Jake (5)
第5章 帰国
1 灯子と春斗
僕の帰国の日が迫った。明後日には飛行機に乗っていないとならない。
スーツケースとリュックに詰め込んできた荷物をまた仕舞い直さないとならないし、家族に買ったお土産もなんとかまとめないと。
家族には大したものは買っていないけど、多分サトルが喜ぶマンガの書いてある文房具とか、日本にしかなさそうなお菓子とかは買い込んだ。そうしたら案外嵩張るもので、入り切らない分はこちらで大きなエコバッグを買った。
灯子の両親からは、斉藤のおばあちゃん(つまりはミハルのお母さんだ)から譲られた真珠のネックレスを預かった。ミハルのために、将来形見にしてもらうつもりだという。
サワコからもミハルあてに預かったものがある。金でできたバングルだった。サワコは慎ましい生活を送っていて、これはだいぶ身の丈に合わないプレゼントなんだろうけど、「私の娘へ」と僕に持たせてくれた。このことはミハルにだけ話すつもりだ。
亮太が伯父の家に僕を訪ねてきて、そのまま連れ出した。
「お前に見せたいものがある」
亮太の顔はイタズラをする直前の悪ガキの顔だった。
「お前も功労者だからな」
僕らが向かったのは亮太と灯子の通う高校で、僕は入っていいのか悩んだけど、亮太に手を引っ張られて致し方なく侵入した。
ある教室の前で、亮太は自分のくちびるに人差し指を当てて僕に静かにするよう促した。そして、反対側の人差し指で教室の中を指した。
そこには、灯子と春斗が、二人きりでいた。
何か作業をしているようだった。ペンを持って、何か…色紙のようなものに一生懸命書いている。
二人とも、顔が赤い。まだ日焼けの影響が残っているのか、そうでないのかはわからない。
ふっと、春斗が灯子の手を握った。
灯子は一瞬手を引こうとした。でも、思いとどまってされるがままになった。
灯子が春斗の目を見る。春斗は一瞬それを逸らしそうになったが、思いとどまって見つめ合うことになる。
どれくらいそうしていたんだろうか。
もう、その光景を見ただけで、亮太が僕に何を言おうとしているのかがわかった。
高校を出て、僕らはかき氷屋さんで冷たい氷をかき込んでいた。
「あいつら、付き合うことになったんだ」
亮太がニヤッと笑う。
「春斗、8年越しの恋が実ったんだぞ。お前のおかげだ」
僕の、ではないと思う。亮太が僕をダシに使っただけだ。亮太の思惑通りだっただけなのだ。
「俺としても、灯子が付き合うんなら春斗以外にいないと思ってたし、嬉しい」
「本当お前、シスコンだな…」
「うるさい」
まあ、灯子がもしも僕の姉だったら、僕も灯子のことが可愛くて仕方なくなるかもしれない。それくらい、灯子は…素敵な女性だ。
あーあ、本当に、彼女がいとこじゃなかったらなあ。僕も彼氏に立候補したかった。真っ黒の髪、真っ黒の瞳、少しシャイな、はにかんだ笑顔。素直じゃないけど、わかりやすい表情。
すると、そこに灯子と春斗がやってきた。どうやら本来、ここで待ち合わせをしていたらしい。もちろん二人は僕らが高校の教室を覗いていたことは知らない。
「ジェイク」
灯子が、人懐こい笑顔を見せた。もう僕に対しては人見知りしないようになってくれたみたいだ。
後ろから春斗も手を振る。
「これ、私達からの寄せ書き」
ずいっと差し出されたものは…さっき教室で書いていた色紙だった。灯子と春斗の名前の他に、亮太の名前も入っている。
「次また来ても、私達のこと忘れないように書いておいたから」
「忘れないよ、インパクト強すぎて」
僕も笑った。忘れる?僕は、君たちのキューピッドだぞ。まあ、埋葬人でもあったけど。
彼ら二人もかき氷を買ってきて、みんなでシャクシャクとそれを食べた。
僕は定番だという苺味、亮太はメロン味だという緑色のシロップ、春斗はレモンの黄色いシロップで、灯子は無色の何かがかかっていた。
「それ、何?」
「『みぞれ』っていうんだ。お砂糖のシロップかな」
食べさせてもらったけど、純粋に砂糖であるかと言ったらどうなのかわからなかった。どちらかというと、かき氷という夢と希望がそれを美味しくさせているみたいな感じだった。
「これ、次来た時に食べよう」
僕はこの空気と夢と希望を存分に楽しんだ。
次に来る時には、僕たちは何歳になっているのかな。また遊んでくれるかな。灯子と春斗はうまく続いているかな。
僕の手には、心のこもったお土産の色紙が握られていた。
2 最後の晩酌
明日の昼には機上の人になる僕を、聡太伯父と瑠璃伯母はいつもの通りムギチャとチクワとキュウリと枝豆で晩酌に付き合わせた。
彼らは大体、缶ビールを2本ほど飲む。伯母の方がちょっとだけお酒に強いようだ。伯父が顔を赤くしている反面、伯母はケロッとしている。
「どう?日本、楽しかった?」
伯母が追加のチクワにキュウリを押し込みながらそんなことを言った。
僕は首を大きく縦に振って、ニコリとした。
「とっても楽しかった!置いてきたのが可哀想で、サトルに言えないくらいだ」
それは本心だった。もちろん、11歳のサトルを連れてきたら面倒が色々多かったと思うし、同じ年のいとこ達との間でサトルが疎外感を覚えたかもしれない。
だから、結果としては一人で来てよかったんだけど、いつかサトルもこんな思いをするべきだとまで思う。
「よかった。何が思い出に残った?」
「うん、まずは亮太達と海に行ったこと、あとはこのチクワとキュウリでしょ」
伯母はフフっと笑った。これを齧りながらこの夫婦と話をしたことは、忘れられないと思うよ。
「家では食べたことがない?」
「うん、ない」
「じゃあ、作ってみるといいわよ。チクワなんて日本食材のお店には売ってるだろうし、この穴にキュウリ切ったやつを入れるだけよ」
それは面白い。カオルやミハルは食べたことがあるのかな。
向こうの友達にも食べさせよう。僕にも簡単に作れる日本食なんて、ちょっと自慢になりそうだ。
「それから、僕は、ここの家に泊めてもらって、本当に良かったと思ってる」
まるで僕もお酒を飲んでいるかのように、少し顔がのぼせたような気分になって、口走った。
「伯父さんも伯母さんも、僕のふたりめの両親だ。…3人め、かな」
最初はカウントする気がなかったのに、なんとなく「生みの両親」のことを思い出して訂正した。
伯父も伯母も、にこやかにそれを聞いている。
「ありがとう」
伯母が僕の手を握る。今握られると、手がチクワの匂いになっちゃうんだけどな。
「私たちも、あなたのことを本当の子供のように思っているよ。親友の子供だもの」
伯父は黙ったまま、目を細めて僕ら二人を見ていた。
「そして、産んでくれたお父さんお母さんのことも、…あなたを産んでくれなかったら、こうやって会うことはできなかったんだから」
そうか。
僕はあんまり考えたことがなかったんだけど、僕を殴っていたかもしれない生みの両親…その人達がいなかったら、僕はここにこうしてはいられなかったんだ。
「私達は3番めの親でありたいと思うよ」
それを聞いて、僕は、たまらずに伯母を抱きしめた。
「ありがとう」
伯母は小さくて、まるで子供を抱きしめているみたいだったけど、この人は紛れもなく僕の親戚で、僕のことを大事に思ってくれている人で、僕の3番めのお母さんなんだ。
「僕は、正直、寂しかった。この旅で、僕は親戚に会いたかったんだ。友達には親戚がたくさんいて、僕には血がつながらないカオルとミハルとサトルがいるだけで…」
伯母はうんうんと首を縦にふる。
「わかってる。いいよ」
そして僕の言葉を止めた。
「でも、血のつながりなんてどうでもいいでしょ。人種が違おうと、何が違おうと、私達つながってるでしょ」
伯母は、抱きしめられたまま僕の背中をポンポンと優しく叩く。
「またおいで」
伯母は温かい匂いがした。体を離すと、彼女は僕の頬を小さい手のひらで包んだ。
「今度は悟くんも連れておいでよ。早くしないと、聡太さんが悟くんと遊んであげる体力がなくなっちゃう」
「余計なお世話だ」
伯父が伯母を睨め付けた。
「まだしばらくは大丈夫だと思うよ?」
「まずは腰痛を悪くしないようにしないとね」
軽口を叩き合うこのふたりは、本当に仲が良さそうで、…ここの家にいて良かったな、と思う…。
3 空港へ
僕と聡太伯父は、来た時に乗った電車にまた乗っていた。
荷物は1.5倍に増えた。エコバッグの中には、サトルへのお土産の菓子類と文房具と、双子と春斗からもらった色紙が入っていた。
「お、寄せ書きか」
伯父は目ざとくそれに気づいた。
「見せてよ。もしよければ」
もちろん、何も悪いことなんてない。僕はそれを取りだして、伯父に渡した。
正直なところ、僕も内容まではちゃんと見ていなかった。日本語の文字を読むのはちょっと骨が折れるから。
伯父は、それに目を通すと、…吹き出した。
「ちょ」
「え、なに?」
伯父は色紙に指を差しながら、ひとつひとつ読み上げてくれた。
「また遊ぼうね。次は私がスコップを持ってあなたを埋めてあげるから、『彼女』を連れてくるように!!! 灯子」
「お前面白いやつだな。大人になったらめっちゃ語りたい。今度アメリカに行ったら遊びに連れて行ってくれ。あと、海パンはとっておけ。また海に行こう。 亮太」
「また会えるように、長山姉弟とは仲良くしておきます。次の時は沖に泳ぎに行けるように、泳ぎを鍛えておいてください。 春斗」
「それでね」
伯父が、とっても小さい文字を指さした。その文字は色紙の一番端っこに書いてあった。
「灯子ちゃんと仲良くします。ありがとう。お前のおかげや!!! 春斗」
「とうとう、灯子に彼氏ができたんか」
伯父は感慨深そうにその小さな文字を眺めていた。
「こいつ、阿部くんだろ?昔っから灯子のことを気にしてたんだよな…」
さすが、ふたり目の親を名乗るだけのことはある。伯父も春斗のことを知っていたんだな。
「寂しいですか?」
「うん…っていうか、何を言わせるんだ。若者は幸せになっておけばいいんだよ」
伯父は僕の背中をバンと叩いた。
やっぱり、少し寂しいんだな…。
そして、僕のこともこう述べた。
「お前も、そろそろ好きな人の一人くらいできてもおかしくないだろう?誰かいる?」
「僕には、今のところは…」
実際に僕には、好きになれる女の子は今のところいない。灯子がいとこじゃなかったら好きになっていたかもしれないな、くらいのところで。
「俺、瑠璃ちゃんと最初に会ったのって18歳の時だった」
「え、そんなに若い頃に?」
「うん、大学1年の頃かな。瑠璃ちゃんは3歳年下だけど、俺が早生まれだから、彼女が16歳の時」
そうか。僕も、将来を約束するような人が現れてもおかしくはないんだな。
でも…って、いつもの躊躇をしようとしたら、伯父が察した。
「お前は、生まれ親のことを考えるといい家庭を築けると思ってないかもしれないけれども」
図星を突いてくる。僕は、多分暴力を振るわれた子供だった。だから、ガールフレンドや子供に暴力を振るわないか、気になっている。
「大丈夫だよ。お前は、いい親に育てられている」
僕は、伯父の目を見つめた。深い茶色をしていた。
「大丈夫。お前には、良い親と、仲の良い親戚がいる。今回のことで分かっただろ?お前は、普通の幸せな家庭に育っている。だから、ちゃんと恋愛しろ。そして」
笑んだ。糸のような細い目になる。本当にチャーミングだ。
「彼女、できたら、また遊びに来い。酒が飲める歳になってたら、一緒に晩酌しよう」
僕は…
伯父をグッと抱きしめていた。
「ありがとう。聡太伯父さん、大好きだよ」
飛行機から眺める日本は、本当に小さな場所にせせこましく建物が建っている国だった。
多くの場所は森林や山だという。
そのせせこましさも楽しいと思った、そんな夏だった。
僕のルーツはここにある。
僕のパパとママ、カオルとミハル。そして、そこにつながる全ての人たち。
終
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?