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文芸部は眠らせないnote出張版

*本作品はNOVEL DAYSに連載中の『文芸部は眠らせない』34話からの転載となります。解説は文末にあります。よろしくお願いします!!


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「ヴァリス、良いよね」

「はぁ?」

 唐突に言った僕も悪いのだけど、佐々山さんは少し思案げにしてから、

「そうねぇ。たまに読むならディックも、良いわねぇ」

 と、口を濁した。

 そのあとで、

「でも、ディックお得意の神学論争ならばわたしはパス」

 と、付け加えた。

「神学論争、海外文学はそればかりだ、って言えるほど神の話を延々としてるよね」

 僕は自分の浅薄な記憶を総動員して、そう切り返した。

 話題を変えなくちゃなー、と思って僕は裏声になりながら、

「ニューウェーブSFはインナースペースってイメージ。ディックはその系譜じゃないって意見があるけど、でも〈心という宇宙の話をしてる〉よね。異星人やハードSF要素はガジェットとしてだけ、のような気がする。メインになるお約束の諸々はミクロコスモスに分け入るためのもののように思えるなぁ」

 と、一気に喋った。
 オタク特有の滑舌の悪いマシンガントークである。

「わたしはね」

 と、佐々山さんが、僕に目を合わせて言う。
 その目を見ると、僕は捉えられて身動きできなくなってしまう。
 
「〈世界〉はそもそもデタラメだ、と思っているわ。ただし、たまに〈世界〉の外側の、超越論的存在の領域に触れることがあって、それが〈ハレ〉と〈ケ〉のハレの方だと思うの。〈世界の底が抜けた体験〉を、アートや文学を通して触れるのね。または、現実で社会というフレームを越えた、不条理な出来事に出くわした場合に、ひとは〈神聖に触れる〉。通過儀礼だってその一種だと、わたしは思うわ」

「超越論的存在の領域、か」

「ディックは世界の外側に触れて、〈変性意識状態〉に陥りながらも、小説を描き紡いでいった作家だと思うわ。悪夢という祭りで舞を踊っていたかのような、そんなイメージね」

 僕は聴き入っていた。
 佐々山さんの話を聴いている今こそが、変性意識状態と呼ぶのでは? と思うほどに。


「良いかしら? 山田くんはお人好しでひとに騙されやすい。気をつけるのよ?」


「え? どういうこと?」

「それがわからない、そんなところを見直した方がいいんじゃないかしら、ってことよ」


 佐々山さんが部室の窓を開ける。
 一迅の風が部室に吹き込む。
 佐々山さんの長いストレートの髪が風でなびく。
 風に目を一瞬だけほそめた佐々山さんは、耳の辺りの髪の毛を手でかき上げた。


 僕は息を飲んで、その光景を見る。
 差し込む太陽の光で、埃がちらちらと舞う。


 僕は佐々山さんに、なにかを言おうとした。
 でも、
「そんな資格、僕にはないや」
 と、思い直す。
 そして、佐々山さんから、僕は目を逸らしたのだった。

〈了〉




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 ども、成瀬川るるせです。この作品の34話が、note神話部に書きたい内容を先んじて書いてしまっていたことに気づき、noteに転載というかたちを取ることにしました。本作品、1~20話の第一部の部分は、実は別名義でやっていた頃、noteでのみ連載していたものでした。文章をそぎ落としそぎ落とし、「小説なのか?」というくらい、風変わりな小説になっています。第二部として、去年の暮れから、執筆を再開させています。

 さて。神話とはなんぞや、とか、アート(いろんな場所で、それは神や神々に捧げるものとして存在していたのがルーツ)とはなんぞや、というときに、僕が引き合いに出すのが、上記の小説の内容であったりします。ディックの神学趣味が極まったのが『ヴァリス』三部作、と言われています。哲学用語で『現代の神話』と呼ばれるものがあり、それとはちょっと違う意味で、ディックは、神の話を延々としていました。アニメ『サイコパス』に出てくる〈シビュラシステム〉とは、このフィリップ・K・ディックの短編『シビュラの目』から、その名前を取っています。また、ニトロプラスの偉い人が某ニコ生に出演した際、つくりたいゲームの理想像は? と訊かれて「『トータル・リコール』です」と答えていて、トータル・リコールもまたディックの短編小説ですので、名前だけ取ったというわけではなさそうです。ディックといえば、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』が有名で、この長編から、サイバーパンクの方向性を決定づけた『ブレードランナー』が生まれています。ブレードランナーというハリウッド映画をご覧になられた方には周知のとおり、変なしゅーきょーは出てくるし、自分とアンドロイド(レプリカント)の違いとは究極のところ、なんなのだろう、と主人公は悩みます。これはディックが他の作品でも、何度も描いたテーマのひとつです。人間と機械の違い、または(これもディックのテーマの一つですが)自分とはなにか? という問題。自分は絶えず監視されている、という妄想(?)を現実に感じていたディックは、神学のことを考えることで、それをクリアしようと試みていたようです。まあ、ヴァリス三部作をつくった直後、亡くなってしまいますが。

 と、いうことで。現代思想には超越論ていうのがあって、仮に神とかそういうのを超越論的存在、と呼称します。ディックは、超越論的なことを考えながらサイエンスフィクションしていました。ニューウェーブSFの流れもありますし、安いペーパーバックの本に書いていたというのも、そんなのを出版できる土壌があったからなわけで、今のウェブ小説も、もしかしたらそれの現代版なんじゃないか、というのが僕が夢想することのひとつでもあります。

 神話とか伝説とか、または民話とか。その近くにいる、という自己認識。だからこそ描いてしまう作品。それがディックの作品には、生生しくでてます。なので、今回、僕は、ディック神学のことを与太話として喋っている、この作品をnoteに転載することにしました。

 趣旨がズレている気もしますが、これが僕が思う神話と、その語り部としての小説の一部です。

 よければこの小説の全体を読んでいただけると嬉しいです。まだ、3万文字くらいしかないので、サクッと読めます!!

 ノープロットでこの解説を書いてしまったので不明な点が多いかと思われますが、これが、僕の神話観でもあります。でわでわ、良いnoteライフを!!

 成瀬川るるせでした。

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