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私はあなたのお人形

1 心残り



死んだのだと思う。
もともと血圧が高かった。ここのところ急激に上がったので、何かなって思ってた。
まさか死のうとは。


気がつかないうちに私は死んでいた。
気がつく間もなくあっという間にポックリと。
それはそれでありがたいことなんだと思う。そう、最高。ポックリなんてなかなか逝けない。


でも。
心残りがあるんだ。


私は一人暮らし。夫はとうに死んでしまっている。70歳、死ぬにはちょっと若いかなって思う。


その私が愛していたものがある。
もの、ではないな、者…。
私の恋人、凌くん。プラスチックとソフビでできた、体長30cmほどのお人形だ。


私が死んだら、凌くんどうなっちゃうのかな。まだ死ぬと思ってなかったから、彼の身の振り方を考えてなかった。



彼は、私が50歳の時にここへ来た。
フリマアプリで売りに出されていたお人形だった。
綺麗なお顔立ちは、作家さんが描いたものだった。


一目惚れ、だった。
50歳にもなって…なんて、少しは考えたけど、でも抗えない何かに惹かれた。
その時には夫がいたけれども、夫は人間、凌くんは人形。別に不倫するわけではないし、いいでしょ?


10年前に夫と死別した私は、凌くんだけを頼りに生きてきた。
凌くんにしてみても、私だけが頼りだった。それは間違いない。
私たちは互いに依存し合い、支え合って生きてきた。10年間。



…だけど、私は今さっき、死んだ。
凌くんをどうするかなんて、考えていなかった。
私の凌くんへの愛を知らない人は、凌くんを古い…20年も経っているからね…人形としか思わないだろう。
ポイと捨ててしまうかもしれない。


それだけが心残りだ。
本当は一緒に棺桶に入れて焼いて欲しかった。今日日の火葬技術なら、プラスチックのお人形のひとりくらい一緒に焼いても問題ない。
でも、そんな遺言すら許されず、私は突然死んだ。


凌くん…ごめんね、ダメなオーナーで…。



2 ここはどこ?


多分私は火葬されてると思うんだけど…もう私には親族なるものは存在しないので、きっと役所あたりがやってくれたんだと思う、そうじゃなきゃ変死体として部屋で腐っているか…それは嫌だな…、

とにかく、現世と呼んでいたあの場所あの時代からは離れた、みたいだ。

見ている景色が違う。
まるでシフォンの布地の中にいるかのように、目の前がふんわりかすんでいて、その向こうはパステルで塗ったみたいな色が見える。
ただの色、それが何なのかは分からない。

声が聞こえる。
若い男の人の声みたいだ。何だか懐かしさを感じる。

彼は、泣いていた。
どうやら、大事な人が亡くなったみたいだった。
泣く、なんて生やさしいものではない。慟哭。
私の耳には何かを隔てて聞こえてくるみたいな柔らかい音に聞こえるけど、心をつんざいていくような切ない声。

「美都」
彼は誰かのことをそう呼んだ。
「美都、僕を置いていかないで」

みと。
懐かしい響きだった。
なんだろうな、彼の声は美しく胸に響く。ずっと聞いていたような、でも初めて聞くような。

だいたいここはどこなんだろう?
体は動かない。どうやら手に触れているものは柔らかい布のようだ。サテンのような、ツルッとした気持ちのいい布。
見回してみる。クレードルのようなものの中にいるみたい。上には天蓋のように布がかけてある。

「美都」

その天蓋の布がふわりと開いた。
そして彼が…この人、私、知ってる…彼が、私を優しく握り込んだ。持ち上げる。
「美都、僕の大事な人」

すると彼は、彼の手のひらくらいしかない私の体をギュッと抱きしめて、嗚咽をあげ始めたのだ。

私の視界は急に開けた。
真っ黒な髪をした青年が私を抱きしめていた。少しふっくらした体型に、牛のような穏やかな目をしていた。
音も明瞭に聞こえるようになった。
彼は、私のことを「美都」と呼び、嘆いていた。

「まさか」
私は、声をあげていた。
「あなた、凌くん…?」


3 ドール


「…え」
私が「凌くん」と無意識に呼んだその人は、一瞬泣くのをやめた。ふと固まって、そして、私を見た。
「美都?」

…そういえば、私は、昔「美都」と呼ばれていた気がする…ここじゃない、前の命を生きていた時に…70歳で閉じた生涯を生きていた時に…
船越美都。
そういえば、そんな名前だった気がする。

…いや、本当にそうなのだろうか?

目の前には、見たような、見たことがないような、愛していたような、そうでないような青年がいる。とても大きい。…私が小人になってしまったのかな?

そして、私は自分の体を触ろうとする。物体としての私は、私のことを触ることができなかった。腕が、手が、動かない。
動け、と念じると、何やら蒸気のようなものが腕の形をとって、動かない腕から分離して、私のもう片方の腕を触った。

あれ、私、人間じゃないな。

私を大事そうに握り込む、私が凌くんだと思った人は、私のことをじっと見つめた。
「…美都、きみ、ここにいるの?」

「…いるけど」
私は声…だと思っていたけど、実際は思念のようなものみたいだ、喉から出る音ではなくて、脳天から直接凌くんに語りかけるような…そんなものを、発した。
「ここはどこ?」

「美都!」
凌くんは、再び私を強く抱きしめて、泣いた。
「戻ってきてくれたんだね」

私は私の体と思しきものからふんわりと抜け出してみた。
そこには、小さなお人形がいた。
濃い茶色の真っ直ぐな髪が美しい、茶色のアクリルの目をつけた、ソフビとプラスチックでできたドールだった。


4 立場逆転


私はもともと、ドールの凌くんと「お話」をしていた。
朝起きると、枕元で寝ている彼に「おはよう」と挨拶をした。それから頭を撫でて…艶やかな黒いウィッグの感触を楽しんで、それから身支度を始めた。

独り身の老人となった私には、話す相手がいなかった。老人と言っても死んだのが70歳だし、そんなに年老いていると自分では思っていない。福祉に頼る障害もなかったし、そこそこ元気だった。

だから、毎日凌くんに話しかけ、一人でのんびりと生きていた。
それで生きていけると思っていた。


今、生々しい人の姿をした…普通の、そうね、二十歳前後の、そんなにかっこよくもない、でも優しげで感じのいい青年が…可愛い女の子のドールの姿になった私に話しかけてくる。

「美都、きみは、死んじゃったんだよ」
「うん…知ってる」
凌くんは、優しい言葉を選んで言った。
「僕も、そこでおしまいだったんだ。きみとは別のところで焼かれてね」
ああ…捨てられたんだな。可哀想なことをしたな。

「それでね」
凌くん、こんな表情する子だったんだな。伏目がちに慎重に、でもとても優しく…初恋の女の子の手を握るみたいに私を握りなおした。
「気がついたら、僕はこの姿になっていた」

若いというのに、ちょっと緩んだお腹をしている。
長いまつ毛に、真っ黒な瞳。
私の知っている、シュッとしたかっこいい凌くんとは違うな。でも、優しげな雰囲気で良かった。

まあ、こっちはおばあさんだったわけだし、相手の見た目をとやかく言える筋合いはない。

「それで、僕は…死ぬ前の記憶があったもんだから…どうしても、きみにいて欲しくてこのドールを買ってきたんだ」
「ずいぶん可愛い姿にしてくれたわね」
「売り場で一番可愛いと思った子にしたよ、どう?」

私は…
得意げにそう呟く凌くんを、とても愛おしいと思った。
抱きしめたい。
でも、私の腕はとても短いし、体も小さくて、自分から動かすこともできない。どうやら魂は体から離れることができるようだけど、体に入っている方が霊体が安定するみたいで、あまり離れたくない。

ドールの体というのは意外と不自由だな、と思いながら私は、
「…愛してるよ」
と、凌くんに告げた。
彼は、恥ずかしそうにはにかんだ。


5 山田雄也


なんとも恥ずかしい、居心地が悪いものだ。
凌くんは、私を枕元に寝かせて、ベッドに入った。
「え、私、ここ?」
「ここだよ。いつもここ」
夜になって無精髭が生えてきた凌くんは、私の髪…ウィッグに頬擦りした。
彼の黒い髪からは、優しい体温が感じられる。

「なんか、変な気持ち」
私は心の中がむずむずしていた。
「だって、若い男の子と、その、同衾…」
「どうしたの?美都」
凌くんは笑う。
「僕がドールだった時、僕の夜の居場所はきみの布団の中だったよね」
「そうなんだけど…」

「そして」
そのまま彼は、私の体温のないボディに頬擦りを続けた。
「美都も僕にこうしていたよね」
「そうなんだけど!」

私は…なんだか罪悪感みたいなものを感じてしまった。そういえば…凌くんのお部屋には、女子のいる形跡はないな…ほとんど何もない和室、アパートの一室だろうか、そこにちゃぶ台と布団が敷いてあるだけだ。

「凌くん…彼女、とかは?」
「いないよ」
彼はしれっとそう言う。
「この姿になったのはここ1年ほどのことだし、僕の彼女はきみだから」
「でも、あなたは健康そうな人間の男の子だし」
「幸い、モテる感じの人間じゃないんだけどね」
屈託なく笑うと、凌くんはふと真っ直ぐな目に戻った。

「僕の人間としての名前は、山田雄也っていうんだ」
私の頭に頭を寄せて、彼は気持ちよさそうに目を伏せた。
「19歳の誕生日に、僕は雄也になった。それまでのことはわからないし、雄也という人物がどんな人で、今…少なくとも意識はどこに行っているのか、分からない」
「そうよね…19歳まで生きてきた雄也くんっていう男の子がいるってことになるのよね」

「僕になってからの雄也にも、ちゃんと親がいて、親は可愛がってくれている。大学に行くのに一人暮らしをさせてもらってここにいるんだけど、仕送りも毎月してくれる」

「それは気になるわねえ。お父様もお母様も、あなたのことを息子さんだと思っているわけね」
「実際、体は彼らの息子なんだろうと思う」

「僕は、雄也を乗っ取ってしまっているんだと思うんだ…きみがこのドールの中に入ってきたように」
凌くんは、私の体を持ち上げ、布団の中でぎゅっと抱きしめると、また枕元に戻した。

「きみにも会えたことだし、雄也に体を返さなくてはって思っているんだけど」
そこからは寝息が半分混じるようになった。
「雄也がどこにいるのか、分からない…」
そして、寝息が静かな部屋にしんしんと響いていった。
私も眠ることにした。


6 キャンパスライフ


凌くん…というか、山田雄也くんは、大学2年生だ。アパートから電車で30分ほどの大学に、社会学を学びに通っている。

「1年生の時にこの体に宿って助かったよ」
凌くんは笑う。
「じゃなかったら、僕の頭がついていかなかったと思う。19歳で1年生、1年浪人していたんだね、5月の誕生日にここに宿ったから、最初から学べた」

「大学ね」
私は羨ましい気持ちで呟いた。
「私も通いたかったんだけどね、まだ女の大学進学率の低い時代でね」
70歳で他界した私が生まれたのは、戦後大して経っていない頃だった。高校生の頃には高度成長期と呼ばれる好景気の中にいたんだけれども、残念ながら我が家はあまり裕福ではなかった。
「弟は大学に行かせてもらったけど、私は我慢したのよね」

凌くんは笑った。
「じゃあ、今日からきみも大学に通おう」
何を言い出したかと思ったら、私をちょうどいいサイズの巾着袋に入れた。
「この袋、僕が自分で縫ったんだ。粗だらけだと思うけど気にしないでね」
「え、どうするの?」

彼は、私が入っている袋を、カバンの中に入れた。
「一緒に行こう。ここから出してあげるわけにはいかないけど、音は聞こえるでしょ」


そんなことを言いながら、凌くんは私にチラッとだけ、バスの中で外を見せてくれた。
バスの窓から見える外の景色は、美しい冬の景色で、空気が凛と澄んだ中に枯れた草木が連なっていた。
車内は学生がたくさんいた。私のことは死角に入るようにファイルで隠してくれているけど、こんな可愛いお人形さんがカバンに入っているのを知られたら、多分びっくりされてしまうだろうな。

凌くん、というか、雄也くんには、友達もそんなにはいないようだった。
最初に入った講堂では、彼は誰とも喋ることがなかった。
「なんか、友達と遊んだりはしないの?」
聞いてみると、凌くんは首を横に振った。
「僕にはそんな世界は無いよ」
それからどこか、遠くを見つめた。どこを見ているのだろう?
「僕は、ここに来る前はドールだったんだ。きみしか世界は無かったんだ」

誰とも交流がなくて、自分のルーツに繋がる私も死んでしまった。
凌くんが私を待っていた1年間とは、どんなものだったのだろうか…?
想像してみたら、悲しくて、背筋がスッと寒くなった。
「凌くん…」
私は、ドールからふわりと抜け出て、彼を抱きしめた。
あまり体から心が抜け出してしまうと、戻れなくなってしまう嫌な予感がするので、これ以上は無理だ。
「美都」
凌くんは、心の中だけで笑っていた。
「授業中だよ」


7 本当はどうしたい?


幸せ、だった。

私が生きていた時とは立場が逆転したけれども…若い男の子と一緒に住むことに戸惑いはあるけれども…そこに「凌くん」がいてくれて、私がいる。

凌くんは私のことをとても可愛がってくれて…30cmに満たないドールとしての私の体をそれはそれは大事に扱ってくれて、「可愛いね」「大好きだよ」と呟きながら私を撫でてくれる。
私がかつて…生前、凌くんにそうしていたのとそっくりそのままの愛情。与える側と与えられる側で逆転しても、愛おしいと思う気持ちは変わらない。

でも、この形はいずれ破綻する。
凌くんが使っている「ボディ」は、凌くんのものではなくて、もちろん私のものでもなくて、私たちが全然知らない「山田雄也」という人のものだ。
山田雄也氏は生きているわけで(実際に体には血が通っていて、お腹も空けばお手洗いにも行く)、ではその中身…精神は、どこに行ってしまっているんだろう?

「そばにいるんだと思うんだ、僕からは見えていないけど」
凌くんが唸る。
「君と一緒で、魂が体からあまりにも離れてしまうと、体とのつながりを失って戻れなくなっちゃう。戻れなくなったら、体が死ぬはずなので…この近くにはいるわけなんだ」

そして、さらに彼は、低い声で続けた。
「いやね、不思議なんだよ。僕みたいな、偶然流れてきた魂が居座って、本来の魂が入ってこない。もちろん体との結びつきは元々の魂の方が強いに決まっている。なのに、僕はずっとここにいるんだ」

「そっか、雄也くんの魂が凌くんに『退いて』って言えば、凌くんはここにはいられなかったわけか…」
「僕はもちろん、この体でいさせてもらって随分と得をした。生活費を出してもらって、君のボディを買うことができて、君を待つことができた」

「でも」
凌くんは眉間に皺を寄せた。
「山田雄也は、どうしたいんだろう…?」


「普通、人間って簡単に魂と体が分離する生き物じゃないわよねえ」
私は人間だったことがあるわけで、その経験からも…魂がどこかへ行っちゃって別の魂に生存を依存している人間なんて、あんまり想像できない。
人間、そう簡単に死ぬ生き物ではないし、まして「体だけ生きている」なんていうのは事故や病気でない限りはありえない。
脳死しているようにも見えないわけで…脳がちゃんと動いていなければ、凌くんがその体を使って大学に勉強をしに行くこともできないだろう。

「僕は彼の脳を使っている。それなのに、僕になる前の彼の記憶が無い」


すると、凌くんは徐に、勉強机の下の段ボール箱を漁り始めた。
何やらいろいろノートのようなものが入っているみたいだったが、その一番下にアルバムが入っていた。

「美都、これ見て」

何冊か重ねられたアルバムは、背表紙を見ると、雄也くんの子供の頃からの記録であるらしい。小学生までの彼と、小学校、中学校、高校の卒業アルバムが…ひとつにガムテープで、厳重に貼り付けられていた。

「中身、見られないね」
「おかしいでしょ。これは、僕がこの体に入った時にすでにこうなっていた」

「雄也くんがやったのね…」
「多分」
凌くんは目を伏せた。
「変だとは思っていたんだけど、最初見つけた時はなんとも思わなかったんだ。僕の方が心に余裕がなくてね。…でも、明らかに変だよね…まるで、過去に恨みでもあるかのようで」


「強いストレスで、自分が自分であることから逃げた。でも、死んじゃったわけではなくて、多分今ここにでもいる可能性がある」

凌くんは自分の顔を鏡に映した。
頬に触れてみる。無精髭を逆撫でながら、凌くんはしばらく考えていた。

「戻りたく無いのかもしれない」
目をふせる。
「でも、死ぬ勇気もない」

(続く)

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