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書く理由自体が価値になる

小説を書くというのはやたらと時間がかかる、特に長編小説ってやつは。
生きてる間にあと何作品長編小説書けるだろうか。
僕が描いてる作品ごとき誰でも書けると言われそうだが、魂を込めているのだ。もうさ、アイデンティティとか自尊心とか、つまり書く理由そのもの、ってのがAI作品との差異へと繋がるんじゃないか、って議論に僕は概ね同意する。

結局はそいつそれ自体が一つの作品であるという古そうな価値観が、輝きを帯びるのではないか、なんて考えてる。

それで言えば、1920年代の小説家のように小説を書くことと、シンギュラリティがあるだろう時代に小説を書くのは軸を一にしている。

中学生のとき読んだ魔界都市ブルースを部屋からサルベージした。時間があるときに、今度はやはり小学生の頃から読んでた創竜伝をサルベージしよう。
子供の頃に読んだジャンルと再び会う日が来るとは思わなかったなぁ。自分でもびっくりだよ。


インプットデイにしようとしたんだけど見事に出来なかった日だったな。
さてさて。雑記書いてないで長編のためのインプットを、出来るときにしよう。臨機応変に。

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