Day84 幸せってなに!?
おはようございます。Rulie組織作り担当のたろーです。
5月1日(日)Rulieの日記をお見せします。
追記:ここ数日、日記の投稿時間が意味わからないほど遅くなっているのは一重に私のせいであります。申し訳ございません。
昨日はポップアップイベントがあったようで、来てくださった方々ありがとうございました。そして、メンバーのみんな、お疲れさまでした!
さて、本日はnoteの各種コンペも終わってしまったので、僕はフリーテーマで書こうと思います。
以前このRulieの日記で、代表エリが2周にわたって、幸せについて書いていました。ということで、すこしだけ幸せについて考えてみようと思います。
僕の考えの前提として、この手の疑問を持つ輩は、平和でヒマな日常を過ごしていることが大半だと思っています。すなわち、幸せとは何かと考えることは大変に贅沢なことであると思うのです。
つまるところ僕は今、大変に贅沢なことをしようとしているわけであります。
ということで、直近1週間でいつ幸せを感じたか振り返ってみました。
将棋の対局で勝ったとき、ファミリーマートのクーポンが当たったとき、パスタの湯で加減をいい具合にできたとき、美味しいお好み焼きを食べたとき、美味しい串カツをたべたとき、
などなどです。後半は食べ物に関することばかりで少し恥ずかしい気もします。
ここで、逆に不幸だと感じた瞬間を振り返ってみます。
円安で学費が上がったとき、デリバリーで頼んだ骨付き肉に肉がほとんど付いていなかったとき、高圧洗浄機の水で服がびしょぬれになったとき、
などなどです。
不幸感は外的要因によって生じるのに対して、幸福感は内的要因と外的要因の両方によって生じる場合があるのではないでしょうか。
これは少し考えてみると、至極当たり前な気もしています。
ここで、少しだけ視点を変えてみましょう。
自分のお小遣いが月500円なのに対し、隣の子が月10,000円だった場合、どう思うでしょうか。
自分のお小遣いが月10,000円なのに対し、隣の子が月500円だった場合、どう思うでしょうか。
ここで僕が問いたいのは、不幸感には相対性が強いのではないかということです。
いっぽうで相対的な幸福感はどこかしら気持ち悪さがある。
相対的な幸せは、じつに貧相な心を生み出すのではないかと考えています。
とどのつまり、幸福感とは普遍的ではないにしろ絶対的であったほうがそれ自体が幸福なのではないかということです。
相対性をもとにした幸福感の気持ち悪さを言語化できるようになったら、もう少しよさげな回答に近づく気がしてはいます。おそらく、数十年はかかるのかなと。
幸せについての議論は、いかにして自らの絶対的な幸福感を発見するかという命題に帰着するのが、現時点での僕の稚拙な頭で思考した結論です。
今日も良い一日を!!
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昨日 4/30(土)のRulie
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〇午前8:00 Day83『Rulieの日記』投稿
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テキスト/たろー
編集・昨日のRulie/たろー
バナー/りさ
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