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肉体という状態を味わいたい[2023-vol.2]

八月末に気分的には職業作家を辞して、九月から部署移動のような感じを受けて「口述記/上からの辞令」などを投稿して「どのような役割をやってけばいいのか!?」「新しいスペックは授けてくれるのカ!?」みたいにしていたけれども、九月の末に奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)に母と行ってからは、なんというかこう『あとは余生を堪能してくれたまえ』的な感じなのかな、と解ってきたというか沁みてきたというか、そんな感じがある。
おそらくだけど「K・ブランシェット192」という作品を完成させたことはとても「よし、よくやった!」級の仕事だったのだろうと、こちらも沁みる。心に沁みる、の意味ではなくジワジワと数日かけて味が入る煮物のように、理解してゆく。
あの作品がいつ必要になるのかもわからないし、顕在する今の社会では、文学賞の1次か2次かにも残らず「無冠で未刊」の作品だが、とにかくあの仕事を全力でしたことは良かった。そんな感じ。自分をよく言い過ぎだが、世界を誰かが救うとき、救われた世界はただただ日常を継続していて、仮に誰かがサウナに入っていて、そこへその世界救済の立役者が入ってきても、そこにいる人は誰もその人が世界を救ったとは思わない、そんな感じで、

なぜそんなに自分で自分を大げさに褒めているのかというと「肩の荷が降りた感」と「やりきった感」が凄くて、賞には落ちたが「空振り」という感じが子宮丹田的にはどうもしない、日が経つに連れ(どうもあれは大仕事だったぽいぞ)という感覚だけが輪郭を持って立ち上がってくる。ゆえに、もう、まあまあやり残したことはないのかな。あるとしたら今世の残りを謳歌し堪能することかな、うんそうだ、そのことにとりあえず向こう十年、日々を味わいながら生きていきたい、そんな感じに2023年十月最後の日の自分は、いる。

物心ついた時から「何か使命があるんだ」という感じで「それをやりに生まれてきた」ような感じがあって、いつも「それに向かえているのか、達成度はどれくらい?」という気持ちで「見えない何か」のために全力で生きて傷だらけになったけれども、どうも「だいたい達成できたのだ」そんな気がする。
ただ、まだ死なない。笑。この肉体というボディにinしている地球での3次元状態を、これからたんと謳歌したいので。笑。

きっとまあ、この先も人間活動としては喜怒哀楽を伴いながら来ては去る来ては去る困難を包括しながら生きていくことになるのだろうと思うし、
(禍福はあざなえる縄のごとし/ピアニスト上山が教えてくれた言葉)、
おそらく2025年に大きな何かが起こってそこで「大国主神」のカードが表すところの国つくり(再建というべきか)が始まるのだろうと、勝手に思っている。
大きな何か、に関してはわたしは関与する使命を持たない。ただ準備をして待つだけだ。そして2025年以降になんか多分、わたしの出番(わたしの作品たち、なのかわたし自身なのかよくわからない)は来るようだけれど、なんというかその準備は「ほぼ終わった」というような感じなんだよね。その時に何かをわわっとするんじゃなくて、今準備しているものが必要になる次元が来る、という感じだろうか。
なので現在わたしのマスト使命はその日まで我が店を続ける。それだけかな。

あの店はポータルだと自分はずっと思っているからあの店との不思議な縁というのを実感できる日が来るとしたら「その日」しかないんだよね。だから自分はその日を我が店で過ごそうと今から色々準備している。山崎12年やオールドのバランタインも、準備している(笑)

「K・ブランシェット192」を書き終えたことで自身が(何かしらの真理)に近づき色々なことが達観してきた感があって、面白いことに、わかればわかるほど「最終的なことは(戻るまで)わからない」ってことにも気づく。
そうするとこれまでは目を凝らして宇宙を見上げて「知りたい」と背伸びしていたもろもろよりも「目の前のステーキ」が重要であることに気づいていく。
いつか肉体を脱いでそこへ”戻った”とき、絶対に今知りたいと思っている全てを「思い出す」という形で知ることになる。その時に「ああなんだ、こんなことなら小学校の運動会に戻りたい」とか「食べたり飲んだり眠ったりする3次元的運動がしたい」とか思うんじゃないかなって。達観してゆけばゆくほど、いかに自分が自身の肉体や、その肉体に魂が入っている状態を慈しんだり愉しんだりすることを忘れて「想念ありき」で過ごしていたかということに気づく。

なので今わたしは、肉体という状態を味わいたい。味わいつくしたい。
1週間じゃ足りない、1年でも足りない、海外旅行でその1日1日が二度とは戻らぬ日々として濃く贅沢に過ぎていくように、堪能し尽くしながらあと10年は味わいたい。なのでBeing(神的な地球外生命体)に言う。

(「K・ブランシェット192」がよき仕事だと思ってくれたのなら、
褒美として余生を10年は欲しいです。笑 なお叶うなら親より先に戻ると親が悲しみますので親を見送ってからでお願いいたします!)

おそらくわたしは「ブラッシュアップライフ」的にいうと今6回目、実はもっと何回も人間をやったと思うのだけど、地球人はこれで最後かなという感じがこちらも9月以降に”沁みて”きて、ああだから子どもを持とうと子どもの頃から思わなかったのだなあとか色々納得している。

マンションの隣に中東の女の子が引っ越してきた!

そんなわけで非常に肉体にメンションしている隠遁作家は、本日よりジム通いを再開した。肝心なことは3次元に帰属する肉体とその日々であることに気づいたのだ。2025年に備えても多少肉体を鍛えておかなくてならないし、何より肉体を持っており、その肉体を自身で管理することも可能であるのなら、
より美しくいたい。いつかは美醜そのものが存在しない場所へ戻るのであれば、その窮屈さすらも体験しに、来たのだと思うことにして。笑。
わたしは44歳から55歳を美しいカリスマ女主人として「衣食住」に重きをおいて生きることを、定めた。いつも筆が一番で、コックリさんのごとく物凄い速さでどこかへ引っ張られる右手に肉体は旗のようにくっついてゆらゆらと”現(うつつ)”があまりなかったけれど、これからは筆は一番最後に動く。このnoteも無理して更新はしない。歯が痛い。ずいぶん前に治療をして神経を抜いた歯の歯の根が膿んで夕方歯医者へ行った。ロキソニンを飲んでも痛い。麻酔というものがなかったら治療より死んだほうがマシって感じだったろう、麻酔をしてても死ぬほど痛かった。しかしこれも3次元に帰属する肉体への「痛み」というギフトである。

結界にゃー!


嬉しいです ( ´ ▽ ` )ノ