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【続編】飛鳥・奈良時代からの歴史をたどる〜20世紀の文学まで

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好評につき、続編を室町時代中期からスタートしています。歴史は覚えるものではなく、その時代に生きた人物のストーリーをつなげていきながら理解していくとおもしろいです。また、20世紀は…
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2023年6月の記事一覧

【続編】歴史をたどるー小国の宿命(60)

家綱は、10才で父親・家光を亡くし、自身も短命で亡くなった。 家光よりも8年短い、享年4…

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【続編】歴史をたどるー小国の宿命(59)

1641年、庶民が寛永の大飢饉で苦しんでいる最中に、一人の命が誕生した。 のちに、家光の…

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【続編】歴史をたどるー小国の宿命(58)

朝廷や全国の大名に対して、家康・秀忠・家光の親子3代は、武力を背景にして、法律を作り、支…

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【続編】歴史をたどるー小国の宿命(57)

家光が、参勤交代の次に着手したのは、鎖国の完成である。 本シリーズが江戸時代に入ったとき…

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【続編】歴史をたどるー小国の宿命(56)

今年は、徳川家光が将軍に就任した年から数えて、ちょうど400年である。 家康や秀忠が築き…

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【続編】歴史をたどるー小国の宿命(55)

無事に入内を果たした秀忠の娘の和子は、1623年に懐妊し、女子を出産した。 秀忠は、この…

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【続編】歴史をたどるー小国の宿命(54)

第107代の後陽成天皇が、1603年に家康を征夷大将軍として任命してから8年後(1611年)、息子の後水尾(ごみずのお)天皇が第108代天皇として即位した。 その翌年、家康は、後水尾天皇の后として、秀忠の5番目の娘・和子(まさこ)の入内を再度打診していた。最初の打診は、1608年にあったのだが、後陽成天皇が難色を示していた。 再度打診があったとき、後水尾天皇はまだ16才であり、秀忠の娘である和子は5才であった。 1614年に、正式に入内宣旨が出されるが、タイミング悪く大

【続編】歴史をたどるー小国の宿命(53)

真田幸村は、徳川家康が率いる幕府軍と戦いながら、何度か秀頼に出陣の進言をしていたようであ…

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【続編】歴史をたどるー小国の宿命(52)

淀殿が、お市の方の娘であることは昨日の記事で触れたが、昔は、生みの親とは別に、乳母がいた…

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【続編】歴史をたどるー小国の宿命(51)

大坂冬の陣では、真田幸村の活躍もあって、徳川家康は一旦和睦を結び、撤退した。 しかし、和…

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