サンジソウ 咲きました。
我が家のベランダにいる「サンジソウ」という花です。
麦わらの一味のサンジの花…
ではなくて、午後三時に咲くから三時草。
南アフリカ原産の多肉植物で別名テルナミ(照波)。
毎日午後三時に開いて夕方に閉じてを繰り返しながらだんだん咲き進みます。
私が仕事で外出している時に咲いている花なので、育てている本人が、あまり花を見たことがありません。
そこで、新型コロナウィルス対策外出自粛で、家にいる機会に、サンジソウの写真を撮ろうと思い立ちました。
ところが、そう思った途端に天気が悪い日が続きます。
午前中にお天気がよかった日も、よし! とカメラを出した途端に、一天にわかにかき曇り、雷が鳴りだす始末。この花は曇りの日、光が弱い日、光が弱い時間、には開きません。
私がお休みの日には、結局終日咲かずじまい。
そうこうしているうちに、どんどん「花がら」ができているところを見ると
やはり私がいない日に咲き進んでいる様子!花を見ないうちに終わってしまうのか、と心配になってきたところで、ようやくお天気になりました。
よし、ようやく、今日こそ!!
インターバル撮影で三時に咲くところを撮れる!と意気込んでカメラと三脚を出してベランダに出たのです。
そうしたら、なんと、まだ二時前なのに、すでに全開で咲いていました…(T . T)
インターバル撮影というのは、一定の時間を開けて自動的にシャッターを切る撮影方法です。
その撮影した一枚一枚の写真を動画のように繋ぐ「タイムラプス」動画を作成する事ができます。
(iPhoneでも、「skyflow」というアプリでできるようです。)
よくあるような蕾が花開いてゆくところのタイムラプス動画を作ろうと意気込んで
一時間以上前から撮るつもりでベランダに出たわけなのですが、すでに我が家のサンジそうは全開だったわけです。
サンジソウのくせに。
名前に偽りあり。
どうやらお天気が良すぎたようです。
この花はアフリカ原産の多肉植物という事なのですが、
暑さだけではなく、なぜか冬の寒さにも強く
ベランダに放置していても元気いっぱいの、
丈夫で育てやすい花です。
あぁあ、咲いちゃった…サンジソウをちょっと非難がましい目で見ながら、
仕方がないので閉じていくところをタイムラプスにしました。
そこで思ったのですが、この花にとっては「三時」なんて、何も、知ったことではないというか、そもそも太陽が明るい時間に咲いて、暗くなったら閉じるだけのこと。
それに勝手に「三時」という数字を当てはめているのは人間です。
数字は関係ない。
「サンジソウのくせに」と文句を言ったら、きっと「そんなん、知らん」と答えるでしょう。
植物たちにとっての時間の感覚は、どうなっているのでしょう。
以前、屋久島に縄文杉に会いに行った時、千年を超えて生きていくこの生き物にとって、たいていの他の生き物があっという間にいなくなっちゃうのだろうなと思いました。
そこで、人間にとっても、今のような時間の感覚は江戸時代にはなかった、と以前聞いたことを思い出しました。
江戸時代は、夜明けと日没を基準に、昼夜を分けてそれぞれ六等分したものが一刻だったのだそうです。だから、昼と夜の長さが違うので、一日のうちでも
昼と夜で、一刻の長さは違うし、日の長さは季節によっても違うので「一刻」の長さは変動性だったようです。
変動する一刻。
ちょっと不思議な気もしますが、今のように電気が普及していない時代です。
明るいうちに活動するのは理にかなっているようにも思います。
そんな時間感覚で、それでは江戸時代の人は時間にルーズだったのかといえば、
稲作農耕民族なので、集団作業をする必要があった為、
「時の鐘」で告げられる時を元にしていて、遅刻には厳しかったようです。
時の鐘、川越にあったなぁ。あれ、昔の人にとって大事だったんだなぁと思い起こしました。
つまり、今のような時間の概念は明治時代に入ってからなのだとか。
数字ができてそれを意識するようになってから窮屈になったとも言えます。
デートの待ち合わせで何分遅れたら怒るかという質問には、30分ぐらいと答えた人が多かったと思います。
あなたなら、何分待てますか?五分?一時間?
「何分」という数字があるから余計に頭にくるような気もします。
私達は、つい、時間がない、時間がない、と口癖のようにいってしまいますが、
そういう感覚は比較的新しい時代にできた概念なのかもしれません。
結局、私はサンジソウが咲くところがどうしても写真に撮りたくなりました。
一日に一度しか挑戦のチャンスがない撮影。
次のチャンスを待ち、再びサンジソウ撮影を試みました。
この日もお天気は良好。
今度は三時には拘らず、自分の感覚で太陽の光の強さ、高さを考えながら
一時すぎには撮影を開始しました。
案の定、この日も二時前にサンジソウは開きました。
撮影は無事成功です。
インターバル撮影をして、咲くところ、閉じゆくところをタイムラプス動画にする事ができました。
その画像を
YouTubeにアップしてみました。
もしかしたら、
江戸から明治になって人々の暮らしが変わり、時間の概念が変化したように、
今も、リモートワークが進んで、
シーナイーストンの歌のように九時の電車に乗って五時まで
という働き方が崩れてゆく中で、
「時間」の感覚が、また変わってゆく時がきているのかもしれません。
今日も、サンジソウは自分の感覚で花開き、夕暮れにはまた閉じてゆきます。
別名の照波という名の通り、光を反射する輝くような黄色い花は、三時と名付けられたことすら、知らぬ顔で、今日も太陽を待っています。
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