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あなたがレースで最高の結果を出す唯一の方法:ピーキング

初めに

 あなたはピーキングという概念をご存知でしょうか?

 頂点という意味のピークに動名詞化するためのingをつけた言葉です。この言葉は狙ったレースにピークを合わせるという意味の言葉です。ピーキングという言葉、或いは概念がどのくらいの時代から使われたのかは私もよく分かりません。

 はっきりと言えることは、ピーキングという概念を明確に打ち出し、実際にピーキングをしっかりとやって選手に狙ったレースで最高の結果を出す技術に長けていたコーチがニュージーランドのアーサー・リディア―ド氏だということです。

 コーチリディア―ドはざっと上げるだけでもマレー・ハルバーグ、ピーター・スネル、ジョン・デイヴィス、バリー・マギー、ラッセ・ヴィレンなどのオリンピックメダリストを育て上げました。そして、興味深いことにこれらすべての選手がピークを合わせていないレースではローカルなレースでも負けることがしばしばあったそうです。

 誤解の無いように書いておきますが、決して普段は余裕をかましておいて大試合だけ本気で走ったのではありません。いや、戦略的には大試合だけ本気で走ったと言えるでしょう。ただ、ここでいう大試合だけ本気で走るというのは、戦略的な意味合いにおいてであり、決して普段は手を抜いて走っているのではありません。

 寧ろ、その日の全力を尽くして走っているのです。ただ、それでも本当に最高の状態というのは年に2回くらいしか作れません。逆の言い方をすれば、普段から俺は最高の走りが出来るという人はまだ自分の最高の状態を知らない人です。

 また種目で言えば、距離が長ければ長いほど、最高の状態が維持できる期間は短いです。期間だけではなく、幅も大きくなってしまいます。

 例えばですが、プロのマラソンランナーでも状態を外せばたまに市民ランナーに負けることがあります。これはオリンピック選手も例外ではありません。一方で、100mで桐生が市民ランナーに負けたという話は聞いたことがないでしょう?

 そして、この先も肉離れとかでもない限りそのようなことは起こらないと思います。

 私自身の人生を振り返ってみてもそうです。実はピークを合わせに行ったレースとそれ以外の差には雲泥の差がありました。ピーキングという概念について理解し、実際に意識するようになったのは高校生の時からです。ただ、この時は基本的には学校の部活で決められたスケジュールで決められた練習をやっていたので、匙加減程度にしか調整は出来ませんでした。

 最もピーキングというものに明確に取り組めるようになったのは、大学2回生で陸上競技部を退部して帰宅部になってからです。このシーズン、私は夏まで5000mを3本走って、うち2回は15分台です。一本はなんとか14分44秒で走っています。

 そして、10000mも9月に走って31分を超えています。ただ、そんな中10月には発熱、故障などで2週間くらい練習が出来なかった時期もありましたが、トータルできちっとやるべきことは出来ていたので、集中力を切らさずに予定通り11月、12月、1月と状態を上げていきました。

 11月の京都陸協記録会で14分35秒と立て直してきたのを皮切りに次の記録会で14分22秒、12月の10000mでも29分51秒71と自己ベストを0.15秒更新すると、年明けの谷川真理ハーフマラソンにピークを合わせて63分09秒、その後はピークを維持するようなトレーニングを積んで急遽出場した2週間後の丸亀ハーフで64分14秒、そして犬山ハーフマラソン64分2秒で3位と安定して力を発揮出来ました。

 ただ、ある意味では予定通りなのですが、3月の埼玉ハーフでは68分もかかってしまいました。人間は最高の状態を長く続けることが出来ない、そして距離が長くなればなるほどその落差も大きいことの良い証明です。

 この時は実はそもそも埼玉ハーフは予定になかったんです。ところが1月の谷川真理ハーフマラソンで川内優輝さんに勝って優勝した国立大学帰宅部生ということでマスメディアに大きく取り上げていただきました。

 そこで、当時所属していたアラタプロジェクトさんの方から埼玉ハーフに川内優輝さんが出場するから再びそこで勝負してほしいと言われ、快諾して強行出場したのです。人間頼られているうちが華と言いますしね。当時は大学生でしたが、「プロでやりたいなら、周りから担ぎ上げられて注目されてなんぼ」という気持ちがあったので、喜んで出ました。

 ただ、頭ではどこか限界があると理解もしていました。やれるところまでやってやろうという気持ちと「ちょっと厳しいんちゃうか」という頭がありましたが、結果は裏目に出た形です。レース後はあまりにも情けなくて、悔し泣きに泣きましたが、あれがなければ今こうやって「人間は最高の状態を長く維持することは出来ず、距離が長くなればなるほどその落差も大きい」ということが実体験として書けなかったわけなので、これもまた良しです。

 その次の年もトラックシーズンの5000mでは14分45秒とかかかりながらも、狙っていた上尾ハーフマラソンでは63分24秒で一般の部で優勝しました。このレースは実業団でもなく、関東の大学生でもないという理由だけで、後ろの方からスタートさせられました。しかも、あれって競技場スタートなんですよね。

 そして、いきなり転倒に巻き込まれて後ろから踏んづけられて起き上がれず少なくとも20秒はロスしたでしょう。アラタプロジェクトの人からは「位置取りも実力のうち、避けれたはずだ」と言われましたが、あれは無理ですよ。身動きなんか取れませんからね。前の選手がこけたら後ろからなん百人に押されて自分もこけるしかありません。

 今でも前でスタートしていれば62分台は出せたと思っていますが、いずれにしてもピーキングの正しさは証明されました。30kmで1時間31分53秒を出したシーズンは故障続きでレースに出れなかったので、比較対象がないのですが、10x1000m/400mをやっても3分05秒から3分ちょうど位でしか出来ていませんでしたし、12kmのテンポ走も16:00/

5kくらいでしか出来ていなかったので、まあ上出来だと思います。

 マラソンで2時間13分41秒の自己ベストを出したシーズンも夏まではトラックレースに出場して、10000m30分50秒台と31分22秒というワースト記録をたたき出しているので、このシーズンもピーキングが上手くいったと言えるでしょう。

 もちろん大失敗したレースもたくさんあります。ただ、失敗したほぼすべてのレースに言えることは、ピーキングに失敗したのであって、本質的に走力がなかった訳ではないということです。ピーキングが上手くいったから本来持っている力以上のものが出せたというのも事実なら、ピーキングに失敗したら自分が本来持っている力の半分も出せないというのも事実です。

 少なくとも競技者が狙いすましてレースに出場するのは、小学生が体育の持久走で走って誰が速いというのとは違います。小学生の持久走はある意味素の速さです。調整もしなければ、ウォーミングアップもろくにせずに用意ドンでスタートする。生まれつきの素質や幼少期の生活環境、サッカーをやっているのか野球をやっているのかという要素が左右する世界である意味では、陸上競技の面白さからはかけ離れています。

 陸上競技の面白さの半分は首から上、つまり頭にあるはずです。頭を上手く使ってトレーニングし、そしてピーキングをすることで勝ったり負けたり、走れたり走れなかったりするわけです。そこに面白さがあります。見ていると、ただ走っているだけに見えるかもしれませんがただ走っているだけではないのです。それが長距離走・マラソンの面白さです。

「ピーキングはゲームである」

 こう語ったのは先述のアーサー・リディア―ド氏です。そう、ピーキングとはゲームなんです。単に誰が速い誰が遅いという類の面白さはある意味では突き詰めればキリがありません。世界一にならないと意味がないし、さらに言えば世界一になり、更に出場する全てのレースで優勝しないといけないという話にもなってきます。

 一方で、ピーキングが上手くいったときの快感というのはまたちょっと別物です。自分がこれをこうやって、こうやってこうやればこのくらいで走れるはずだと思ったタイムでピッタリくるときの快感というのは本当に得も言われぬと言った感じです。ランダムではなく、狙って出すところに快感があり、そしてまた狙わないと本当に最高の状態なんて出せません。

 ちなみに、トレーニングプログラムビルダーウェルビーイングオンラインスクールアドバンスドオンラインスクールを受講された方やランナーズユニバーシティに登録された方の大半が一年後には劇的にタイムを伸ばされます。でも実はそのタイムの伸びの大半はピーキングから来るものなんです。そう、少なく見積もって95%の市民ランナーの方が自分の最高の状態を知らないんです。今回はあなたをピーキングという世界へと誘い、最高のあなたに出会えるように案内人を務めさせて頂きます。

古典的ピーキング

 ピーキングの歴史を紐解いても残っている記録はそう多くはありません。戦前のトレーニングの内容も一部残っていたりもしますが、戦前はまだまだ牧歌的な時代で肉体の強いものが勝つという時代です。1950年代に活躍したエミール・ザトペックというチェコ・スロバキアの選手がいるのですが、この選手なんかは全盛期にはとにかくレースに出るだけ出ていた選手です。

 エミール・ザトペック選手と言えば、インターバルトレーニング、或いは阪神ファンなら村山実投手を思い出す人も多いかもしれません。ザトペック選手の一つの特徴は力感あふれるそのランニングスタイルでまるでフランケンシュタインのような形相で(日本語風に言うなら鬼の形相で)序盤から苦しそうな顔をしながらも最後まで走り切ってしまうその走法にありました。阪神タイガースの村山投手も序盤から苦しそうな顔をしながらも9回まで投げ切ってしまうことから「ザトペック投法」と呼ばれました。

 そして、当時は冷戦時代の真っただ中でもあり、東側は一丸となって西側と闘おうという時代でもありました。これは科学技術の発展においてもそうですし、スポーツの世界でもそうでした。この時代に、東ドイツの運動生理学者が今では誰もが知っているインターバルトレーニングを考案しました。そして、同じく東側の人間のエミール・ザトペック選手が取り入れて1952年のヘルシンキオリンピックで5000m、10000m、マラソンの三冠を達成したのです。

「ゆっくり走ることはもう充分知っているんだ。僕が知りたいのは速く走ることなんだ」

というのはエミール・ザトペック選手の有名な言葉です。その言葉通りにマラソントレーニングのために400mを100本やったという嘘か本当か分からない伝説が残っています。実際には80本という説もあるのですが、どっちでも良いです。要するに、頭がおかしいのではないかというくらいインターバルトレーニングをやったということです。

 東側諸国ではこの流れがずっと残っていました。レースにたくさん出るということに関してもそうです。私のコーチのディーター・ホーゲンは1970年代東ドイツの中長距離界のホープでした。なんでも高校時代に5000mを14分10秒で走ったそうです。その時代のそのタイムは日本選手権の優勝タイムに近いタイムです。

 なんとも恐ろしいタイムですが、そんなコーチホーゲンは過度なスピード練習とレースによる弊害として、膝を痛め手術をしたものの競技生活はそこで終えざるを得ませんでした。現在68歳で今でも元気に走っておられますが、コーチ生活は早くも48年になりました。

 そんなコーチホーゲンが自身の経験と他の選手を観察してきた結論としてやはり多すぎるスピード練習は選手をダメにすると語っています。これはレースにおいても同様です。多すぎるレースは上手くいきません。

 話をザトペックの方に戻すと、ザトペック選手の活躍により、世界中でインターバルトレーニングが大流行し、年がら年中インターバルトレーニングをやり、レースに出る一種の宗教団体がポコポコと生まれました。宗教団体は言いすぎですが信者がたくさん生まれたわけです。そんな流れにくさびを打ち込んだのが先述のアーサー・リディア―ドです。

 よく言われる誤解としてリディア―ドはインターバルトレーニングを否定して、走り込みを推奨したと言われるのですが、これは誤解です。リディア―ドはインターバルトレーニングそのものを否定していません。

 彼が主張したのは「現在(1950年代から1960年代)多くの選手が過剰なインターバルトレーニングによって、オーバートレーニングや故障で結果が出ないばかりか、苦しいばかりで見返りのない練習によって走ることが嫌いになっている」という警鐘を鳴らしたのです。

 これは競技レベルでやっている選手でさえもそうだと思います。やっぱり人間の集中力は有限です。最高の状態が年に2回しか出せないのと同様に集中力の方も高い状態を長く続けることは出来ないので、年がら年中インターバルトレーニングで追い込み続ければ遅かれ早かれ走るのが嫌になるでしょう。

 まあ、脳内の神経伝達物質と受容体の結びつきが強くなるので、ある程度定期的に苦しい練習をやるとそれが快感になってきますが、とはいえ限度はあります。あまりにも追い込み続ければ遅かれ早かれ走るのが嫌になるでしょう。

 ただ、リディア―ドはインターバルトレーニングの前に走り込みをしっかりとすることで疲れにくい体が出来るので、インターバルトレーニングの効果も上がるし、こなせる本数も増えると述べていることから分かるように別にどちらが上、下というのは言っていません。インターバルトレーニングに偏るのがダメなのであって、インターバルトレーニングをしっかりとこなし、消化するための走り込みだというとらえ方もできるわけです。

 インターバルトレーニングの一つの特徴として効果が上がるのも速いが頭打ちになるのも速いというものがあります。要するに、走り込みばかりしている選手がインターバルトレーニングを導入すると初めは一気に状態が上向きになるが、その後すぐに頭打ちになり、そして過剰なインターバルトレーニングはオーバートレーニングや故障を引き起こすだけだと彼は主張します。

 この過剰なインターバルトレーニングというのは400m15本と比べて20本は多すぎるという意味合いではなく、インターバルトレーニングをする時期はある程度絞らないといけないという意味合いです。彼は4週間程度で十分だと言っています。多めに見積もっても6週間程度というところでしょう。

 またこれも注記として書いておかなければいけないところですが、リディア―ドの言うインターバルトレーニングとは一般の用語でいうところのレペティショントレーニングに該当すると思います。リディア―ドのインターバルトレーニングは基本的に全力に近いペースで走って、疾走区間と同じ距離のジョギングでつなぎます。

 ですから、彼の教え子のピーター・スネルは400m20本をアベレージ58秒でやったこともあるそうです。そして、リディア―ドいはくこれだけの練習はしっかりと走りこんでスタミナを養っておかないと出来ないぞということです。要するに、レースで結果を出すためにはもちろんインターバルトレーニングが必要になるけれど、良いインターバルトレーニングをこなすにはしっかりと走り込みの時期がないと駄目だということです。

 更に、走り込みしかやっていない状態からいきなりインターバルトレーニングをやる訳にもいきませんから、その前にヒルトレーニングの時期があります。ヒルトレーニングは小松美冬さんの『リディア―ドバイブル』を読んでもちょっと理解しにくい部分なのですが、平たく言えば短距離的な動きづくりや筋力トレーニングを登り坂を使ってやって、さらに下り坂で流しもやって、インターバルトレーニングへとなれていく、そして長距離選手なんだからつなぎは歩きじゃなくてジョギングでやりましょうというトレーニングです。

 要するに、インターバルトレーニングをやった時に綺麗に走れるように動きづくりをして、故障せずスピードが出せるように筋力トレーニングをして、スピードに慣れていくために流しをするというトレーニングです。この時期がまた4週間くらいあります。

 さて、では走り込みもやって、筋力トレーニングや流しもやって、レペティショントレーニングもやれば、試合で最高の力を発揮できるのでしょうか?

 これがさらにノーなんですね。後は疲労を抜きながら、タイムトライアルを入れてここまでに培った持久力とスピードを一つにまとめないといけないとリディア―ドは言います。「平井健太郎という男がいる」の無料ブログでも紹介した平井もこの手法を好んで使っていました。それこそ彼はピーキングの名手で5000m14分ちょうど、10000m28分36秒、ハーフマラソン62分30秒の全てが学生の全国大会で出した記録です。これはかなり稀有だといって良いでしょう。大半の選手の自己ベストは日体大記録会か静岡県長距離記録会ですが、選手権で出したタイムとは質が違います。

 その平井が言っていたことですが、「インターバルっていうのはある意味それで一つの競技やと思う」とのことでした。その原体験には報徳学園高校時代の練習があります。報徳学園高校では400m10本やったら64秒くらいのタイムで50秒くらいのつなぎでやってしまうそうです。勿論、ボロボロ落ちていって最後は2人くらいしか残らないそうなのですが、2人残ること自体が奇跡です。

 報徳学園高校は確かに強豪校の一つであり、強い選手もたくさんいました。ただ、それにしたって練習と試合のタイムが合いません。そういった経験から、ショートインターバルで速くなるということとレースの結果はまた別物という思いからタイムトライアル系のトレーニングを多く入れるようになっていきました。

 ただし、それでもやはり試合で最高の状態が出せるのは年に2回程度なのです。だからどうしたかというと、平井はレースで5000m13分台を狙うなら3000mまでで良いから8分24秒から20秒くらいで走れるようなトレーニングを組んだんです。10000mで28分台なら5000mを14分30秒から20秒です。

 なるほどなとは思うのですが、私はもうちょっとずぼらをして1000m10本を200mつなぎで2分55秒から2分50秒でできたら、10000mは28分台出せるんちゃうかというアプローチをしますが、いずれにしてもここで重要なのは休憩をはさんで速く走ることもゆっくり長く走ることも基礎でしかなく、最終的にはそれらをレースで使えるように加工していかないといけないということです。

 イメージで言えば、良い走りを作るための動きづくり、速いスピードを出したり故障しないための筋力トレーニング、レースペースよりもゆっくり長く走る持久力(総走行距離含む)、レースよりも短い距離を休憩をはさんで速く走るなどの練習は家を作るための材料です。この時、良質な材料を作らないと良い家が建たないのは言うまでもありません。

 ただ、最後はいくら材料が良くてもきちんと隙間なく組みあがらないとやはり良い家が建ちません。この家を組み上げる作業が疲労を抜きながら、タイムトライアルやテストレースを導入していく時期になります。お分かりいただけましたでしょうか?

 これがリディア―ドのピーキング術です。

 ですから、先にピーキングという考え方があって、どうやってピーキングしようかなと思いながらトレーニングを組んでいったわけではなくて、レースで最高の走りをするにはどうすれば良いかと考え、その要素を分解して、さらにその要素を組み立てる順番やその要素の長さというものを考慮に入れた結果たどりついたのが彼のトレーニングの期分けだということです。

 期分けという言葉が英語のperiod(期間)を動名詞化した言葉のPeriodizationピリオダイゼーションと書かれることもあります。呼び方はどうでも良いです。ピリオダイゼーションの方がかっこいいと思われる方はピリオダイゼーションと言っていただければと思いますし、期分けの方が覚えやすいという方は期分けと覚えて頂ければと思います。この期分けというのはそれぞれのトレーニングの時期において何に重点を置くかを明確に分けるという意味です。このトレーニングの期分けこそがピーキングの原点です。

 実はここまでは『池上秀志全集1』に収録されている『ピーキングの極意』という電子書籍の一部です。

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