誕生日も自粛につきコロナに思うこと
桜は咲き、だんだんと暖かくなり、春と自分の誕生日と花粉症が到来するこの時期、一足先に面倒くさい奴がやってきて世界をぐわんぐわんにしてきた。おかげさまで「自粛」というなんだかよくわからない押さえつけられ感満載のムードの中、わけのわからないカタカナ英語が不安を煽り、飲食店を始め、軒並み友人の会社やニュースが悲鳴を上げ続け、そのネガティヴなモードに人はストレスが溜まり続ける。
ベーシックインカムだとかテレワークだとか個人の時代だとか、学校は必要がなくてYouTubeで勉強すればいいとか、そんなことをこの悪しきムーブメント以前に声高に叫んでいた著名人たちの先見の明に驚かされる
今まさにそんな時代に突入してるやん。
世界は緊急事態で極小企業や個人事業主は、毎日減っていく通帳の残高を戦々恐々と眺めているのだろうと思うと、胸が痛くなり、眺めるSNSは焦りを隠すように「がんばろう」という日本人が理由もなく愛する言葉を自分に投げかけている。
しきりに。
さて時代は変革期に来ている。友人の飲食店がテイクアウトを始めた。友人の会社がオンライン講座を始めた。友人がYouTubeを始めた。
焦りが伝わってきて余計怖くなるのだが、これは変化に対応する必然の行動で、本能的な防衛反応だと思う。
自分は昨年蒔いた種のおかげで無事生きているのだが、備忘録として記載しておきたい。極小経営者のひとりとして今一度、自分が強欲でないか、ビジネスを焦りとともに自分だけのものにしていないか、誰かのためになっているか、そういうことをこの時代だからこそ忘れず頑張っていきたいと思う。
デザインで救える世界があるかをこれを機に真剣に考えてみようと思う。
がんばろう まじで。
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