ声で)そうでしたんかいなぁ・・・。それにしても、いったい、あんたはん、なんでこないな事を、ウチに教えてくれはりますのん?

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)先帝陛下の御聖運がついに開かれる時が来たのかなぁとか、そりゃぁ、わしだってイロイロと考えるわなぁ・・・どうだろうな、わしに当直の当番がきてる間にだな、陛下がこっそりここから脱出されて、千波湊(ちぶりみなと)へ向かわれるってな筋書きは?

女官 (ヒソヒソ声で)そっから先は?

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)千波湊から船に乗られてな、出雲(いずも:島根県東部)か伯耆(ほうき:鳥取県西部)のどこかの海岸へ、風にまかせてたどり着かれてだな、そのへんの力のある武士を味方につけた上で、しばらく天下の情勢をうかがってみるだわ。

女官 ・・・

佐々木善綱 (ヒソヒソ声で)その後からな、わしは、おそれながら先帝陛下を追跡するようなふりして島を脱出して、すぐに陛下のもとに馳せ参じるだわ。

女官は、佐々木善綱から聞いた事の一部始終を、後醍醐先帝にとりついだ。

後醍醐先帝 (内心)佐々木善綱がそないな事を・・・しかしなぁ、どうも信用できひんなぁ。うまいこと言うて、わしを陥れたろっちゅうコンタンとちゃうやろか。

先帝は、佐々木善綱の本心を確かめるために、かの女官を善綱に与えた。

佐々木善綱 えーっ・・・わしみたいなもんに、陛下のお側におられた女性を・・・こりゃぁ身に余る光栄だわなぁ。

彼女への愛はいやが応にも高まり、善綱はますます、先帝への忠烈の志を表した。

後醍醐先帝 (お側の者に)よし、善綱にな、こう伝えてこい。「そういう事やったら、お前がまず出雲国へ渡り、わしに味方するもんらを集めて、ここまで迎えに来い」とな。

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佐々木善綱はすぐに出雲へ渡り、塩冶高貞(えんやたかさだ)に全てをうちあけ、彼を仲間に引き入れようと試みた。しかし、高貞はいったい何を思ってか、善綱を一室に閉じ込めてしまい、隠岐へ帰そうとしない。

後醍醐先帝 (イライライライラ・・・)(内心)もぉ! 遅いやないか、善綱! いったい、いつまで待たすんや!

しばらくはじっとガマンして、善綱の帰りを待ってはみたものの、彼からの便りは完全に途絶えたまま、どんどん日が過ぎていく。

後醍醐先帝 エェィ、もぉ待っとれんわ! こないなったら運を天にまかせて、隠岐島脱出決行や! 忠顕、即刻準備にかかれ!

千種忠顕(ちぐさただあき) ハハッ!

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いよいよ、決行の夜となった。

出産が近づいてきたゆえに、廉子(れんし)后が御座所から他所へ移るのだ、という事にして、その輿(こし)に先帝は乗り込まれ、千種忠顕(ちぐさただあき)だけを伴い、夜闇に乗じて密かに御座所を脱出。

千種忠顕 (内心)うーん・・・このままではまずい。

千種忠顕 陛下。

後醍醐先帝 うん、なんや?

千種忠顕 このまま行ったんでは、人から怪しまれますわ。それに、陛下の輿をかつぎ申し上げる人間もおりませんし。陛下、まことにおそれ多い事ですけど、陛下自らのお御足(みあし)でもって、歩いて行かれました方が・・・。

後醍醐先帝 よっしゃ、わかった!

というわけで、途中輿を止め、先帝は地上に下りられた。

もったいなくも十善の天子が玉の御足を草鞋(わらじ)の塵に汚し、泥土の地をおん自ら踏みしめられながら行かれるとは・・・あぁ、なんとおいたわしいことであろうか。

時は閏2月23日、月の出前の闇夜。方角も分からぬままに、遠い野の道をさ迷いながら歩いてゆく。

後醍醐先帝 (ハァハァ・・・)もう相当・・・(ハァハァ・・・)来たんとちゃうかい?(ハァハァ・・・)。

千種忠顕 いえいえ、まだまだ。輿から下りられた時、すぐ近くに滝の音がしてました。その水音がまだ風に乗って、ほのかに聞こえてきておりますよ。

後醍醐先帝 もうそろそろ、追っ手がかかっとる時分やろぉなぁ・・・(ハァハァ・・・)はよ、先に行かんとあかんなぁ・・・(ハァハァ・・・)。

恐怖のあまり、一足でも前へと、心だけはあせられる先帝であるが、このような長距離の歩行にはお慣れになってはおられない。全く見知らぬ道をたどるその行程は、まさに夢路を行くかのような心地。ちょっと歩かれては休息、また少し歩かれては休息。一向に、先に進まない。忠顕は先帝の手を引き、その腰を押しながら、

千種忠顕 (内心)あぁ、今夜中に何としてでも、千波の湊まで、たどりつかんとあかん! あぁ!

しかし、彼のあせりも空しく、二人は心身共に疲れ果て、野道の露の中を徘徊(はいかい)するばかりである。

夜は更に深くふけてきた。と、その時、

鐘 ゴォォォォーーーン・・・。

月光に和して、寺の鐘が響いた。

千種忠顕 あのへんに寺があるということはですよ、その近くにきっと、民家も少しはあることでしょう。とにかくあっちの方へ行って、道を聞いてみましょう。

後醍醐先帝 (ハァハァ・・・)お前に任す・・・(ハァハァ・・・)。

ようやく、一軒の民家にたどり着いた。

千種忠顕 (家の門を叩く)

家の門 ドンドンドンドン!

千種忠顕 おぉい、この家の主はおらんかぁ!(家の門を叩く)

家の門 ドンドンドンドン!

千種忠顕 道に迷ぉてしもたんや、道教えてくれやぁ!(家の門を叩く)

家の門 ドンドンドンドン!

千種忠顕 千波の湊へは、どっちの方角に行ったらえぇんやぁ?!

男 あぁ、あぁ、ちょっと待って、待ってよぉ! 今、開けるから。

家の中から、身分の低そうな男が一人出てきた。

彼は、忠顕の後ろに今にも倒れそうに佇んでいる先帝の姿をちらと見て、道理をわきまえぬ野人といえども何となく不憫に思ったのであろうか、

男 千波湊までは、ここからわずか50町ほどだけどなぁ、ここから先は、道が南北にたくさん分かれているからな、あんたらきっと、迷子になってしまうわなぁ・・・よしよし、おいらが案内してあげますわ。

男 さ、そっちのお人、おいらの肩に乗りなさい、湊までおぶってったげるわな。

男は先帝を軽々とおぶり、程なく3人は千波湊へ到着。

時刻を知らせる太鼓の音を聞けば、まだ午前4時である。

千種忠顕 (内心)あぁ、間におぉたぁーーー(ホッ)。夜明けまでには、まだ時間があるわ。

千種忠顕 さてさて、次は船や、船、船はと・・・。

男 ちょっくら、ここで待っててください。おいらが、船見つけてきますから。

男は、かいがいしく湊の中を走り回り、これから伯耆国(ほうきこく:鳥取県西部)へ戻る予定の商船を見つけ、船長といろいろかけあって、話をつけてきた。

男は、先帝と忠顕をその船の屋形内に導いた後、いとまを告げて帰っていった。

先帝を助けたこの男は、まさに普通の人間ではなかったのだろうか、先帝が後に天下を平定された時に、「あの男こそは最高に殊勲ある者やから、厚く賞さんといかん、隠岐島中探して見つけてこい」と、仰せられたにもかかわらず、「あの時、陛下を背負い申しあげたのはこの自分です」と名乗り出る者は、ついに現れずじまいであったという。

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夜明けとともに船長は、とも綱を解いて順風を帆にはらませ、湊の外に漕ぎ出した。

船長 (内心)あの屋形の中にいる人、どう見ても、タダの人じゃぁないわなぁ。

船長は、屋形の前にかしこまっていわく、

船長 このような時に船のご用をおつとめするのは、わしらにとっては、生涯の面目とでもいうもんですわな。さて、船をどちらの方に向けましょう? どこの海岸へでも、おっしゃる通りに、船の楫(かじ)を向けますわ。

千種忠顕 (内心)まいったなぁ、感づかれてしもぉたか・・・。こっちの正体を隠し通したら、かえって悪い事になるやろな・・・。あのかんじやったら、こっちの味方になってくれそうや・・・。よぉし、思い切ってほんまの事うちあけてもたれ!

千種忠顕 あのな・・・もっとこっちい、寄れや。

船長 はいはい。

千種忠顕 ここまで感づかれてもたからには、もう隠してても、しゃぁないわな。実はな、あこの屋形の中にお座りあそばすは、誰あろう、日本国の主や。もったいなくも十善の君、天皇陛下やねんぞ。

船長 エーッ!

千種忠顕 お前らもうわさには聞いてたやろ、陛下は昨年からな、佐々木清高の館内に囚われの身になってはったんやわ。それをこの千種忠顕がお助け申し上げ、脱出してきたんやがな。

船長 うわぁ。

千種忠顕 出雲から伯耆の間のな、どこでもえぇから適当な湊に向け、船を最高速で走らせい! 陛下の御運が開けはった暁には、必ず、お前らの事を私から陛下に申し上げてな、お前らを武士の身分に取りたててもろたるから。そないなったら領地も、もらえるぞ。

船長 うっひょー!

船長は喜色満面、取舵面舵(とりかじおもかじ)取り合わせ、帆にいっぱいの風を含ませて一路、船を走らせた。

海上すでに2、30里も来たかと思われる時、同じく追い風に帆をはらませた船10隻ほどが、出雲・伯耆の方角を目指してやってきた。

船長 (内心)ムム・・・あの船団はいったい? 九州へ行く船か、それとも商船か・・・いやいや、違う! 武装した連中らで満載だわ。あれはきっと、佐々木清高が放った追っ手の船じゃなぁ。

船長 こりゃぁまずいですよ。このままじゃ、あんたら、すぐにやつらに見つけられてしまうわ。さ、こちらにお隠れなされ。

船長は、後醍醐先帝と千種忠顕を船底に移動させ、その上に塩乾魚を入れた俵を積んだ。そして、船長と漕手たちはその上に立ち並んで船を漕いだ。

間もなく、追っ手の船1隻がこの船に追いつき、武士たちが船に乗り移ってきた。

追っ手・リーダー 今からこの船を臨検する!

船長 はい・・・。

追っ手の者らは、船内をそこかしこと捜索したが、先帝を見つけることはできなかった。

追っ手・リーダー どうもこの船には、先帝はおられんようだわなぁ。おい、怪しいカンジの船が通るの、見かけんかったか?

船頭 アヤシイって、いったいどんな?

追っ手・リーダー 身分の高そうな人を乗せた船だわ。

船頭 あぁ、そういえば、今夜の0時ころにな、千波湊を出港した船で、そんなカンジのがありましたなぁ。

追っ手・リーダー なにっ!

船頭 都の相当身分の高い人じゃろぉかねぇ、冠を着けた人と、立烏帽子(たてえぼし)をかぶった人と、二人乗ってたわな。その船だったら、今ごろはもう5、6里も先に行ってるだろうよ。

追っ手・リーダー 間違いない、その船だわ。すぐにその船を追跡せにゃぁ。おぉい、みんな船へ戻って、全力で前進!

追っ手の船は帆を引き張り、楫(かじ)の向きを変えて遠ざかっていった。

船長 ふー・・・やれやれ・・・これでもう大丈夫・・・いやいや、まだまだ!

海上1里ほどの彼方に、またもや追っ手の船が100隻ほど出現。こちらをめがけて、鳥が飛ぶごとくに追跡してくる。

船長 いかん! 全速力で前進だ。帆をいっぱいに張れ! 力の限り漕げ、漕げぇ!

万里を一時に乗り切らんと、帆をめいっぱい張り、漕手は必死で船を漕ぐ。しかし運悪く、風は弱まり、潮の流も逆に変わり、船のスピードは目に見えて落ちていく。船長も漕手もパニック状態に陥り、あわて騒ぐばかりである。

その時、後醍醐先帝が、船底から甲板にお出ましになった。

後醍醐先帝 よーし!

先帝は、身に着けたお守りの中から仏舎利を1粒取り出し、それを懐紙に載せて波の上に浮かべられた。

するとたちまち、

船長 おぁ! 風が、風が!

先帝の祈りを龍神が納受したのであろうか、海上にわかに風が起こり、先帝の乗る船を東へ吹き送り、追手の船を西へ吹き戻した。

このようにして、先帝は虎口の難を逃れられた。

しばしの航海の後、船は伯耆国の名和湊(なわみなと:鳥取県・西伯郡・大山町)に到着した。

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千種忠顕は一人で船を下り、付近の道行く人に声をかけた。

千種忠顕 おいおい、このへんにな、誰か、名のある武士はおらんか?

道行く人 そうだなぁ・・・このあたりだったら、名和長年(なわながとし)って人がおるけどなぁ。

千種忠顕 名和長年?

道行く人 うん。そんなに有名な人じゃないけどね、金はふんだんに持ってるし、親戚もおおぜいいるよ。それにな、実に思慮深い人って評判だわな。

忠顕は、名和長年の事を詳細に尋ね聞いた上で、やがて勅使として、名和のもとを訪れた。

千種忠顕 おぉい、誰かおるか!

名和家の者F はぁい、どこのどなた様が何用で、いらっしゃいましたんですかいなぁ?

千種忠顕 私は、勅使(ちょくし)である!

名和家の者F えぇ? ちょくしぃ?

千種忠顕 この千種忠顕、天皇陛下からの使いで来た。えぇか、この家の主(あるじ)、名和長年に次のごとく伝えよ! 陛下は隠岐島の佐々木の館を脱出され、たった今ここの名和湊に到着された。都におられた頃から、その武勇の評判を聞き及んでおられたゆえに、「名和長年を我の頼りとしたい」とのおおせやが、どうや?! 速やかに、返答を聞きたい。

その時、長年は、一族を集めて酒宴を催していた。

名和家の者F これこれ、こういうわけで。

名和長年 なにぃ、陛下がわしを頼ってこられたぁ?・・・こりゃぁ・・・うーん・・・。

忠顕の申し入れを聞いて、彼は考えこんでしまい、言葉を失ってしまった。

名和長年 ・・・。

そこに居合わせた長年の弟・長重(ながしげ)が進み出ていわく、

名和長重 あのな・・・。

名和長年 うん・・・。

名和長重 古(いにしえ)から現代に至るまで、人間の望むものはといやぁ、名誉と利得、この二つだけだわなぁ。

名和長年 うん・・・。

名和長重 もったいなくも、我ら名和一族を、天皇様が頼りにしてくださるってんだぞぉ。

名和長年 うん・・・。

名和長重 陛下の為に戦った結果、たとえ屍(しかばね)を敵の軍門にさらす事になったとしてもだよ、我ら名和一族の名は、後世に残るだわな。まさに生前の思い出、死後の名誉。ここはもう、迷う事無く決断して、ひたむきに陛下にお尽くし申し上げるってのが、スジじゃないかなぁ。なぁ、みんな!

名和一族20余人 その通り!

名和長年 ・・・そうか・・・よし! そういう事なら、すぐに戦の準備を整えんとなぁ! やがては、佐々木方の追手も、ここへ攻めてくるだろうしな。

名和家メンバーG でぇ、わしらの拠点をどこに?

名和長年 船上山(せんじょうさん:鳥取県東伯郡琴浦町)だ! 長重、お前すぐにな、陛下をお迎えに上がってな、陛下を船上山にお遷し申しあげろ。

名和長重 OK!

名和長年 他の者らは、戦の準備を整えて船上山に集合!

名和一族20余人 了解!

このように指令を出すやいなや、長年は鎧を着て外に飛び出していった。一族5人も、腹巻(はらまき)を着し高帯を締め、連れ立って後醍醐先帝のもとに向かった。

急な事ゆえ、輿の準備もできていない。やむを得ず長重は、鎧の上に網目の粗い薦(こも)を巻き、そこに先帝を背負い申し上げて、鳥の飛ぶが如くに、船上山へお遷し申しあげた。

そして、長年は近辺の家々に人を使わして、次のように言わしめた。

使いの者 うちの殿がある事を思い立たれてな、急に船上山に、食糧を運び上げなきゃならんようになってしもぉたわ。名和家の倉の中にある米を1俵運んでくれたもんには、銭500出すが・・・どうじゃ、やってみんか?

このように触れまわったので、方々からアルバイターが集まってきた。その総数5ないし6000人。全員、我劣らじとばかりに米を運んだ結果、たった1日で兵糧5000余石を、船上山の上に運び終えてしまった。

その後、長年は、家中の財宝を残らず近隣の民らに与え、居館に火を放った。そして一族150余人こぞって船上山に馳せ参じ、先帝の御座所を護った。

名和一族中に、名和七郎という謀略にたけた者がいた。

名和七郎 あのね、殿。わし、こちらサイドの兵力を大きく見せれる、うまい作戦を思いついたんだわな。

名和長年 おぉ、どんな作戦だ? 言ってみろ。

名和七郎 白い布500反ほど使って旗を作ってな、それに、ここいらの武士らの家紋を描いてな、そいで、あっちこっちに立てとくんだわ。そうすりゃぁ、兵力を実際よりも多いように見せかけれるでしょう?

名和長年 それはどうかなぁ・・・。まっさらの布で旗作るんじゃぁ、「あ、あれはにわか作りの旗だなぁ」って、すぐに見破られてしまうだろうて。

名和七郎 いやいや、松葉を焼く煙に布をさらしてな、黒くすすけさせとけば大丈夫。そうすりゃぁ、ずいぶん昔から家に伝わってる旗のように見えるわな。

名和長年 なぁるほど! オマエほんと、アマタいいわなぁ。

名和七郎 いやぁ、まぁ・・・デヘヘヘ。

さっそくその作戦を実行し、こちらの木の下、かしこの峰の上にと旗を立てていった。峰から吹く風に吹かれて、あちらこちらに旗が翻る様を見れば、

名和長年 ははぁ、こりゃぁ、カモフラージュ大成功だわな。船上山には大軍が充満してて、名和軍団、極めて強大なりってなカンジだわ。

名和一族一同 (Vサインを作りながら)イェーイ!

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