太平記 現代語訳 4-6 後醍醐先帝、隠岐へ

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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元弘2年(1332)3月7日、千葉貞胤(ちばさだたね)、小山(おやま)五郎左衛門、佐々木道誉(ささきどうよ)ら500余騎の警護のもと、後醍醐先帝の隠岐への旅がいよいよ始まった。

先帝に随行する者は、一条行房(いちじょうゆきふさ)、千種忠顕(ちぐさただあき)、そして、妃の廉子(れんし)のみ。他はすべて、甲冑を着用し、弓矢を帯びた武士ばかり、先帝の前後左右をビッシリと固めている。

七条通りを西へ、さらに、東洞院(ひがしのとういん)通りを南へと、車輪をきしりらせながら御車は進む。都中の貴賎男女は道路に並び、護送の列を見送る。

見物人A 幕府の連中ら、臣下の分際でありながら、一国の主を流罪にしよるんやなぁ!(涙)

見物人B ほんにまぁ、なんちゅうあさましい事やろか。(涙)

見物人C あぁ、おいたわしや。(涙)

見物人D こないにムチャクチャなことしてたら、幕府の命運、そのうち尽きてしまうでぇ!(涙)

あたり憚らず叫ぶ声は街路に満ち溢れ、みな、赤子が母を慕うがごとくに、嘆き悲しむ。それを耳にする警護の武士たちも、思わず哀れをおぼえ、もろともに、鎧の袖を涙で濡らしている。

桜井宿(さくらいじゅく:大阪府・三島郡・島本町)を通過する際に、

後醍醐先帝 おい、輿、止めぇ!

先帝はその場所で、川の対岸にある石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう:京都府・八幡市)を伏し拝み、祈念を込められた。

後醍醐先帝 (内心)南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)、どうか、京都へ帰還出来ますように!

石清水八幡宮に祭られている神様は、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と言う。これは、大和時代の応神天皇(おうじんてんのう)が、衆生救済の為に神の姿に化身されたものなのである。

後醍醐先帝 (内心)八幡大菩薩様は、「我、皇室の護(まもり)となり、代々の天皇を永遠に守護せん」との誓いを立てられたんやから、この自分をも、きっと、お護り下さるやろう。これから赴く先、都はるかかなたの隠岐島までも、きっと、擁護の眼差しを向けて下さることやろう。

このように、先帝は心強く思われたのであった。

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湊川(みなとがわ:兵庫県・神戸市)を通過する際には、福原(ふくはら)の旧都の跡(注1)を見物された。

後醍醐先帝 (内心)あの平清盛(たいらのきよもり)が政権を握った後、京都からこの湿り気の多い低地に、遷都を強行しよったんや。時の天皇陛下にまで、ムリヤリここへ引越しさせよってからに。ほんまにもぉ、なんちゅうやっちゃ! そやけどな、それから間もなく平家は滅んだんや。見てみぃ、天皇をないがしろにした奢りの結果、天罰テキメンやろがぁ!

このように思うと、心も少しはなぐさまれる先帝である。

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(訳者注1)平清盛は意図する所あって京都から福原への遷都を強行したが、なかなかうまくいかず、結局、京都に都を戻さざるをえなかった。
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印南野(いなみの:兵庫県南部)を前方に望みながら、須磨浦(すまのうら:兵庫県・神戸市)を通過。

後醍醐先帝 (内心)あぁ、ここがあの、源氏物語で名高い須磨かいなぁ・・・光源氏(ひかるげんじ)が朧月(おぼろづきよ)にちょっかい出したばっかしに、ややこしい事になってしもぉて、それが原因でここへ流されて、その後、秋を3回送った、というクダリの、舞台になったとこやなぁ。

後醍醐先帝 (内心)「海の波が自分の寝床まで押し寄せてくるような心地がして、涙を落としているわけでもないのに、枕が浮くような・・・」という、旅寝の秋を光源氏が悲しむっちゅうシーンがあったなぁ。なるほど、こないな感じやったんやぁ、ナットク(納得)。

 明石(あかし)の浦の 朝霧に
 遠く成(な)り行く 淡路嶋(あわじしま)
 寄せ来る浪(なみ)も 高砂(たかさご:兵庫県・高砂市)の
 尾上(おのえ)の松に 吹く嵐
 迹(あと)に幾重(いくえ)の 山川を
 杉坂(すぎさか)越えて 美作(みまさか:岡山県北部)や
 久米(くめ:岡山県津山市)の佐羅山(さらやま) さらさらに
 今は有るべき 時ならぬに
 雲間の山に 雪見えて
 遥かに遠き峯あり

先帝は、護送担当の武士に問われた。

後醍醐先帝 むこうに見えたる、あれ、なんちゅう名前の山やねん?

武士 ははっ、伯耆(ほうき)の大山(だいせん)という山でございます。

後醍醐先帝 よし、ここでしばらく輿、止めぇ!

先帝は、大山に向かって深く祈りを込めながら、心中で経文を読まれた。

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ある時は、鶏の声に目覚め、月光の下に田舎の茶店の前を過ぎ行き、ある時は、橋板に降りた霜を、馬の蹄に踏み破り・・・このようにして進行を急いだので、都を出てから13日目にして、出雲国(いずもこく:島根県東部)の見尾湊(みおみなと:島根県・松江市)に到着。

ここで船を手配し、隠岐島への渡海に都合のよい風向きに変わるのを待つこととなった。

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