見出し画像

心と体がつながらない


母が亡くなり
まだまだ気持ちが追いつかずにいます。

大切な人を亡くした方は
今の私の状態が理解してもらえるかな。



母の病状が急に悪化し
ある程度の覚悟で毎日を
過ごしていたのですが


母の死を目の当たりにし

入院中、面会で母と何気ない話をしたり
小さい頃から今までの記憶を思い出しては
辛くなります。

優しすぎた母からもらった愛情が深すぎて、
ふとした瞬間に涙が出て

バラード系の音楽を聴くと
さらにボロボロと涙が出てきてしまいます。

あっという間に初七日を終え
今日で亡くなって九日目。

仕事も再開しなければならないし
すっと悲しんでもいられないのは
わかっている。

でも
身体が思うように動がない時があり

頭と身体がバラバラって
こういうことなんだなと体感しています。




朝は子供達を送り出すために
なんとか起きられるけれど

起きて1時間ほどでだるさが出てくる。

眠気は取れない。

この体の重さは、
20年以上前に
大きなストレスを抱えていたときの

なんとも言えない体の重さと同じ。




母は病気から解放されてやっと楽になり
仏様になった。


母はもう苦しまずに済むのだから
良かったね、と言えるけれど

やっぱりいないんだよね

という喪失感が
ふとした瞬間に押し寄せて来る。





何をすることが私は楽しいんだっけ、
やりたいなと思ったらすぐやる方なのに
そう思ってもやる気が出ない。

心から笑うってどう言うことだっけ、と

違和感のある日々を過ごしています。




子どもたちの面白い言動に
クスッと笑う時もあるけれど


ほんの少しの時間で元に戻る。





親が歳をとり、亡くなることは
当たり前に訪れることだけど


他の人が同じように
親がなくなりました、と
聞いた時は、やっぱり私も
今までは他人事だったんだなと
恥ずかしながら感じているところです。




人の死も
病気の辛さも
それを見守る家族の精神的な苦痛も
経験した人にしかわからない


本当に、それはその通りだと思います。



家族の中であってもどこか他人事だな、
と悲しくなったり、
なんで理解してくれないの?と
イライラしてしまうこともある。



こんな悲しいことがあったのに

私が大泣きしているところを見ているのに

冷たい言葉をかけるの?と思うこともある。




経験した人にしかわからない、と
理解しながらも


気持ちを汲み取ってもらえないと
すごく悲しい気持ちになってしまいます。



自分の中だけでも
思考と身体がバラバラなのに

さらに追い討ちをかけるように
周りの態度を感じ取って
バラバラな状態は倍増。


心と身体が繋がっていないし
思考にも左右されて
そりゃ体も重くなるよね、と
客観的に自分を観察している。


心は寂しくて悲しくて仕方なくて
休みたいといっているのに


仕事や家事、育児
目の前にやらなければならないことは
押し寄せて来る



みんなに迷惑をかけていると思って
最低限のことはやらなければと思う。

でも悲しいものは悲しい。



今この状況になってから

自他の区別と
自分の心を大切にすることが

私にとって今それが
乗り越えなければいけない大きな壁。



母が亡くなった事実を受け止めている
つもりだけど、

まだ、どこかで嘘であってほしいと
願っている自分がいる。



意識のない母の手を握りながら
病室でうたた寝してしまったり

幼少期に一緒に添い寝してもらったこと

たくさんの温もりが自分の体に
感覚として残っている。


家族と過ごすこと
子どもと一緒に寝ることも
当たり前じゃないし、

いつかは終わってしまうもの。

終わりがあるからこそ
今を大切にしよう。


今は無理だと思ってしまうけど、

今こそそれを大切にしようと思う。


今を生きるって
できそうでできていなかったこと
にも気づいた。

今を生きなければ
心と体はつながらない。


心と体をつなげることは
本当の自分を大切に生きること。


少しずつ、少しずつ
できるように
言葉だけの気づきで終わることなく
言葉以外でも五感を感じて
自分を癒しながら、
大切に生きていきたいと思う。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?