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依存と尊敬

尊敬している人はいますか?


この答えは、いると答えてもいないと答えても

どちらでもよいものだと思っている


自分ができないことを

他人ができているときは、

すごいなぁと尊敬することも多い




尊敬って

人の事も

動植物に対しても

物事によっても



本来は感じられるもの。





私は最近


他の人に対して

違和感を感じた出来事が多かった



それは過去の自分とも

重なる部分でもある





尊敬という見えないものに隠れた”洗脳”



自分が叶えたい未来に近づくために

それを叶えている人の傍にいることで



たくさんの気づきを得たり

頑張ろう、という

モチベーションにつながったりする




もちろん、物事を成し遂げるために

自分の行動が伴っていないと
いけないことは

誰でも自覚はあると思っている


でも

その行動が自分自身の”本当”の想いによって

引き起こされたものなのか



その尊敬する人とそっくりそのまま

コピーしてとりあえず成功しそうだから

やっているのか・・

その違いに気づくことが大事だと思う





同じようにやってみて

それができたことで

自信につながったり

自分が嬉しいなら

もちろんそれでいいと思う





だけど・・

私はそこに”私”という唯一無二の存在価値が

失われていくような気がして

モヤモヤを感じていたのだと思う。




お金は人を幸せにしてくれる

あった方が困らないよね


逆に

ここは、お金じゃなくて

この人とつながりたい

と思った人たちの集まりだよ




という考え方に

まだ違和感がある




自分という存在を

自分が肯定し


私は私のままでいい



そう思っているなら



ある人を尊敬し、

成長のために一緒にいることは

確かに良いことではあるけれど




自分を自分で

受け入れ

認めていないのに



尊敬する人との深い関わりを

持ち続けることは

自分自身にとって大きな障害と

なってしまうのではないかと思う。




この人すごいなぁ

そう思った時に



その人のようになりたい自分もいてもいい

でも、その人と同じようにやってみて

なんか辛いなぁと少しでも感じるなら



頑張ることや

その人の尊敬心を

一度捨てて




自分との対話をしていく




誰にでも

得意なこと

不得意なことがあり




心地よさの基準も違う









今はたくさんの職業があるけれど

どれも優劣をつけるものでもなく




収入の高低で

その人の価値を決めることでもない




その人が選んだ職業である

ということだけが事実






あの人はすごいとか

よく頑張ってるとか


きっとそういう


見えない競争心を

掻き立てるものに

私たちは日々追われて





自分で生きる力を

失ってしまっているんじゃないかな


というのが、

今私が感じていること





大人も子どもも

動植物も

大自然も





どれ一つでも

欠けていたら自分という命は

存在し続けることは

できない




自分自身を生きるために


1人1人

一つ一つのものに



心からの尊敬と感謝の気持ちを

持っていれば




自分という存在を否定することなく

誰かに依存するような



空想の生き方から

自由になって



自分らしく生きられる!

と思う




自分の人生は自分にしか

生きられない。



何者にもならなくていい

和多志という存在が

自然の一部だということに



気付き

喜びに満ちた人生の時間を

過ごせるように。



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