[特別支援学級で勉強できなかった1年半]

私は小学生の時は地域の学校で育ちました、学校も入学を了承してくれて当時は学校にほとんどなかった洋式トイレも準備してくれました。

それでも環境は十分ではありませんでした、学年があがるに連れて、障害に理解を示してくれる先生はいなくなり交流級も学年があがるにつれて、私の扱いが雑になっていって、学校を卒業する1年半ぐらいは教育も受けされてくれませんでした。
なぜそうなのか、そうなったのか子供の私には分からないけれど、転校も許されなかった、障害児を転校させたら学校の名が傷つく、ひいては自分の評判が落ちる、と考えていた校長のせいで転校出来ずに、交流級以外の勉強はほとんどできなかったんです。

交流級の先生達は私を最後まで見捨てなかったし、障害があっても裁縫とか音楽は頑張ってるから、見守れる限りは見守りを続けてくれたらしい、と後から聞きました。

その一方で特別支援は他の児童の教育で手一杯で、それどころか児童である私に後輩の面倒を押し付けた。

これだけはどんなに時間が経っても忘れられないし、それがきっかけで精神疾患になり今も通院しているのですから。

でも私よりひどい扱い、とまでいかなくても、特別支援学級に在学してもいいけど勉強は教えられない、とか常に親の見守りが必要、それが当たり前の時代だったことを知って欲しくて、今回書きました。
それでは、今回はここまで。

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ルナ
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