走りながら、泳ぎながら、感じたこと、味わったことを まず記します。最近のことから、子供の頃のことまで。 これまで、さまざまな商品や出来事について書いて来ましたが、 自分について書いたことがなかったので、それをしてみようと思います。 感想などお聞かせください。よろしければ仕事のご依頼も。 Dedicate to 森鴎外『ヰタ・セクスアリス』 大江健三郎『性的人間』 W.バロウズ『裸のランチ』 中上健次『讃歌』 遠野遥『破局」
ランニングを始めたのは45歳の時だった。 中学高校とバレーボールをして、大学は同好会で水泳、 社会に出てからも平均週一程度だがジムに通い、 30代半ばまでは180cm・72〜3kgのカラダを維持していた。 その後仕事が忙しくなったのと、結婚して食事がコンスタントになったのと、 代謝が落ちたせいか、体重が増えた。それでも75kgはキープしていた。 ところが、45歳になった春の会社の健康診断で体重は77kg、 しかも中性脂肪値の判定がBになっていた。 スラックスのウエストがキ
久々に平日休みを取った。小春日和、公園を散歩して近くのプールで泳いできた。 昼どき、プールは団体予約がなく全コース一般開放されていた。 スイマーは私ともう一人だけ、伸び伸びと泳ぐ。 思えば七月、コロナがひと段落して行ったときも、全コース一般開放だった。 だがあの時は金曜日の夜とかで、10人以上スイマーがいた。 全員男、競パンを穿いていた。年齢は20代後半から40代前半ぐらい。 身長マイナス体重が110以上の痩せ型がほとんど。 皆お気に入りそうな競泳パンツを、尻の割れ目がギリ
「アーッ白競パン、たまんない。アーッ‥‥」 ヤツは俺のもっこりに頬ずりをしてくる。 そして食い込んだケツに舌を這わせてくる。 俺はヤツを振り払い、ヤツは床に伏す。 そのままヤツの臀部を軽く踏みつける。 「アーッ‥‥」 気持ち悪い声を出して、ヤツは悶え身を返す。 俺はヤツに跨がり、競パンのもっこりや食い込みを 真上から魅せつけてやる。 ヤツは女物のようなスケスケのビキニを穿いて、股間を先走りで濡らしている。 股間を足で軽く踏んでやると、 「ギャー‥‥!」 さっきとは違う気持
Sさんからは1時間目処で各自トレーニングするよう指示があった。 Sさんは仕事で忙しいのか、空いた貴重な時間でマシン・トレするエグゼクティブというオーラを全身から発していた。 先生も、僕も、それに倣った。最新のマシンがひと通り揃っていて、いいトレーニングになった。 ガタイもマスクも人並み以上の男3人が、黒ビキニ一丁でトレーニングする姿、その手の人にはたまらない景色であろう。 指定された1時間まで5分余りになったので、僕は最後のストレッチと、レッグランジを行っていた。 ストレッ
伊豆でビーチバレーの大会に出たのが9月上旬、 あれから三ヶ月が経とうとしていた。 先生から、久々に出張で東京に行くと連絡があった。 ただ平日の夜しか時間が取れなくて、その日は会わなくてはならない 学生時代の先輩がいて、よければそこで三人でやらないか?とのメールだった。 先生から提示された条件は、次の通り。 僕はしばし考えたが、久々に先生に会えること、 仕事が忙しくリフレッシュできない日々が続いたので、「OK」と返信した。 ・先輩は私(先生のこと)より五歳上の元実業団選手。
「アーーーーーッ」。 観衆の溜息が聞こえた。最後は長いラリーの末、相手の巧みなフェイントがコートに落ちた。 ビーチバレーの大会決勝、善戦虚しく36歳と48歳の我がペアは、 20代後半であろう優勝候補チームにあと一歩のところで敗れた。 伊豆の会員制リゾートの宿泊チケットを知人から譲られ、 ダメ元で先生を誘ってみた。先生はちょうど出張で上京するタイミングで 家族にはもう一日仕事があると伝え一緒に来てくれた。 先生…、あの上野のサウナで20年ぶりに再会したバレー強豪中学の顧問の先
そのビルの屋上と、建物の出入口は二十段ほどの鉄の階段でつながっている。 屋上から階段を降りて来るとほぼ正面に、水風呂がある。 建物の出入口から階段に向かうとすぐ右手に、水風呂がある。 その水風呂で、濡れてスケスケの白サポーターの30代半ばの男と、 黒競パンの40代後半の男が、抱き合いもつれ合い盛り合いを始めた。 どちらも180cmを超え、75kg~80kg。 ジムでなく若い頃スポーツで鍛えた筋肉に適度に脂肪が乗ったカラダ、 短い髪、精悍な顔立ち…。こんなビデオが出れば売れる
21世紀になっていた。2003年とか4年あたり。 上野にある会員制サウナに通い出した夏だ。 僕は30代半ば。このサウナの最上階にジム設備があるのと、屋上で日焼けができるのが 気に入って通い出した。 ジムでは小さめの競パンとか際どいビキニでトレーニングして、 そのまま屋上で日焼けしたり、日焼け跡が付くのが嫌で全裸で性器だけタオルで覆って 焼いたりした。 ここは年齢層が高めで、太めの人が多く、 30代半ばで180cm、75kg、ジムやスイムで鍛えている僕は異質で希少らしく、モ
このホテルは、戦後GHQが所有していた施設を、 何年か経って民間に払い下げられたものらしい。 鉄道系大手が買い取り、海に臨む立地を生かし、 全室オーシャン・ビューの客室といくつものプールを備えた リゾート・ホテルとして確固たる地位を築いた。 細部までの徹底したこだわり、 30名ほどのプール監視スタッフは皆水連の資格保有者、 体格も容姿も優れた精鋭たちの集団だった。 「顧問は、第一期のプール監視スタッフだったらしい…」 顧問の部屋から監視員控え室に戻ると、先輩は話し始めた。
1991年の夏が終わろうとしていた。 僕は大学2年生、あるホテルのプールの監視員をしていた。 そのホテルのプールの監視員は、一定の泳力資格を有していなくては 応募することのできない、選りすぐりの精鋭集団だった。 皆、プライドを持って任務に当たっていて、大学1年から3年まで 続ける人が多かった。夏が終わる時、その時の2年生から 翌年のリーダーが選ばれるのが慣例だった。 私は、リーダーに選ばれた。先輩たちから指名を受けた時、 嬉しかった。身が引き締まる思いがした。 純粋に、長
1990年代に入ったある夏、 僕は神奈川県某海岸でライフセーバーをした。 その海岸まで歩いて15分ほどのところに、 伯父の別荘があったのだが、その夏伯父一家が日本を離れていたため、 ひと夏別荘に誰も行かないとメインテナンス上マズいということになり、 当時大学2年だった僕が夏の間、その別荘で暮らすことになったのだ。 昼間できるアルバイトを探していたところ、ライフセーバーの仕事があった。 江ノ島とか由比ヶ浜とかメジャーな海岸は、大学のライフセービング部の部員が ライフセーバー
中学生になりバレーボール部に入部した。 バスケット部と悩んだが、バレー部のほうが早く試合に出られそうだった、 入学早々に体育の授業でバレーボールがあり、顧問の先生に入部を薦められた、 その辺りが選択理由だろうか。 入部して三ヶ月ほどしたある日、強豪A中学と練習試合をする機会があった。 A中は県大会で何度も優勝経験のある強豪、 僕の中学は県で上手く行ってベスト8程度の実力だ。 その練習試合、一年生の僕はまだベンチに入れず応援するだけだったが、 三年生の先輩たちは非常に好調だ
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先生の家に宿泊させてもらうことになった。 ホテルで風呂、食事を済ませてから、先生の家に移動した。 風呂は先生も一緒だった。 宿泊の不手際のお詫びや、今日の練習の感想などをひとしきり話した後、 お互いに簡単に自己紹介し合った。 先生は、高校まで水泳をしていたそうだ。 そのまま体育の先生になるのには抵抗があり、数学の先生になったそうだ。 数年前に島でトライアスロンの大会が開かれるようになり、 先生も出場しているそうだ。最初の年はママチャリで出たと笑っていた。 「いいカラダし
一日目は島をほぼ一周した。約25km、途中、山を駆け登ったり、 真っ直ぐな見晴らしの良い道をダッシュしたりという、変化走だった。 島の道はアップダウンがキツく、ジョギングしているだけでもハード。 おまけに全行程中日陰は3割ほど。夏の終わりとはいえまだまだ暑く、 本当にキツかった。 「おつかれさまでした!」 午後4時、練習終了。海辺、海水浴ができる小さな入江。走り終えた人から、 自由に海で泳いで良いことになっていた。 私は、まずシャツと靴とソックスだけ脱ぎ、そのまま海へダイブ