静かに、こぼれる。(琳×祐希)


私は、弥生からストレス発散を向けられていた。
それは弥栄学園……名前は違うが、海悠学園の中等部版の学校にいた頃から続いている。
初めてストレス発散を向けられたときは、辛かった。
普通に痛かったし、なんで私がこんな目に合うんだとも思った。
悲劇のヒロインぶっていた、と言ってもいいだろう。
私が先生に頼ろうとしてないのが悪いのに、ただされるがままになっていた。だから弥生たちは抵抗しない私にストレス発散をしていて――――そんな自分の立場に酔っていたのかどうなのかは今の私には知る由もない。
だが、夏が深まりつつある……学園祭が行われる時期には限界が近づいていた。
学校に行きたくない。
でも親が学費を払ってる以上行かなくてはいけない。迷惑もかけたくない。
弥栄に入った以上、海悠に入らなくてはいけない。
その思いだけで私は通い続けた。
そんな時、私の心の重荷を軽くしてくれたのが今は卒業してしまった海悠学園の3年生だ。
弥栄学園の生徒は海悠学園の学園祭2日目……生徒公開の時に行く権利があって、私は決められた班の人たちと話すこともなくただ後をついていった。
班の人たちとはぐれてしまい、今までの鬱な感情が溢れ出てきて、誰もいない階段の端っこに座り込んでいると現れた。
名前は知らない。ただ、その人の優しい言葉で私は頑張ろうと思えた。
中等部2年になると妹の祐未(ひろみ)が弥栄学園に入学してきて、人目を憚ったのか弥生からのストレス発散は激減した。
完全になくなったわけではないが、それでも去年よりは幾分もマシだ。
「……お姉ちゃん。お姉ちゃんはこのこと先生に言わないの?」
人通りの少ない広めの廊下を歩いていると、祐未が心配そうに聞いていた。
私は笑顔を作った。少しでも平気だということを証明させてあげたかったのだ。そんなことをしても無駄だとは思うが……ここで認めてしまっては、駄目だと思った。
「大丈夫。取り巻きはともかく、弥生の評判の良さもあるし影の薄すぎる私の発言気にする人なんて……」
「なんでそういうこと思うの!そんなことない!なんだかんだ先生だってちゃんと対応してくれる!」
「本当に対応してくれる、っていう確証がないしいいよ。大丈夫大丈夫」
「……祐未が先生にチクってやりたいけど、それでその外面だけいい性悪女狐がお姉ちゃんに当たりに行ったら困る……クッソ、こっちが黙ってたらいい気になりやがって……地獄に堕ちろ禿げろつーか毟ってやる……見てろよ空手極めてちぎって投げてやる……」
祐未はブツブツと汚い罵倒を並べてる。相変わらず口が悪い子だ。
というか性悪女狐って……。あながち間違いでもないから否定できない。
……自分も人間だなって思う。善人ぶってるくせに善人になりきれない、なんて中途半端なんだろう。
これならまだ祐未みたいに割り切って堂々と悪口言ってる方がいいのかもしれない。
悪口なんて言っていいものではないのだが。
「お姉ちゃん、祐未の目が届く限りだけども守るからね。そのために空手習い始めたんだし」
「祐未にこれ以上迷惑はかけられない」
「何言ってるの。いつも祐未を守ってくれたお姉ちゃんに恩返しするんだからそんなの知らないし」
「……でも」
「祐未が守る。守るって決めた!性悪女狐になんか負けるものか!だから​───────」
祐未の声が遠のく。続きが聞こえない。
ああそうか、これは夢か。
重要な言葉が聞こえない――――けど、この続きは私の記憶に深く、深く、刻み込まれてる。


「『お姉ちゃんもあんな奴に負けないで』か、………私、負けてるじゃないか……」
結局私が海悠学園に入学して、祐未がいなくなった途端3年前の時のようにストレス発散を向けられて、寮長に見つかって、琳や空たちが既に在住していた渚寮に逃げ込むことになって……これは“負け”だ。負け以外の何だという。
結局私は守られていたから、安心しきっていた。

「――――――祐希?」
優しい声音にぼんやりとしていた意識が覚醒した。
目を開くと、無造作にセットされてる黒髪にパッチリした目。完全に美少女に見えてしまう空とは違っていて男らしさが感じ取れる可愛い顔立ち。寝起きの私の目をチカチカさせるのに十分だった。そんな見目麗しい少年、茅野琳のモーニングコールで目が覚めた。
「………………おはよう、琳」
「おはようー、祐希。もう8時だよ?休みの日だからっていつまでも寝てたらもったいないよー」
「……そうか、もう、8時なのか」
昨日私は9時には寝た記憶が……随分と寝たな。寝すぎて頭痛い。
ガンガンと打ち付けられる頭痛をこらえながら上半身を起こす。
「祐希、少しうなされていたよ。あと、寝言で……」
「……寝言?」
「……ううん、なんでもない。気にしなくていいよ」
琳は首を横に振ってにっこりと笑顔を浮かべる。いつ見ても癒やされる笑顔だなぁ。
琳のエンジェルスマイルに誤魔化されそうになったが、私何か変なことでも言っていたのだろうか。記憶にない。
……気になるけど、考えたところで思い出せないしいいか。
掛け布団から足を出して床に着き、立ち上がろうとしたが上手く力が入らなかった。
……疲れてるんだろうか。
「祐希」
琳が私の隣に座る。ベッドのスプリングが軋んだ。
なんだなんだ、と私が思っていると
「俺をギューって抱きしめて!」
両手をバッと広げて言った。
「……は?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
あまりにも唐突すぎた。びっくり。驚愕。
琳は勉強のしすぎで頭がオーバーヒートしたのか……?だとしたらこれは、病院に連れて行ったほうが……。
「ほら、おいで祐希!」
「……い、いや、なんで?なんでそうなる?」
動揺している私なんて気にもしない琳に問えば、キョトンとした表情をする。
それがなかなか可愛かったしまた癒された。
「だって、祐希泣きそうだから……」
物憂げな表情で呟くと「だから、ほら、おいで!」パっと変わって明るい笑顔で同じ言葉を繰り返した。
なんで。そんなのわかるんだ。
「……大、丈夫。私こう見えて涙は赤ん坊の時に全て流し尽くしたから」
「強がるのはダメー。泣きたい時は泣かないと……辛いよ。だから、ね?」
小さな子供に言い聞かせるような優しい口調だった。
……やめてくれ。そんな風に、優しくしないでくれ。優しさを向けられると泣きそうになる。泣かせないでくれ。頼むから。
そんな悲痛めいた言葉はぐっとこらえて精一杯の笑顔を作った。下手くそ過ぎて引きつってる。
「……私は大丈夫だから。空たちのところに行ってきなよ」
「泣きそうな女の子ほっとくなんて出来るわけないよ」
「……本当に、大丈夫だから」
これ以上私を惨めにさせないでくれ。
これ以上私を弱くしないでくれ。
ただでさえこの環境に移ってから、甘え放題になってしまったし、涙腺が緩んできているんだ。
私は俯いてひたすら琳の優しさを拒んだ。
「……意地っ張り」
ポツリ、琳がそう呟いたと思えば琳の胸板に顔が当たっていた。抱き締められていると理解するのにそう時間はかからなかった。
突然のことに一瞬息をすることを忘れる。
「祐希は泣き顔とか見られたくなさそうだから、泣き顔は見ないようにするためにはこうしないといけなくて……嫌だったらごめんね。でも、今祐希が泣かないと壊れちゃいそうだから……」
耳元で琳の声が鮮明に聞こえる。
心臓がバクバクしていてうるさいけど、琳のお日様みたいなあったかくて優しい香りで、トクントクンと心臓の音が聞こえるとなぜか安心してきて、涙腺が刺激されて……静かに涙が流れた。
「っ……」
琳は前、私に『優しいね』と言ってくれたが、こういうことをやってのけてしまう琳の方がずっと優しい。
静かに泣いている間、琳は優しい声音で言葉を紡いでいた。心地よいリズムは嗚咽を漏らす私の呼吸を少しばかり整えてくれる。
「……たくさん泣こう。泣きじゃくって……泣いた分笑おう。そうしたら気分が晴れると思う。……あくまで俺の体験からなんだけどもね」
「……琳は」
「ん?」
「……なんでも、ない」
『琳はそういう体験をするような“何か”を体験したことがあったのか?』……なんてことは聞けなかった。
今はただ琳の優しさに甘えたかった。
女々しいと言われても、弱い奴だと言われてもいい。
今だけどうか、甘えさせてくれ。



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