わたしの性別移行と性自認についての記録

猫自認のツイートに5万イイね。いかにマジョリティが「自認」「性自認」を疑わしいものだと思っているかがわかります。わたしも意識して考えるようになるまで、自認はなかった(のかどうか意識してない)。実際そういうことを本で読むまで、考えもしなかった。
わたしが思春期とか学生時代に「性同一性障害」は知られてなかったので、なにか生きにくい、男性グループに入っているのがしんどいと思っていた。しかし、性別を変えて生きるにはまず普通の就職はできないし、周りから変な目で見られるのはわかっていたので、男性からはみ出さないように意識していた。学生時代はまあなんとか過ごせたが、サラリーマンになってネクタイを締め、スーツで働くことがどうしても嫌で、なんとか気楽に過ごせるような職場をと大学の職員に。そこでも、最初の研究室は自由で上下関係もあまりなく、ホモソーシャルさはあまり感じなかった。しかし、教授が退官したら、その研究室がなくなるとわかって、自分で研究者になるほどの力もなかったので、だんだん、辛くなって、うつを患う。それでも、朝起きれないということはあってもなんとか仕事を続けていた。そのうち研究室がなくなって、上の教員たちはどんどんほかの大学とかの同じような研究のできる場所に移っていった。
わたしは一人残されて、研究室が持っていた備品の整理、登録抹消などを一人でやるハメに。そのうち、新しくきた、教授のもとにいくことになったのだけど、あまり興味は持てなかったので、だんだん、出勤拒否みたいな反応が。新しい教授は男性ジェンダーがバリバリにあって、下の学生に自分の都合で研究を割り振り、頻繁に進捗を報告させる。これでは、学生さんも自分のやりたいことを考える暇もないだろう。けれども、ここにくる学生さんはむしろ厳しく鍛えられるとまで思っていたようで、これまでと違って、体育会系みたいなホモソーシャルな世界だった。わたしは話し相手もいなくなり、うつもひどくなって退職。
そして、文学をやりたいと思って、文学の学校へ、そこでの自由な雰囲気があって、友だちは女性ばかりだった。そして、両親と死別、これで誰の承認を得ることなく、やりたいように生きてもいいと思ったら、男性ジェンダーを生きていかなくていいんだと思えてきた。それで「性同一性障害」についての本をよみ、異常なことではないと、徐々に女性装を始めた。すると、男性との考えの違いが明らかになって、ようやく、性自認は男性ではないと言い切れるようになった。男性トイレなどには嫌悪感すらでてくる。そしてフルタイム女装に。ただ、親戚との場所は男装していた。そして、友だち関係のようだったが、結婚していたが、死別。本格的に性別移行を、と言っても、性自認が女性だ、と言い切れる自信はない。女性として生きた方が楽だけど、ここでもやはりちょっと違和感が、ということでいまはノンバイナリを自認している。SRSはやってみたい気はするけど、あまりにコストがかかるのと、健康面での不安があって、いまはやる気はない。ということで、戸籍の性別変更は諦めているが、ホルモン治療を続けているので名前の変更はできるということで、3年前、還暦を超えてから女性名に変更した。そのことで女性として生きる覚悟ができたので、まあ性別移行できたかなというところ。だけど、ボイストレーニングには、なぜか抵抗があって、男性の声なので、話すとわかってしまうだろうと思っている。それでいい、オープンリートランスジェンダーとしようと思っているが、昨今のトランスバッシングにさらされると、改めて世間の人が怖いと、ちょっとフルオープンはやめようかとも思っている。
まあ、しかしそういう「性自認」の意識が生まれたのは40代になってから、身体の違和はあまりなかったのでGIDの人のような強烈な違和感、そしてあまり厳しい男性社会に揉まれることなく過ごせたので、性別移行まで考えなかったのだから、まだ「本物」ではないのかしら、という気持ちもある。でも、小学校の頃からいじめられて、女性ぽく振る舞うのはやめようと意識はあったのだから生まれつきのものだろう。トランスジェンダーは「自称」でいいのだから自分にとって楽な生き方をすればいいと思って、他の人に規範を強制するものではないと思っている。

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