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22、無職の春

今年の春、四年制大学を卒業した。
周りが新社会人生活に四苦八苦している今この瞬間に、私だけが大学生時代の時のまま自堕落な生活を続けている。

無職生活は今日で三週間目を向かえた。
この三週間何をしているのか、という問いに関しては何もしていないのだから特に答えようがない。
だからここに書くことは特にない。でも書いている。ただ時間を無駄にしているだけの人間にはなりたくない、と無職の分際で一丁前に思っているからだ。
お察しのとおり文章がうまいわけでもなければなにか伝えたいこと、共有したいことがあるわけでもない。
まあ強いていうなれば何もしていない自分に呆れつつ、生きていけてしまっているこの現状に甘えている自分にむかついたので腹いせに恥晒しでもしてやろう、というのが一番正しい答えかもしれない。

この三週間、実にあっという間に過ぎていった。
だが、周りに合わせたり生きるのに必死だった学生の頃より自分のペースで生き、外に目を向ける時間ができたからか童心に返る機会が増えた気がする。
ついこないだ桜の開花宣言をしていたのにいつの間にかすぐに散っていただとか、日差しが強い日には地面に映る自分の影をぼうと眺めたのち上を見上げ影送りをしてみるだとか。

そんな些細な事にも幸せを感じられるのは、自分はこの世界に何も貢献せずにいる焦りからきているのだろうか、なんて。
どこかの小説の主人公にでもなった気分でこうして文章を打つ自分のなんと滑稽なこと。誰にも読まれる可能性がないからこそこうして恥晒しができるわけなのだけれども。

そう考えるとインターネットが発達した社会に生きれてよかったと思う。スマホが普及しインターネットが爆発的に発達する前の時代もギリ知っている世代であることも含めてだが。

話は変わるが私は”最近の若者”と総称される中ではテレビをよく見るほうだと思う。
朝から用事があるときはとりあえずメイク中は時間確認も兼ねてニュースを流すし、お笑いが好きだからバラエティ、特に深夜帯のバラエティ番組は録画もしている。YouTubeもたまにみるがやはりテレビをつけている時間のほうが圧倒的に長い。
全然関係ないが最近の若者を”最近の若者”と表記すると思想強い人に見えるなあ。

本当に書くことがなさ過ぎる。いま自分で読み返してみたがなんの内容も得られる情報もなくて笑ってしまった。
きっと他人から見たらイタい人だなと思いながらも伝えるが、今日は何の予定もなく家に引きこもってた私に笑いを提供してくれてありがとう、自分。
こんな些細なことで笑えているうちは幸せだ。

私には人を惹きつける文才もなければ、人を楽しませたりカリスマ的な存在感を示す文章を書くこともできない。凡人に残された最後の砦、コツコツと発信することで読み手の日常に溶け込んでいく地道な努力すらできないのだ。

始めたばかりだから最後のはまだわからない、と言われたところでダイエットがまともに成功したことがなければ夏休みの課題も最終日まとめてやる今までの実体験に基づけて考えてみれば一目瞭然だろう。
私は自分のことは自分が一番知っているだろ、誰がなんと言おうとそこに例外は存在しないなどと考えている過激派なのだ。嘘だけど。

とりあえず今日は何もしていない日からとりあえず恥晒しをした日に変わったので終わりにしよう。最後まで読んでくれた人がいなければ恥晒しにもならないが、すべては自己満なのでそれもまたよし。
明日も丸一日予定はないが、明日も投稿できたら一日坊主は免れたと自分を褒めてやろうと思う。

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