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朽ち果てた山神社の覚え書き

久しぶりにベタ打ちでnote記事を更新です。
noteに身を置いていた別名義だった頃の僕はiPhoneでベタ打ちで文書を書いて更新することが圧倒的に多かったのですが、今はそういうこともほとんどなくなりました。


さて、本題です。先日、勤めてる会社にある山神社を合祀し、場所を移しました。

祠、ですね、サイズ的に。山神社は、炭鉱の坑口一ヶ所につき一社建てないとならないのです。僕が働いている会社に炭鉱は三つあって、そのうちのひとつをここに持ってきました。
本来なら働いている資料館から一番近くの山神社を持ってくるべきですが、
そこは階段だけ残っています。

これがその階段。山神社は、階段だけ残っているところはとても多いです。

で、これで二ヶ所。あとの一ヶ所はどこか、って話なのですが、山の中にありました。ちょうどこれを書く前日に、山奥に入って、山神社跡を見つけました。

これが祠、社だったはずなのですが、木製であることもあり、朽ち果てていました。
近所の方々に聞き込みを行ったところ、ここで山神祭りが毎年あったそうです。神事、相撲大会、それに加えて俳句大会があったことが当時の社報にも書いてありました。

どうにか鳥居が残っていました。計測したら三メートルありました。

なぜ、お祭りがあるほど信仰されていたのに、基礎打ちの土台しか残っていないのか。謎を呼ぶ事柄です。

これから、そのことについても調べていこうと思っています。

戦後、石油の緊急輸入あたりで石炭からエネルギーは石油が主体になり、そして、火力発電に使う燃料炭は国内ではなく、輸入に頼るようになっていきます。
SDGsの話になると話題がズレるのでまたの機会に譲り本題に戻りますが、「信仰ってそんなにすぐに廃れるものなのか」と、疑問に思います。
祠の朽ちたところにご神体がなかったように見えたので(探しましたが見つかりませんでした)、どこかにはあるはずで、その経緯とどこにあるのかも知りたいです。

ほぼなにも知らない状態なので、これからの研究課題になりそうです。
これ、『神話部』への投稿に、と書いているのです。
土着の信仰がなくなることは歴史上よく耳にすることはあれど、廃れたことを間近に観る機会はなかなかないと思うので、それが可視化されているこの実例をテーマになにか書くのも良いなぁ、と思う次第。
時間があれば、山神自体についてもいつか書きます。
お楽しみに。あまり聞かないジャンルでしょうから、きっと面白くなりますよ。では、その話を綴るときが来ることを願って。
成瀬川るるせでした。

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