雷雨も君となら平気(空×祐希+ナツキ)

「うっわ、雨すご……」
 海悠学園内の一階廊下。外ではそれはもう、滝のように激しい雨が降っていた。これから絶対にびしょ濡れになるであろう靴と靴下のことを思うと溜め息が出る。
 今日は雨が降らない予報じゃなかったっけ。……まあ仕方ないか、当たらないこともある。私の場合折畳み傘がいつもカバンの中に入ってるから天気予報が外れようが当たろうがどっちでもいい訳だが。なんて考えながら一年の生徒玄関に歩を進める。
 雨が強いけど弱まるのを待ってるのは時間が惜しい。それならさっさと帰るのが一番だろう。そう思った私は、一年の生徒玄関前に着くと折畳み傘をカバンから取り出そうとした​────ふと、赤い色が視界に入る。よく見ると赤い色は髪の毛の色で、線が細い小柄な人。
 私は一年生の中に赤髪で線が細い小柄な人は一人しか知らない。……いや、正直言うと一年生を全員把握してないけど。それでも髪の毛を赤にするような人はそうそういないから判別がついた。
「空?」
 私がそう言えばその人は振り返る。大きくパッチリした目が瞬いていて、誰がどう見ても美少女……顔の美少年、夜霧空。
 美少女顔に幼さがプラスされているせいで中学生にしか見えないが、来年の二月十一日で十六歳になる立派な高校一年生。
「……なんだ、窒素女か」
「なんだとはなんだ」
 空は私を見てジト目になる。なぜ。
「傘、ないのか?」
「まあな」
 どこか寂しそうに言う空。色んな運動部に助っ人として参加してるだけあり顔が広く友達多いのに、こうやって一人でいるのは珍しいものだ。私が見かける時は大体誰かと一緒にいることが多いから余計にそう感じる。
 琳は確か、委員会の仕事があったんだっけ。と空の唯一無二の大親友であるマイナスイオンボーイ茅野琳の姿を思い浮かべた。今の空の姿が捨てられた子犬に見えてきたので、私は上靴を脱いで下駄箱にしまいローファーを持って空の隣まで移動する。
「なら私と一緒に帰るか?」
「お前傘あんの?」
「なんと、折畳み傘がカバンの中に!」
「へえ、そりゃ助かった。なら帰ろうぜ」
 少しテンション上げて言ってみたら華麗にスルーされた。でもさっきより嬉しそうな感じに見えるし、よしとしよう。
 私が靴を履き、空が立ち上がった瞬間​───────稲光。ゴロゴロと、爆音が空上で轟いた。
「っ!」
 空は雷の音によほど驚いたのか私にしがみついてきた。何だこの状況。
「……雷、怖いのか」
 尋常じゃないくらいビクビクしてる空に聞いた。
「ここここ、怖くねえよふざけんな」
 強気な口調だが、口角をひきつらせてどもらせているので台無しだ。
 素直になれば優しくしようと思ってたが、そう強がるなら少し厳しくなってしまう。
「だったら離れてくれないか?」
「……お、お前が怖いと思ってだな」
「私は雷怖くない」
「……」
 空は固まった。空はどうせ強がりだろと言いたそうに、しかしどこか不安げに瞳を揺るがせている。そんな目で見られてもな.......本当に雷とか怖くないんだ。さっきも「あー雷鳴ってるなー」程度にしか思わなかった。
 結局何も言わない空だったが、男してのプライドをどう守るか必死に考えてるのか黙り込んでしまった。なんだか可哀想に見てたから厳しくするのもこれくらいにした方が良さそうだ。
「大丈夫だ。怖くない。私がついてる。とりあえず雷が止むまで待つか」
「うるせえ……」
 優しく言ったのにこれだ。なんて奴だ。でも本当に怖がってるようなので待つ。

   体が小刻みに震えながら私にしがみついたままの空を横目に息を吐くことしかできない。
 離れて欲しかったのは本心なので優しく声掛けして離れてもらい、下駄箱の真ん前に腰掛ける。すると空も続いて腰掛ける。私と距離が若干近い。肩がくっつきそうだ。可愛いのは顔だけじゃないようだ。
 外靴と上靴を履き替える境目には段差がついてるおかげで軽くスカートを押さえるだけですんだ。中に見せパンは履いてるけど、やっぱ一応女だから恥じらう。
「そういえば、誰か待ってたのか?」
「琳を待ってたんだよ。雨降ってるし、琳は折畳み傘持ってるから入れてもらおうと思って」
「あーなるほど」
「……お前はさっさと帰ってもいいんだぜ? 俺は一人でいい」
「雷に怯えてる空を一人にすることはできないな」
「……無駄に男前で腹立つ」
「マジでか。私男前? ありがとう」
「窒素のことなんか褒めてねえから」
「私は気体じゃないからな? どっちかというと固体の方だからな美少女?」
「俺は女じゃねえ!」
 とりとめのない話を繰り広げてると、ピカッとまた稲光。そしてゴロゴロと大きな音が轟く。
 次の瞬間、空は私にしがみついてきた。デジャブ!
「……大丈夫か?」
「……」
 声をかけたが俯いて反応はなし。ここはそっとしておこう。そう思った瞬間
「……だせえよな」
 空はポツリ、呟いた。
「だ、ださい?」
「俺が」
 私から離れると、俯いたまま喋り出す。
「男のくせに、雷なんかにビクビクしてよ」
「……昔の人は雷を神の怒りだーって怯えてたし、別にいいんじゃないのか?」
「それなんか違えから。単純に、ただの自然現象にビクビクしてんのが男らしくねえっつってんの……」
「……」
 私は何も言えなくて、黙って聞くことしかできない。
「こんなんじゃいつまで経っても女と間違われる……」
 と、思っていたが。そう空が言った時、なぜか無性にイラッときた。
「……空」
「……んだよ」
「そうやって女々しく愚痴ってる方が、男らしくないと思うぞ」
「っ」
 空が私の方を向く。これは少し傷ついた顔だ。
 あーこれは、ダメだったか。いや、言ってやる。言った方が空のためになる。私はそう信じる。
「『男らしくなりたい』って思ってることはいいことだ。女々しくてもそれはそれで全然いいと思うけど……って、そうじゃなくて。……でも、世の中、男の中の男!って人だって苦手なものがあるんじゃないか?   空と同じでお化けが怖かったり、雷が怖かったり。だからお化けや雷とか怖くてもいいとは思う。空の目指す〝男らしさ〟がなんなのかよくわからないけど、苦手なものなら堂々と苦手だと言えることも男らしいと思うぞ。あくまで私の意見だが……」
 あれ、自分でも何言ってんのかわかんなくなってきた。もうこれ以上はやめよう。
 一方的に喋ってしまったことを後悔し、空の今の表情を改めて見る。
 目を丸くしてきょとんとしてる。正直可愛いと思ってしまった。すまん空。
「……とに、かく。苦手なものを受け入れるのも強さの一つなんじゃないか?」
 前に視線を戻し、視界には一年五組の生徒が使ってる下駄箱が映る。あ、漆島松江と穂積芳野のところにまだ外靴入ってる、なんて余計なことを考えつつ、空なら『上から目線だなコノヤロー』と私の言葉に思ってそうだなとも。
「上から目線……お前ほんと、腹立つ」
 空はそう言った。うん、予想通りっちゃー予想通りの発言。だが、
「………………ありがとな」
 長い長い間を経て、素直なお礼の言葉を述べたのだ。ビックリした。
 心に響いたのならよかった、かな。心なしか安堵していた。空はきちんと受け入れることができるんだ。強いよ、本当に。
「……なにやってんだよ」
「え」
 空の訝しげな声にハッと我に返り状況を確認すると、空の頭を撫でていた。そりゃもう、犬のようにわしゃわしゃと。完全に無意識下だった。
 染めてる髪だからもっとキシキシしてるかと思っていたが、いざ触ってみると意外と嫌いじゃない触り心地。もう少し堪能したかったが、空がジトーとした目で見てるいるため撫でるのはやめた。残念無念。
「や、なんとなく撫でたくなった」
「意味わかんねえし」
 ですよね。
 私が苦笑いすると「でも」空はすかさず言葉を付け足す。
「……ゆ、祐希なら、別に撫でててもいいぜ」
 視線を外し、照れ臭そうに、髪の毛のように頬は赤くして、空がデレた。というか今、久しぶりに名前呼ばれた。
「そ、そうか」
 どう対応すればいいのかわからないからそう答えるしかできなかった。
 あれ、なんか今フラグが立ってる? いやいややめてくれ。空は私のこと窒素とかアバズレだとか言ってるしそんな訳……で、でも漫画とかだとこういうキャラに限って悪口は照れ隠しとかで本当は好きだとかなんとか…………いや、やっぱない。漫画じゃあるまいし。空は妹……じゃなくて、弟みたいなものだしな。
「一応言っておくけど、勘違いするなよ。俺は別にお前が好きだから撫でてもいいとかじゃねえから。信頼してるから撫でてもいい。っつー意味だから」
 慌てふためく私に空からバッサリと否定の発言が飛んできた。
 いや、わかってる、わかってた。そんな烏滸がましい勘違いはしない。……信頼してるから、か。正直そう思ってくれてる事の方が、ずっと嬉しいな。
「じゃあ琳もいいってことか?」
「もちろんだ」
「慎は?」
「……あー、まあいいか」
「芽吹さんは?」
「いいぜ」
「時雨さんは?」
「いいに決まってる」
「じゃあ……」
「……俺は?」
「いいぜ……って、ナツキ!?」
 自然に、私と空の間くらいでしゃがみこんでるナツキさんが会話に入ってきてた。
 気配なくて本当にビックリした。あまりにビックリして後ろに倒れそうになってしまい、さりげなくナツキさんに支えられた。イケメンすぎるよナツキさん。あっ、顔から既にイケメンだった。
 私の体勢を元に戻すとナツキさんは空と向かい合う。
「……じゃあ俺も撫でていいよね?」
「お、おう」
「……よーしよし」
 わしゃわしゃ。空の頭を撫でているナツキさん。見ていてとても和む。
「そういえばナツキさん、なんでここに?」
私がそう聞くと、空の頭を撫でるのをやめて、今度は私と向き合った。
「……二年生の生徒玄関に行こうとしたら、祐希と空がいて、話しかけようかなって思ったから」
「なるほど」
 確かに、二年生の生徒玄関は一年生の生徒玄関の横にある。生徒玄関に繋がる廊下は一年生側にあるため、前を通っていかないといけない。
 ちなみに三年生の生徒玄関は廊下を抜けて一番近いところ。二年生の生徒玄関が一番遠いところにあって中間に一年生の生徒玄関がある。なぜ一年が中間なんだ。
「……そうだ、二人にこれ、あげる」
 ナツキさんがブレザーのポケットから可愛い柄の描かれた半透明の小袋を取り出す。
 その中には白い粉が覆われてる真ん丸なお菓子らしきものが数個見えた。
「……料理部からね、今日はスノーボール作ったらしくて、貰った」
 はいどうぞ。と言いながら私、空に一個ずつ渡す。遠慮しがちにいただきます、と呟きながら口に含む。小さいから一口で口の中に入った。
 ……おお、おいしい。スノーボールって初めて食べたけどおいしいんだな。サクサクホロホロ食感で、香ばしいアーモンドの風味がなかなかに美味だった。
「ナツキ、料理部の奴らと仲良いよな。あそこ女ばっかなのによく堂々と入っていけるとかすげえよ」
「……お菓子、よくくれる。俺も、作らせてもらってる」
「餌付けされてるじゃねえか……」
「……時雨と同じこと言う」
「そりゃ言うだろ」
二人がこんな会話をしている時に、私はスノーボールを賞味してた。
「これおいしいですね」
「……もう一個、いる?」
「いや、あと一個はナツキさんの分じゃないですか」
「……俺、もう二十個は食べたから、大丈夫」
「そんなに!?」
「……だって皆が『好きなだけ食べていいから!』って言う」
 ずいぶん料理部の人達から甘やかされてるようだ。
 料理部の人達にとってナツキさんはペットみたいな存在なのかもしれない。ペットって言葉にするとひどいな。なんていうか……ううん。いい例えが思いつかない。
「……二人は、雨が止むの待ってたの?」
「おうよ。正確には雷が鳴り止むのを、だけどな」
「……雷ならもう鳴り止んでるよ?」
「あれ、そういえば」
 ナツキさんに言われて外を見る。雷の音はすっかり聞こえなくなっていた。雨はまだ降っているがさっきほど強くはない。
「なら早く帰ろう。また雨強くなったり雷が鳴ると困るしな。主に空が」
「うるせえ」
「……俺も一緒に帰ってもいい?」
 ナツキさんが首を傾げて聞く。
「もちろんです。あ、ナツキさん傘はありますか?」
「……大丈夫、ちゃんとあるよ。じゃあ、靴履き替えてくるね」
 そう言ってナツキさんは小走りで二年生の生徒玄関に向かっていった。
 ナツキさんの姿が見えなくなって、立ち上がる。空もそれに続く。
「空はナツキさんの傘に入るだろ?」
「なんでだよ」
「え、だって女と相合傘とか気にするかと思って」
「……」
 空は黙る。これ以上会話が続きそうにないからとりあえずスルーしておこう。
 カバンから傘を出して外に出ると、既にナツキさんがいた。行動が早いですな。
 外と言っても屋根があるところにいるので雨に濡れない。
「……空は、傘ないの?」
「ねえな」
 ぶっきらぼうに空が言う。ナツキさんは少し悩んだような表情をして、それから間もなく口を開いた。
「……じゃあ俺の使いなよ。俺は祐希の傘入る」
「え」
「なんでだよ」
 私と空の発言が被った。
 いや、ほんとなんで? ナツキさんの行動が読めなくて困る。キョトンと首を傾げる当の本人はゆったりと形の良い唇を動かして喋る。
「……祐希と相合傘したい、って理由じゃダメ?」
「あ、相合傘……!?」
 そんなこと言うのはズルいだろ……!
 低いのに甘ったるい声で言われてしまったせいで一気に顔に熱が集まった。熱いなーハッハッハ。なんかテンションもおかしくなってきた。いやいや現実逃避するな現実と向き合え!
 空はポカーンとしてる。「お前何言ってんの?」って顔だ。しかし空はすぐさまキッと目を鋭くさせる。
「っな、ナツキは自分の使えよ!」
「……空も、祐希と相合傘したいの?」
「な訳ねえだろ! ふざけんな!」
「……じゃあ俺の傘使ってよ。俺は祐希と相合傘したいもん」
「う、る、せ、え! いいから帰んぞ! ほらのろま祐希! 傘さっさと開け! いつまで照れてんだのろま!」
「す、すまん」
 普通に照れてしまった。顔が火照って仕方ない。ていうか今私にむかってのろまって二回も言ったなこの野郎。言い返そうかと思ったがここはグッと堪える。私が大人になれ。私の方が早く生まれただろ? 私は九月、空は二月。私の方が大人だ。そうやって自己暗示をかけながら傘を開いた。
 ナツキさんがムスーっとしているが渋々傘を開いてる。
「じゃ、じゃあ帰ろうか。ほら、空早く入ってくれ」
「言われなくても入るっつーの!」
 空は私に言われて傘の中に入る。私たちが歩き出すと、ナツキさんもついてきた。
なんとなくホッとする。
「……まあ、相合傘くらいまた今度でもいいや」
 小さな声で呟いたナツキさんの声は、雨音にかき消された​───────という王道パターンではなく、バッチリ聞こえてしまった。多分空も聞こえてる。
 ナツキさん、相合傘くらいってどういう意味だ。

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