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今だからこそ語れる債権回収の笑えない話(ロシアサンクトペテルブルク編)

みなさん、お元気ですか? 今年も4月半ばに差し掛かりました。
春本番の季節になってきましたね。

さて、今回は、「与信管理」をテーマに、過去の自分自身の実体験をご紹介させて頂きます。
今後も、このような過去の実例に基づいたお話を教訓事例として、披露させて頂きますので、宜しくお付き合い下さい。

前職の大手総合商社在籍時代に、数多くの債権回収に纏わる「オモシロ話」というか、失敗体験談を持っているわけですが、その中で本日ご紹介するのは、ロシアサンクトペテルブルクで経験した貴重な話を、ここでご紹介させて頂きます。
ロシア、ということで、今世界的に実にホットなエリアではありますが、現在起きているウクライナ情勢とは全く無関係な話ですので、その点だけは、ご理解下さい。

私がロンドンに駐在していた時期ですので、もうだいぶ昔の話になります。
ロシアの客先に延滞が発生し、債権回収交渉に臨む為、担当営業部・法務部署の方達と一緒にロシアのサンクトペテルブルクを訪れました。かつては、レニングラードとも呼ばれた、歴史ある街であり、世界的にも有名なエルミタージュ美術館がある場所でもあります。
何度か訪れた記憶がありますが、いずれもとても寒い季節(氷点下7度)であったと思われ、ウォッカの力を借りなければとても夜は凌げないような寒さであったと記憶しています。
余談ですが、ロシアのシャンパンキャビアという組み合わせも実に素晴らしかったですね。

さて、この債権回収交渉の話は膠着し、結局客先そのものからは債権回収の見込が全くなくなり、いよいよ残す選択肢として、メインの主要株主との交渉に臨むことになったんです。
それが、途中から参画してきたロシアの中小規模の銀行だったのです。
もう今はその銀行は消滅してしまっていると思われますが、その時の交渉場所は、その銀行の本社ビルの一室で、確かあれは代表(頭取)の部屋ではなかったか、と思います。

銀行マンとは全くかけ離れたイメージの男性(当時40前後)が目の前に現れ、秘書と思われる高級バーにいそうな派手な女性が付き添いで出てきたんです。
ここは、本当に銀行なのだろうか?
行員が働いているという雰囲気が建物内には感じられず、そして、最初に通ってきた入り口の門番は、機関銃のようなものを持った私的な警備員が配備されていたことを思うと、何か違うぞ、と今覚えば、そのような記憶が蘇ってきました。

その銀行は、客先のロシア企業のメインバンクも兼ねており、同時に筆頭株主(途中からそのポジションになった)として親会社の位置を占めているという非常に特殊な銀行でした。
早速、親会社としての債務保証の差入要求、並びに今後のリスケ交渉を受諾する証として、少額でも構わないので、まずは頭金の支払い(チェック)強硬に求めました。

相手方ののらりくらりかわす姿に苛立ちを感じた当方は、時折声を張り上げたり、机を叩いたりして、当方の強い意志を指し示し、再度翌日以降に交渉の仕切り直しを行う方向になり、その日はその場所を離れました。一瞬、相手が、頭金相当の小切手を切りそうな気配を見せたので、明日来れば、少額でも回収の見込みありと思ってしまったのも事実でした。

そして、我々の訪問団のうちで、当方が起用した現地のロシア人弁護士のコメントをその後聞いて、愕然としたことをよく覚えています。

「私は、明日の交渉には同席できません。本日の面談出席に係るフィーも要りませんので、この仕事から下ろして欲しい。
そして、その理由を聞いて、出てきた答えがまたまた衝撃的でした。

「ロシアンマフィアに睨まれたくない。今後の身の危険を感じる仕事には絶対に携わりたくない。みなさんもこれ以上の危険な交渉は差し控えるべきだ。」

何と私達は、日本で言えば、暴力団事務所債権回収交渉をしていたことになるんですよ。
当然、その日の夜は、ホテルに閉じ籠り、一歩も外出せずに、ホテル内のレストランで食事を済ませ、翌日も目立たぬように、早々にホテルをチェックアウトしたことを覚えています。

事前の下調べが完全に不足していたとは言え、「銀行」という名称に完全に騙されてしまったという失敗体験談になります。
もしあの翌日、その事実を知らずに、激しい債権回収の再交渉に臨んでいたとしたら、、、と思うだけで、ゾッとします。命あっての債権回収ですね。

与信管理には、入念過ぎる下調べやチェックはないということです。特にカントリーリスクの高い国との債権回収交渉には、身の危険を伴う交渉が現実に存在するということを、よくご認識頂きたいです。

また、機会を改めて、海外での債権回収に係る現場体験記を、ここでも紹介させて頂きます。宜しくお願いします。

Rユニコーンインターナショナル株式会社
代表取締役 髙見 広行