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26歳秋、沖縄へ移住

「どうして沖縄へ?」「知り合いがいたから?」

本当によく聞かれるこの言葉。

こっちに誰も知り合いもいないし、来たのも2回目で、高校2年の時に来た修学旅行以来の約10年ぶり。でもだからこそ、この場所に決めた。

きっかけは、自分の思い付きではなく、とある企業からのスカウトを頂いたこと。

半年前、前職からの転職を考えていたわたしは、毎日のように転職サイトをチェックしていたが、当然検索エリアは東京都内。まったく移住なんて発想はなかった。

毎日寝食を忘れるほどがむしゃらに働いていた状況を抜け出すため、自分を守るため、そしてもともと記事や動画などの媒体への興味があったので、それに関われればいいなという思いだけで新しい場所を探していた。

そんな時に、沖縄にオフィスを構えるとある大手企業から、スカウトを頂いた。好きな媒体に関われるし、転職先への内定が決まらずずっともがいていた状態だったので、大変有難いお話であった。ただ、その連絡を受けた心境としては「沖縄?10年も行ってないし、知り合いもいないし、暑そうだしな・・」と発想になかった場所であっただけに漠然とした不安があった。

人間関係の整理

しかし、この当時わたしには別の悩みもあった。「人間関係でのしがらみ」である。母との距離、複雑な関係の男性、親しい友人。

まず、母とのこと。離婚はしていないが、物心ついた時から両親は不仲で、常にどちら側につくのかを求められてきた。一人っ子だったので、母は愛情をたくさん注ぎ込んでくれたが、過干渉なところがあり、プライベートや行動のすべてを把握したがったり、学生時代はGPSで帰路をずっとチェックされていた時期もあった。

心配なのはわかるが、少しは自由にさせてほしかった。前々職での異動を理由に3年ほど前から一人暮らしを始めて半ば強引に実家を出たが、同じ東京都内には住んでいたので、しょっちゅう顔を出すように言われていたし、行けなければ遊びすぎだ、とあれこれ予定や友人・男性関係を詮索される。なので、ますます親子関係は悪化していく一方だった。

次に、複雑な関係の男性。わたしの性格の問題でもあるのだが、いいように利用される、甘い言葉に惑わされてずるずると関係が続く。わたしにはあっても、相手にはあるのかわからない恋愛感情。

そんなことが相手こそ違うものの、何度か続き、同じ職場の人だと尚更仕事での態度もあいまって、さまざまな感情になることがあった。

そして、親しい友人たち。

今となっては誰が本当に親しいのか少しはっきりしてきているのだが、当時は最低月に1回は遊ぶ・連絡を取る・休日や週末は友人との予定で埋める。なぜかこれに必死だった。

仕事や親子関係・男性との不満が募り、一人になって空虚感を感じたくなかったのだろう。ただ、わたしが会いたいときには会えなくて、相手の空いた時間や話したいことがあるときや、飲み会要員で誘われる、そんな友人が何人かいた。

これは友達なのか?でも、長年続いてきた関係で、喧嘩や揉め事も起きていない以上、ここでいきなり関係を切ることができなかった。その勇気すらなかった。そんな関係にモヤモヤすることが多々あった。

ふと思い出した過去の自分

沖縄の会社を受けるのか決めかねていた時、あることを思い出した。

それは大学1年の時のアメリカ留学でのこと。その時、同じ大学から6人の女子と一緒に向かうことになったのだが、全員ほぼ初めましてだった。そして当然アメリカにも知り合いはいない。今と同じく誰も知らない土地で約半年滞在していた。

でもすごく楽しかった。誰も自分を知らないから自由に自分を出すことができるし、見るもの知るものなにもかもが初めてで新鮮。人間関係はすべて1から作るので、なんのしがらみもない。母とも遠く離れていて時差もあるので、話すとしても週1の週末の朝ぐらい。

何にも囚われず、自由な自分で過ごしていられることがこんなにも開放的で、自分らしくいられるんだとその時初めて体感した。その時の自分に戻れるとしたら、今のようにあれこれ悩んで、もがくことは少なくなるだろう。この思いつきで、わたしはすべてから離れて、知り合いが誰もいない沖縄へ発つことにした。

自分が知らなかった「自分」

それからこっちにきてもうすぐ2か月が経つのだが、少しは友達に会いたい、東京に帰りたいとホームシックになるかと思ったが、全くない。もはやあんなに囚われていた東京での人間関係は嘘のように自分の関心事ではなくなった。

変わらず連絡を取ったり、東京に行って会う人もいるけれど、それも限られている日数なので、自然と会いたい人が絞られてくる。なので、広く付き合っていた関係も、狭く、より深くなりつつある。

今までは会ってその時は楽しくても後になってすごく無理をして疲れていたこともあったけど、今会う人は、終始楽しかった、会えてよかったと感じていて、誰といれば自分らしくいられるのか、誰といる自分が好きかもわかってきた。

自分を充実させるということ

そして、大きく変わったのが日々の過ごし方である。東京にいた時は、仕事終わりには友人との食事、飲み会、週末は出かけるか、飲み会。朝まで飲むこともしばしば、なんて少し派手な日常を過ごすことに充実感を感じていた。

ただ、こっちにきてからは友人といっても同僚の何人か。まだ関係も深まっていないので、飲みに行く・食事に行く人は少ない。なので、いかに1人での時間を充実して過ごせるかと考えるようになった。

忙しくて全然やっていなかった自炊を毎日する、大好きな映画を家や映画館で見る、気になる場所へ移動手段を探して軽い1人旅のように行ってみる。最近はそれで1人で少し離れた瀬永島の温泉に行ってみたり、近所のブックカフェを見つけて本を読んでみたり、今までしていなかったことを1人でしている。(今もこの文章をそのブックカフェで書いている)

自分の時間を他人で埋めて、それが楽しい、その予定が無いと虚しい、自分は誰からも求められていないんだと感じていたけれど、

むしろ自分の時間を自分のしたいことで満たす、たまに気の合う人と過ごす、そのほうが人で悩むことも少ないし、相手といい距離感ができるような気がしていると最近感じた。自分に無理をさせない、その結果が今の自分の日々の暮らし方に繋がった。

ふと思い出して思い切った決断だったけど、環境をすべて変えたことで本来の自分、知らなかった自分、見えるようになったことが増えて、この環境を選んだことはいい選択だったと心から思っている。

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