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心照古教〜『大学』を考える〜【十一】

三綱領の典拠

民に親しむ・「新民」の典拠

とうの盤の銘に曰く、まことに日に新た
日々に新たに、又日に新たならんと。
康誥に曰く、新たにする民をおこすと。

詩に曰く、周は舊邦きゅうほうなりといえども、
めいれ新たなりと。
是の故に、君子はその極を用いざる所無し。

「大学」

【安岡先生の意訳・解説】
殷の始祖・湯王は、毎日沐浴の水を容れる盥に自戒の銘を彫りつけていた。
銘に曰く「荀に日に新た、日々に新たに、又日に新たなり」。
中江藤樹は、日新の工夫は「間断あるべからず」と説いている。
「康誥」に「新たにする民を作せ」とある。「作す」とは鼓舞激励することで、人民に革新の自覚を奮い起こすことである。

周はずいぶん旧い国であるが、その命(=働き)は常に新たである。
如何なる場合も古びるということはない。常に「日新」である。
ここから「維新」という言葉が出ているのであります。
我々の肉体も同じことで、本当に健康というものは常に我々の生命の新たなる状態、たえず活発に創造・変化の行われている状態、すなわち生命が維新であります。「維新」というのは「たえざる創造」であります。

だから、それゆえに政治の局にあたる指導者(君子)は、
宇宙人生を支配する根本的原理原則を徹底して思索し、
これを活用してゆかねばならない。
中途半端な妥協や瞞着でごまかして行くから、
どうにもならない頽廃や破壊が行われる。

安岡正篤『人物を創る 人間学講話「大学」「小学」』

解釈「民に親しむ」vs「民を新たにする」

こんなエピソードがあります。

元々『大学』は、
『礼記』の一篇だったのを、
司馬温公しば おんこうという方が抜き出して
『大学広義』としてまとめました。
程明道てい めいどう程伊川てい いせんという
方達が、この『大学広義』をとても尊重しており、
お二人の学統を継承した朱子しゅしさんが、
四書の一つとして世に広めるために
『礼記』の中にある「大学」を秩序立てて改篇したんですが、
その時に「民に親しむにあり」の一文について、
「”親”は十一真の韻で”新”に通じるので、”新”が正しい」と言って
四書の『大学』での表記を代えたんだそうです。

在新民(民を新たにするにあり)

こんな感じに。

それに対して、王陽明おうようめいさんは
「なにもわざわざ”新”の字に改める必要はない、
 古本大学の通りの”親”でよろしい」
と主張した。

そこで、「新民」説を好む人と、「親民」説を用いる人とで
議論が分かれる様になった…

というお話です。

人間は時々刻々に変化して進歩して行かねばならない。
常に旧来の陋習を去って行かねばならない。
この「新たにする民を作せ」という言葉があるので、
「古本大学」の「親」という字を朱子は「新」の字に直したのであります。

安岡正篤『人物を創る 人間学講話「大学」「小学」』

しかし、「新たにする」も「親しむ」も、
よくよく考えてみると、それぞれにあい通じるところがある。

「新たにする」には、まず「親しむ」必要がある。

親しむことができて初めて新しくすることができる
自己を新たにするのもそうで、
単なる理屈や興味や打算などで自己を新しく改造することはできない。
本当の自分にならないと駄目です。
自分を疎かにせず、本当の自分にかえってこなければ、
自己の改造はできない。

たいていの人間のわざわいは、自分を疎かにするということです。
自分を棚に上げるということです。

安岡正篤『人物を創る 人間学講話「大学」「小学』より

例えばの話なんですが、

他人事に構えていて、問題解決に動く気がないことが
日頃の言動の端々からうかがい知れるのに、
その問題が話題に上った時だけ
上から目線の妙な口出しをして
こっちのやり方を変えさせようとしてくる
同僚とか、先輩とか、上司とかがいたとします。

言ってることは正論っぽいが、
それができないから苦労してんだよ、
ということに対して、
言い出しっぺの本人も実践する気のない
机上の空論ばかり並べてくる。

イラッとしませんか。
私はイラッとします。

政治の革新にしてもそのとおりで、
やはり、民というものの親身にならなければ新たにすることができない。
民に親しまないで、
理論的・打算的・功利的に民を新たにしようとするのは、
民を弄ぶことになる
。民を誤ることになる、
ということを切々として王陽明は論じている。
私は新しいという「新民」よりも、親しいという「親民」に賛成する。

今日の日本の状況を見ましても、なんでも新たにしようと騒いでいる、
争っている。そしてその根底に「親」の一字がない

人を見たら批評し非難をする。これでは世の中は平和にゆかない。

安岡正篤『人物を創る 人間学講話「大学」「小学』より

「維新」=小さくじわじわジェネレート

「維新」という話題になると、ふと思い浮かぶ人たちがいます。
その名も「ジェネレーター」。
彼らのやっていることは、言葉を変えれば
「維新」になるのではないかと、興奮を持って見ています。
あんまり語ると長くなるので、今回はこの辺で失礼します。

→三綱領の典拠 「至善に止する」の参考文献


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