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『ハウス・オブ・ヤマナカ』 朽木ゆり子

黒船の圧力で日本が開港したのが1859年。当時の日本人貿易商は、外国銀行にたっぷりマージンをとられ、また外国海運会社に運賃を決められと甘い汁はほとんど外国に吸い取られていた。それではいかんと、大隈重信や松方正義たち明治政府が国策として日本人による貿易業務・金融業務・海運業務を推進。それに呼応するかたちで日本人の直貿易商が誕生し、生糸・茶・雑貨・陶器・古美術などを輸出し始めた。そんな直貿易商の一つで、欧米に古美術を売りまくったのが、本書が扱う山中商会だ。

第二次世界大戦前、山中商会は東洋美術を大規模且つグローバルに売りさばいた。メトロポリタン美術館・ボストン美術館・フリーア美術館、大英博物館などにある東洋美術のうち、数百点の規模で山中商会が供給している。今ではフェノロサや岡倉天心の陰に隠れてしまっているが、日本や東洋の文化を世界に知らしめたのは山中商会だろう。当時ニューヨークに店を構え、ロックフェラーやフリーア等の欧米のコレクターにも美術品を売さばいている。ニューヨークの5番街680番地あったということは、今ではGAPやGUCCIがある場に店舗を構えていたことになる。白手袋のドアマンが恭しくドアを開けてくれる高級美術店として話題のお店だったようだ。

本書は山中商会が1894年に海を渡ってニューヨークに進出するところから、1946年に米国の敵国資産管理人局に清算させられるまでの詳細な事実を記載しており、興味深い。中でも山中商会がロックフェラー含め欧米のコレクターに売りまくっている第二章は面白い。160頁から164頁に亘る山中商会とロックフェラーとの交渉プロセス(書面)は圧巻だ。

美術品を売って外貨を稼いだ、美術品を流出させた、東洋の文化を普及させた、戦争に翻弄された等々、色々な形容の仕方はあるかと思うが東洋美術が普及されていく歴史プロセスには欠かせないストーリーである。


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