深夜一時の命令(時雨×祐希)

 ふと目が覚めた。カーテンの閉じきった部屋とはいえ、部屋は真っ暗。スマホを開いて、現在の時刻を確認​───なんてことはせず、のっそり起き上がる。寝ぼけた目で、覚束無い足取りで部屋を出て向かうのは共用スペース。おそらく水を求めているのだろうが、半分意識がない状態で本能的に動いていた。壁にゴツゴツ肩をぶつけながらもなんとか共用スペースに辿り着くと、誰かに体を支えられた。そこでようやく意識が定まり、なぜか共用スペースに小さく明かりが灯っていることに気がつく。そして体を支えてくれた「祐希、大丈夫か?」と心配そうに顔を覗く時雨さんの姿を視界に捉えた。
「だいじょぶ、れす」
「呂律回ってねえぞ」
「ねむくて……」
「喉乾いたのか? なんか飲むか?」
「……水を」
「ん」
 意識はだんだんと定まりつつあるも、いまだにぼんやりした私をソファーまで移動させて座らせ、時雨さんはテキパキと水を用意してきてくれた。ものすごく、申し訳ない。
「ほら、水」
「ありがとう、ございます」
 差し出された透明なグラスに入った水がゆらり、揺れる。きれいだな、と思いながら手に取ろうとすると、グラスの姿が消えた。実際は時雨さんが上に持ち上げて私の視界から外れただけだったが。
「……時雨さん?」
 どこぞのチビワじゃあるまいし地味な嫌がらせをするわけがない、と見上げれば時雨さんがじっと私を見ていた。今の私はボケっとした間抜けな顔をしているからそんなに見てもなんも面白くは無いと思うんだが……。そんなことを考えていれば、時雨さんが薄い唇をゆるくカーブさせる。
「眠いなら俺が飲ませてやろうか?」
「…………」
 どういう意味だと考えるのに一秒。
 飲ませて、やる、とは。と現在巡りの悪い思考回路を動かしていたら「黙られると本気でやりそうになるだろ。ほら」時雨さんが小声で呟きながらグラスをぐいっと私の手に握らせた。小さな明かりのせいなのか、恥ずかしさからなのか、時雨さんの顔がほんのり赤く見える。
「あの、時雨さん」
「さっきのは、あれだ、深夜テンションってやつだ」
「はい、わかってます」
 それはわかってる、時雨さんがそんな物好きな人なわけない。
 ……深夜テンションとは恐ろしいな。これ以上触れるのはよくない、と私は水を煽った。言葉と共に喉を通りするする落ちていく。
「ありがとうございました」と言い、カラになったグラスを持ってキッチンに向かうため時雨さんの横を通った。だが立ち止まった。するりと、私の髪の毛の中にナニかが滑り込み首に指が当たって思わず体をビクリと震わせたからだ。
 グラスはしっかり持っていたから大丈夫だったが、短い悲鳴を上げかけた。情けない声を聞かれてしまうところだった、危ない。
 時雨さんの方を向けばなぜか面白くなさそうな顔をしていて、私は訳が分からなくて訝しむように見ることしか出来ずにいた。
「少しくらいは期待すればいいのによ」
「……期待、ですか?」
 何に対して、どういった期待なのか。寝ぼけた頭がだんだんと覚醒してきたのもあってどうも変な方向に思考が飛んでしまう。時雨さんが私に気があるなんて、そんな馬鹿みたいな考え。
 時雨さんの手が私のうなじに添えてきた。グラスを片手に持っているのを忘れかけていて落としかけた。
「祐希」
 どこか熱っぽい瞳で、愛おしそうに名前を呼ぶから、本気で勘違いしそうになる。
 ……時雨さん、これも深夜テンションというやつなんですか。心臓に悪すぎますよ。
 顔が少しずつ近づいてきた。あれ、このままじゃやばいのでは。脳が赤信号を出しているが時雨さんに首の後ろを固定されていて何も出来ない。
 どうしよう。
「​───祐希、俺のこと思いっきり押して離してくれねえか」
「え」
「早く」
 唐突な時雨さんからの申し出に私は驚きつつも、そっと時雨さんの硬い胸板に手を当て、ぐいっと気持ち強く押した。さすがに思いっきりは無理だ。意外と簡単に時雨さんの手が、私の首の後ろから離れて、お互いの距離が広がる。
 今更ながら、中々恥ずかしい状況だったのでは?と自覚すると顔が熱くなってきて、時雨さんの顔を見ることが出来ない。
「あっあの、私もう寝ますね」
「……おう、おやすみ」
 グラスをそそくさと片付けに行き、洗って水切りの上に置いて部屋に戻ろうとした。
「祐希、さっきのことは忘れてもいいけど……少しくらい、期待して欲しいと俺が思ってることは忘れんな」
 呟かれた言葉の意味を深く考えようとした。けれど、そんな余裕はなくて「わかりました」としか返せず、逃げるように去った。
 部屋に戻ってベッドにダイブした。スマホが顔の真横にあり、画面を点灯。時刻は一時過ぎ。真夜中だ。
 寝よう。寝てしまおう。さっきのは、あれだ、時雨さんの気の迷いだ。期待して欲しい、なんて、きっとふざけて言ったんだ。きっと。
 自分にそう暗示をかけるようにじっと考え、考えて、目を瞑った。
 ……本当に言われたとおり、期待してしまったら、どうしてくれるんですか。時雨さん。
 いくら目を瞑っても、瞼の裏を見ているだけで眠気も何もない。
 結局私は朝になるまでベッドの上をもぞもぞ動き回るイモムシとなっていたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?