くそったれな節分

節分の前日かな、キシダが同性婚に対して否定的な答弁をした。「社会が変わってしまう」と、そんなことより自衛隊の反撃能力、米軍との一体化、防衛費の2倍化の方が戦後の日本が守ってきた平和主義を壊して、明らかに社会を変えてしまうではないか。
そして節分の日は、わたしは疲労感で動けなくて、近所のはま寿司で予約していた恵方巻きを取りに行かなければならないことを思いだす。なんとか起き上がり、はま寿司に電話かけて、今から取りに行きますと伝え、焦って取りに行った。無事に引き取れたものの、焦って急いだせいもあり、帰ってきたらまた疲労困憊していて、また横になる。そのうち不覚にもまた寝てしまったようで朝の5時。猫家事ができてない、ふーしゃの点滴もできてない。みんなごめんと謝りながら、しかし、あまりにお腹が減っていたので、買い置きの菓子パンを一個食べ、疲労感で動けない身体を叱咤して、点滴、猫家事を、すます。一歩歩くごとに「あー、しんどい」「くそったれ」と悪罵をつきながら、作業をこなす。わたしは普段はこういう悪罵の類は好まない、避けているのだが、起きた時にみたニュースで首相の秘書官、荒井某の首相発言を擁護する立場での同性婚について、というより、同性愛者を「気持ち悪い」だの「隣に住みたくない」というヘイトを「オフレコ」で発言していたのだ。同性婚を認めたら「国を出ていく人がでる」とも。
これは「差別発言」と問題視してくれた記者さんの対応がよかった。TwitterのTL上には、おおむね否定的な意見が並び、ちょっとホッとしたのだが、キシダ発言そのものもそうだが、政府の中枢にこういう人が並んでいるのはいかがなものか。許せないことに変わりはない。
こういう発言の怖いところはヘイト発言にそれなりの正当性を認めてしまうことだ、性的少数者にとって、すぐ隣の人がこういう思想を持っているかもしれないと思うだけで恐怖である。更にそれに言論の自由という言い訳がつくからである。
いわいる「LGBT差別禁止法」が議論されず、「LGBT理解推進法」という骨抜きな形になっても自民党から批判があり、事実上の廃案みたいになっているのも。ヘルジャパンである。「くそったれ」「F◯ck」悪罵を繰り返して、作業を終えると、シャワーを浴びて、ようやく晩ごはん、恵方巻きにかぶりついた、なにか方角があったなと思いながら、もうどうでもいいと、とにかく食事を終えるが、ムカつきは収まらず、Twitterに荒井某の発言の批判をリツイートしていく。キシダが更迭したというが、元は自分の答弁が悪いのである、どの口が批判しているのか、くそったれ。

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