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「考える」ということ

こんばんわ🐶


自粛期間で、真面目な私はちゃんと家に引きこもってるので、今日からちょこちょこ書いていこうと思います。

noteのアカウントを作ったのは、多分1月くらいだったと思う。サクちゃんに仕事の依頼をする時に、Twitterだけだと気付いてもらえないかもと思って、noteのアカウントも作った。(結局Twitterで気付いてもらって返信がきたんやけど。)

ここ1年くらい、多分仕事の環境とか、サクちゃんとか好きな人たちの影響で、いっぱい「考える」ことをした。noteを読むときもいっぱい考えてると思う。

最近は、自分でもポジティブに捉えられるようになったけど、昔は考えるってことにネガティブなイメージがあった。

昔から(多分幼稚園の時から)、「真面目」で「心配性」で「空気を読む」性格で、「考え過ぎ」とかよく言われてた。

その「考え過ぎ」には、ポジティブなイメージはなくて、「そんな考えなくても、行動したらいいのに」みたいな意味で言われてると思っていた。

だから自分の性格は、明るくもなく、行動的でもなく、ネガティブ寄りだな〜と自覚していた。

でも大学生になったら、クラスがないと聞いたから、友達作るには自分からコミュニケーション取らないと、大学生活を送れない!と思って、コミュニケーションを意識して取るようになった。

そこで後天的にコミュニケーション能力を得た。

空気を読むことは昔からできてたから、コミュニケーションを取ることはそんなに難しくなくて、しかも運良く最初に仲良くなった友達がほんとにいい子たちで、何も苦労はしなかったと思う。

そのまま社会人になり、販売員として働くようになった。販売員になって、接客よりも、スタッフとの関係性構築の方がコミュニケーションの大事さを実感した。

いろいろ失敗もしたし、しんどかったけど、まあ、何でもやれば出来るもんだな〜と思っていた。

でも転職して2年経った今、やっぱりネアカではない私は、ちょっと無理してたと思うし、やはりコミュニケーションを取ることがスキルでしかないと自覚してきた。

ストレングスファインダーでも、コミュニケーションは34位だった。最下位。

そしてそれをネガティブなこととしてではなく、普通に、真っ当に受け入れることが出来ていると思う。

最初に書いたけど、やっぱり周りの環境とか好きな人たちの影響が大きいと思う。

その環境や、その人たちが、「考える」ということを認めてくれて、肯定してくれたから、私が普通に、真っ当に受け入れられていると思う。

自己肯定感が低かったのも、元々の性格もあるけど、周りから言われたことが、頭の中をずっとぐるぐるしてて、なかなか消えない状態がずっとあったんだな〜と思うし、逆に今は嬉しいことを噛み締めて何回も頭の中で反芻させて、自分のいいところをちょっとずつ認められるようになったんだな〜と思う。

「考える」ってことが好きだし、それが仕事にいくらでも活かせる環境にいる今、これまで以上にちゃんと考えられるようになりたい。

何かスキルとして測れるものでもないし。

今は何も形になってないから、「考える」ってことが武器になるように頑張ります。

何者になれるかなー。

もっと書いて、言語化したら見えてくるかなー。