うそつきのヒメゴト(芳野×祐希)

「ちょっと練習相手になってくれよ」
 芳野がそう言い出すものだから、私は初めこそ何の? 演技の? そうか、でも私じゃ芳野の相手が務まらないと思うんだが、などと渋ったが「俺様が中途半端な演技する訳にはいかねえんだよ」と真面目な顔をするものだから気圧されてしまった。
 仕方ないな、いいよ。と言えばそのまま芳野の部屋に手招きされ、部屋に入ればベッドに押し倒された。
 何が起きているのか私が一番よくわかってない。呆けた頭を現実に引き戻すも混乱は収まらない。
「​よ、芳野!」
「あ?」
「なにするんだ!」
「なにって……練習相手になってくれるんだろ?」
 ニヤリと形のいい唇を楽しそうにカーブさせ、私に跨り、見下ろしてきて……リップ音が控えめに鳴った。キス、はしてない。音だけだ。額に唇は寄せてあるが触れていない。
 なにか言ってやりたかったが喉元で言葉が停滞してしまい、言いあぐねた。芳野の顔が離れると同時に私は恥ずかしくて顔を横に向ける、が。頬にあたるシーツの感触を味わうよりも前に芳野が私の頬を掴み、無理矢理正面を向かせる。高校生とは思えない色気を漂わせる整った顔立ちが至近距離で私の目に飛び込んできた。
「次のドラマ、ヒロインを組み敷く当て馬の男の役やるんだよ。けど俺様はそういうケイケンねーからよー。松江でもいいけどさすがに男にやるのはしんどいんだわ。んで、大親友の祐希ちゃんなら付き合ってくれるよなぁー?」
 ニコニコと。それはもう楽しそうに。私の反応楽しんでるだろこれ!
 ただ、芳野が突然……お、襲ってきたわけじゃないことに心底ほっとしている。私はお世辞にも色香がある人間じゃないし胸もない。……自分で言って悲しくなってきた。せめて胸はこれからどーんと出てくるはずなんだ、多分。
「……私じゃ芳野の相手として務まらないと思うんだが」
「そこは『変なことしない?』じゃねーのな」
「しないだろ、芳野は。……さっきのは多め目に見る。きす、されたわけじゃないし」
「……」
 何も言わず私を見てる。真っ直ぐに、じっと。
「そういうこと言うからつけこまれるんだぞ、お前」と呟くのを耳にした時、芳野は私の頬に軽く口付けしていた。わざとらしいリップ音も何も無い、ただ本当に触れるだけ。ゆっくり離れていき、芳野の茶色がかった黒い目と合った。
 理解が追いつかず、事の状況を掴むのに丸々三秒も使った。じわじわと頬に熱が宿るのを感じながら口をパクパクと、鯉か何かの魚にでもなったかのように動かすことしかできない。
「……これは変なことに入るか?」
「っは、入るに決まってるだろ!」
 絞り出した声の第一声はひっくり返った。顔はみっともないほど真っ赤なのが鏡を見なくてもわかる。今すぐここから離れたい、恥ずかしくてたまらない。
 なんて奴だ! いくら練習とはいえ本当にすることないだろ! ふつふつと湧き上がる怒りをぶつけてやろうと思った。けれど、芳野が捨てられた子犬のような、寂しげに表情を翳らせて「こういうことする男なのかって幻滅したか?」なんて、言うから。
「……いや……幻滅までは……」思わず出てしまった言葉に少しばかりの後悔を感じる、しかしその時にはもう既に遅い。
「お人好し」
 そういうところだぞ、祐希。先程まで翳らせていた表情は何処へと行き、優しく微笑みながら言う。そして今度はさっきと逆の頬に軽く口付けをしてきた。ああもう、やめてくれ。何してるんだ芳野。
「っ……」
 これは、本当に練習なのか。という疑問が浮かぶ。けれど練習なんだ、と思わなければ私は死にそうなくらい恥ずかしくて、恥ずかしくてたまらない。今にも頭から火が出そうだ。いや、練習だとしても恥ずかしくて死んでしまいそうなことに変わりないんだが、練習じゃなきゃ芳野の行為はまるで好き合ってる者同士がすることのような……。
「すきだ、祐希」
 だからこれも、甘い言葉を囁くための練習であって、名前を呼んでるのは私に向けて言ってるからなだけで、決して私自身が好きとか、そういう訳じゃ、なくて。
 芳野の手がそっと腰に当てられた。ビックリして体が跳ねた。服の上からだとしてもそんなところに手を当てられれば恥ずかしさを感じる。
 だが、やられっぱなしなのも性にあわない、やめろという視線を向けて反抗する。なぜか芳野は、少し表情をなくし、私から顔だけ背ける。長い溜息が聞こえてきた。いや、溜息というより深呼吸と言うべきか。
「今の目、めっちゃきた」
「……きたって、なに、が」
「自分の頭で考えてみろよ」
 一度離れた整った顔が、また顔が近づく。今度は私の首に顔をうずめてきた、芳野の暗い茶色の髪の毛が当たってくすぐったいし、清潔感のあるいい匂いが鼻腔にダイレクトアタックしてくるし、さっきより密着してきて恥ずかしさは増すし、首筋には柔らかい感触が伝わる。……ん?
 キスされていると気づくのに一拍遅れて「いい加減にしてくれ」の言葉が出てくるのにも一拍遅れた。そのせいで言う前に首筋をぬるりとなにかが這った。
「んっ、う」
 変な声。なんだこれ、私から出たのか。
 頭がふわふわと、ぼーっとしてきて、恥ずかしさは増すばかりなのに反抗する気力が少しずつ消えてきた。​首から芳野が離れ───私を見る。優しい顔をしている。仮面を被ってる時みたいだ。それなのに、瞳の奥がギラついているように見える。獣みたいだ。
 芳野、ただヒロインを組み敷く当て馬役の男ってここまでするのか。なら、私も、頑張らないといけないのかな。いや、いや、いやいやいや……。
 ​───────しっかりしろ!
 バチン! 私は思いっきり自分の頬を叩いた。頬に熱が集まる。めちゃくちゃ痛い。芳野が「こいつ頭イかれたのか」という顔で見ているが気にしない。
「……悪い、目を覚ますためにちょっと喝を入れた」
「お、おう」
 軽く引くんじゃない。元はと言えば芳野のせいなんだが。
「芳野、すまないが練習は終わりだ。どいたどいた」
 ぐいぐいと芳野の体を押して、無理やり起き上がる。意外と筋肉質なんだよな、と服越しに感じてしまったがそんな思考もすぐにさよなら。当の本人は横で呆けた顔をしてる。
「俺様に中途半端な演技しろって言うのかよ」
「あれ以上はもはやただの十八禁だ。御禁制です」
「なにが御禁制だ」
 いつもの調子で会話がとんとん進む。ああ良かった、なんとかいつも通りにできてる。変に意識しすぎてしまったらどうしようかと思ったが、案外どうにかなってる。
 ただ、まともに顔は見れない。
「それに、しても、だ! なんで本当にするんだ!」
「あ? キスのひとつやふたつでワーワーギャーギャーするな。フリの演技をするにもしたことねえもののフリの演技ができるわけねえだろ」
 うるせーなぁたっく。と呟きながらベッドから立ち上がる芳野の背中をじろりと睨んだ。
 キスのひとつやふたつって、そりゃ経験豊富そうな芳野はどうってことないだろうけど。私はしたことないしされたことも……いや、されたことはあることになるのか、さっきされたから。……くそう、悔しい。今更何を言っても芳野に一蹴されるな、と半分諦め状態でぽつぽつと文句を言うことにした。
「……あと、その、これも練習の一環だとわかってるが、好き、とか言うのどうかと思うぞ。ドキッとしたじゃないか」
「……は? あ、ああ。驚いただろ。けどいちいち反応してたらキリがねえぞ」
「わ、わかってる!」
 半ばヤケになっていた。芳野に何を言ってもダメな気がして、俯くと思わず溜息が出る。
「……私は、経験豊富の芳野とは違うんだからな」
「……」
 その歳で色気が凄まじいだなんて、将来が不安だ。近くに寄っただけで妊娠しそうな色気を持つようになってしまったらどうしよう。なんて、余計な心配をしていたら芳野が腰を曲げて、私の顔を覗き込んできた。さっきより距離は遠いが、思わず体が仰け反る。少しだけ、またキスされるのではと思ってしまった。
「俺、言ったろ。『したこともねえもののフリの演技ができるわけねえ』って。経験ねーよ」
 呆れた表情で言い切る。確かに、思い返してみればそんなことを言ってた。経験がなくてあれは一種の才能なのでは?
 まあそんなことは言う暇はなくて、ただ、とにかく、私が全力を持って伝えるとすれば。
「……芳野」
「あんだよ」
「助平!」
「はいはい悪かったよ」


 祐希が怒って部屋を出ていってから、俺はベッドに腰かけて頭を抱えた。
 ちゃんと『余裕があり色気ダダ漏れな男』を演じてたつもりだったのに、気付かないうちに祐希への思いが口に出てたとかダサすぎて笑うしかない。自分の思いは奥の引き出しにしまっていたはずなのに、だ。
 ……めっちゃ怒ってたな。あいつ。当然だけど。
 本当はそんな役のオファーなんてきてなくて、ただ祐希に触れたかった、どこまでなら許してくれるかって試したかっただけだと知ったらもっと怒るだろうか。怒るわな、絶対。近い日にバレるのもわかる。その時は、その時でどうにかするしかない。もしかしたら嫌われる、かも、という思いが過ぎる。
 でも祐希はお人好しだから決して俺のことを嫌ったりしない。あー俺の顔が良くて助かった。
 あとのことは未来の俺に任せる。今は、少しだけでいいから祐希に触れた時のことを思い出していたい。


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