見出し画像

ワタシというヒトのハナシ🌈ᵕ̈*

ワタシと書くと
特定のこのワタシとなりそうだけど

ワタシを私と書かなくなったのは
いつからか

そもそも小さい頃から
私と呼ぶのが苦手だった

なんか変

あたしもなんか

小さい頃は
自分を名前で呼んでたけど

自分の名前で呼ぶって
おかしいんだよー❣️

という
親からの刷り込みを広める誰かのおかげで

そうしなくなり

自分をなんと呼ぶか探しをして
小4の時に淡路島に引っ越して

関西弁

うち

というコトバがしっくり来た

うち

ワタシの家は
うちんち(ワタシだけだろうか‪𐤔𐤔‬)

うんちみたいだなぁ
なんて楽しかった

とにかく小4の時に
ワタシはやっと

堂々と自分を指す言い方を
手に入れた

関東に引っ越しても
ワタシはずっとうちだった

今となると
内なるモノ的な意味でも

うちという呼び方は
心地よかったのかもしれない

ワタシはね
よりも深く

うちはこう思ってるよは

ワタシの内側はこう思ってるよ

みたいなコトだろうか

大人になってもずっとうちと呼んでた
関西なまりがなくてもうちは変わらず

でも文章で書くのに
うちと書くのが少し心地悪く

ウチならアリかもだね

カタカナにすると
途端に多くの意味を成す気もして

意味がひとつに限定されないみたいな
今はそんな感覚

私は心地悪い
なんか変

ワタシならば
大丈夫

私と捉えてくれてもいいし
和多志でも渡しでもなんでもいい

相手の好きなように

昔はカタカナが苦手で
なんだか意味が入ってこなくて

でもその感覚で合ってたのかもしれない

意味は個々につければいい

意味なんてなく
意味しかない


ワタシは
ホントは自分をどう呼びたいのか

止められることがなければ

「ルミもー❣️」
とか言っていたかったのか

ウチと呼んでいたいのか

ワタシで安定なのか

ワタシはすぐに
状況に合わせて仮面をつけるから

シンのワタシの想いを探すのが
一番困難みたい

でも
それすらもない気もしてる

ない気を変換したら
NIKEとでてきておもしろかった‪𐤔𐤔‬

予測変換って
面白いことになるよね

たしかに

ないき‪𐤔𐤔‬

漢字に固定すると
意味も固定されてしまう

固定したい時はいいけど

どうでもいいならば
変換すべきところを

カタカナがちょうど良かったりする


長女がてんかんの発作を起こして
大人になっても発作で困るのではと

真面目に必死に
生きてきたワタシだった時に

エネルギーについて
目に見えないモノについて

話してくれたヒトは

「転換✨️」

なんてふざけるように話してて

ヒトが真面目に悩んでるのに
何言ってやがるんだコノヤロー


ちゃんと腹が立ったが

たしかに
そこから大きく転換した

ワタシは出産が近くなり
家に篭もるようになり

不思議な体験もたくさん起きて

長女と過ごす時間が
必然的に増えたら発作は起きなかった

たった一度の発作

ワタシと過ごして
精神安定されたという面もある

でも今思うのは
あのてんかんの発作の時に

長女は
一度死んだのだと思う

12歳だったのに
意識朦朧と答えた年齢は

16歳だった

脳がやられた
オワタ

そう思ったけど

その後に不思議体験が沢山起きた時に

長女は
15歳で死ぬ人生だったと感じた時があった

でもその流れを変えた
だから16歳として生まれ変わった

ワタシの中に現れた
オレオレしたヤツも

みんなの人生設計をひっくり返した

みたいなコトを言ってた

やはり
終わるはずの文明だったのかな

なんて思う

ワタシの夫も
感覚のいい知人男性も

もう死ぬだけって感じがあったとか
死んでたはずなんだけどとか言ったりしてた

やはり
終わるはずだったタイミングも

あったのかもしれない

でも終わらせないために
そいつは現れて

光と闇のバランスを一時的に
大きく変化させて

文明を存続させたみたいな

勝ち試合だから
これからは愛と調和の世界だよ

なんて調子よく言ってて

でもそれも
ヒト次第なんだろう

目に見えないモノだけではダメ
目に見えるモノだけではダメ

でも目に見えないモノのシェアは
大きいから

そっちで大きく調整してくれて

パーセンテージで言えば
めちゃくちゃ少ない目に見えるモノ

それは
ヒトに委ねられてるのかもしれない

ワタシは
日本中が光そのもののようになるのを見た

各地に点々とあった
宇宙からも見える光の柱が立ち

その光は
また光を呼び起こすみたいに

どんどん光は拡大した

大地震の後のテレビみたいに

ワタシの脳裏には
常に日本が映し出されていて

光の状態が見えていた

最後には
日本中がほぼ光となってた

それを見ていた
ワタシではない誰かが

「人間もなかなかやるじゃねぇか」

なんていって
そこから離れていき

それとともに
ワタシからも見えてた

日本地図は消えていった

その後も
目に見えるモノは大きく変わらなかったけど

明らかに
空気感が軽かった

空が高く広く軽く感じた

ワタシは心地よかった
いつからか空が窮屈だった

何も変わらないようで
大きく変わった

ワタシにはやはり
よくはわからないのだけど

目に見えないトコロでは
そんなコトが起きてるのかもしれない

このセカイを生きるヒトは

まさに渦中にいるから
見えないのかもしれないけど

離れてみてる誰かは

全てをミテ

何かを判断したり

そうしたくないと思った誰かは
タブーを犯してまでこのセカイに

アラワレテ

愛するヒトを守りたいと
愛する地球を守りたいと

今までにない
アイのセカイを創ろうと

くちゃくちゃしてるのかもしれない

それすらも
ただの壮大なストーリーでしかなく

何も起きてないのかもしれない

愛そのものと
繋がっている感覚はある

ワタシも
全てのモノも

愛そのものなのもワカル

愛そのものなんてコトバも
いつからか自然とつかってたけど

ワタシは知らないけど
ワタシは知っているという感覚で

ワタシはぽつりぽつりと
大切なコトを身に付けているみたい

必要なコトだけ

余計な知識はいらない

ヒトとして生きるのに
ヒトとして大切なコトだけを身につけた

それだけあれば
十分と思える

なにかしてもらったら
ありがとう

悪いなと思ったら
ごめんなさい

自分がされて嫌なことは
他のモノにはしない

頼みたい時は
お願いと伝える

感謝を伝える

日々の中に
シアワセがたくさんあるコトを感じる

想いを残さないように生きる

後悔はしないように

ワタシは決して
ネガティブな意味ではなく

いつ死んでもいいと思うようになった

子どもがいるからとか
親より先に死ぬなんてとか
愛する夫もいるのにとか

イロイロなコトがあっても

ワタシはいつ死んでも後悔ないと
思うようになった

同時に
毎日を

楽しいでいっぱいにするようになった

出かけると楽しい
夫といっしょが嬉しい

出かけなくても
みんなが笑ってると嬉しい

そうであった日は
サイコーの日で

充実感が溢れて

今日もいい日だった
ありがとう

そう夫に伝えて
夫に抱きつく

夫は嬉しそうに笑う

なんてことない日も
なんてことある日も

きっとそれは格別で
生きてるだけでサイコーで

次女の世話で一晩中寝れずに
やっぱり死にたいなぁなんて

ネガティブに思ってみて

次の日ずっとベッドでゴロゴロして
まるで人生を無駄遣いしてる今も

何もしないを楽しむ
贅沢な過ごし方だったりして

ワタシは寝るのが大好きだし
何もしないも大好きだし

だいたいワタシは

なにモノでもないのだから
みたいに

生きてるんだか
死んでるんだか

ヒトのようで
ヒトでないみたいな

実態があるようで
実態がないみたいな

そんな今を生きている


親はなくとも子は育つ

子を産むことは
最大の約束事で

産まなきゃその子の人生は
はじまらないからね

だからワタシは
約束は守るという強い意志はあった

子を産む約束をしたのは
ワタシの人生に必要でもあったし

その約束がなければ
生きていなかったかもしれないしね

不幸だとか
死にたいとか

思っていきたコトはないつもりだけど

どうでもいいって結局
生きてても死んでてもどうでもいいから

どうでもいいは
どうであってもいいから

とりあえず生きておくために
約束をしてきたのかもしれない

長女と次女は12歳違いで

次女が乳離れしないのも
乳を出せるのがワタシだけだからかもしれない

とりあえず
生きる理由を

生きる上で
ワタシだけにしかできない役割を

それがあれば
ワタシはやろうとするから

誰にでもできるコトには
興味が無い

ワタシじゃなきゃできないコトじゃないと
つまらない

そうやってワタシは
イロイロなコトから逃げようとするけど

ワタシがやれば
ワタシだからこそできるモノとなる

なんていって
限定感を出されたりする

古式ロミロミだって
別に本気でやろうとすれば誰にでもできる

助産師だって
本気でやろうとすれば資格が取れる

やりたい気持ちを突き詰めれば
誰でも夢を叶えられる

ワタシはその気持ちすらなく

何かに頑張りたいとも思わない

世間で言えば無気力という
ビョーキかもしれないけど‪𐤔𐤔‬

ただのナマケモノと思う

でも昔のワタシはそうだった
良くも悪くも欲がなく

高校を卒業して
働くようになり

そのお金で遊ぶ

仕事も対して真面目にやらず
暇だなーなんてすぐお茶して

もちろん高給取りでなく
ボーナス残業みたいなブラック会社で

でもヒトと関わるのが楽しくて
その理由だけで何年も旅行会社にいた

仕事が終われば
どこに遊びに行くか

まずは仲良しを誘って

朝まで遊んで

若気の至りとか
ただのバカとか

そんなのが楽しかった

今もただのバカだから変わらない

昔は良かったとか
今はできないとかでなく

カタチが違うだけで
今のワタシと昔のワタシは

同じモノとなった
そう思える

経験だけ足された感じ

元は一緒
ただのバカ

そんなただのバカに戻れて
ワタシはホッとしている

何が起きてもどうでも良くて
なにかに固執するでもなくて

いつ死んでもいいって思うと
恐れるモノもなくて

死んだらむしろ愛に還るから
むしろ楽しみみたいな

だから今を退屈にしちゃうと
すぐそっちに偏るから

生きてるは
生かされてるだから

どうであれ
この生を全うしたいと思う

自殺じゃなきゃ
全うしてるというこの生を

おかげさまで
自殺するほどの強い意志も持ち合わせておらず

やはり
ボーフラみたいに流れるように生きるのみ

しばらく
流れが滞る岩場にいることもあるよね

でも
雨や風が

そこからまた流れに乗せてくれたりして

また流れはじめたりする

ポカポカのいい天気だけだと
ずっと岩場から動けなそうだけど

雨とか風で
その川がたくさん荒れたら

はじまる流れがある

だから
いい天気も悪い天気もないよね

ワタシはずっと同じところにいたら
飽きちゃうから

雨や風のエネルギーはありがたい

自力で頑張る気もないワタシには
非常にありがたい‪𐤔𐤔‬

目に見えないモノたちは
こんなワタシに手を焼いているのか

ヒトはそれでいいんだとしてるのか

まあそれも
どうでもいいか‪𐤔𐤔‬

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?