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努力家は楽しむ人には敵わない。楽しむために必要なこと。

日々を楽しめていますか?自分に問いかけると、そういう日は少ないように思います。

いつも私の脳内を占めるのは
「今日も仕事かぁ。やだなぁ」
「洗濯しなきゃ。面倒くさいなぁ」
「夕飯は何を作ろう。私だって疲れてるのに」
という事務的、義務的なことばかりです。

なぜこの話を書こうと思ったかと言いますと。
先日溜まっていた紙類の整理をしていた所、ある手紙を見つけたからです。

その手紙とは私が息子に宛てた手紙です。
息子の幼年野球の退団式の時に、親から子へ手紙を贈るというイベントのために書いたものでした。

自分で書いた手紙ですが、何年も前のものだったのですっかり内容を忘れていました。どんなことを書いたんだっけ?

読み返してハッとしました。

「努力家は楽しむ人には敵わない」と書いていたのです。

この手紙を書いた時の気持ちが、一瞬でぶわっとよみがえってきました。

目標がある時に人は努力をしますよね。目標を達成するために。
その努力って、目標を達成させるためにやらなきゃいけない!と強制的、且つ義務的に感じてしまいがちじゃないですか。
だから私にとって努力とは、辛くて苦しいことなのです。それで結局嫌になってしまいます。

でも世の中には、その辛くて苦しいことを努力と思わず、楽しいからやっているという人がいるのです。

幼年野球のメンバーの中に、とても上手な子がいました。聞けば、その子は毎日家で素振りをするそうです。

「毎日素振りしているの?家でも練習しているなんて偉いね。」
私は彼を誉めました。

「偉くないよ。素振りは楽しいからやってるだけだし。」
その子はとても純粋な顔で、そう答えてくれました。

その子にとって家での素振りは、やりなさいと強制され嫌々やる練習ではなく、単純に楽しいからやっているという感覚だったのです。

今にして思えば、私にも心当たりがあります。私は幼い頃から漫画・アニメ・声優さんが大好きでした。

当然テレビを見る時はアニメ番組が多く、私の趣味の影響で子供達もアニメを見せられる羽目になります。

そしてアニメ視聴の時は子供達に「このアニメのこのキャラクターと、あのアニメのあのキャラクターは、両方同じ声優さんが声を当てているんだよ」という、うんちく三昧です。

しかし、私があまりに楽しそうに生き生きと教えたからでしょうか。我が家の子供達はアニメと声優さんの勉強をさせられているという意識のないままに、立派なオタクへと成長してくれました。

今や私抜きでアニメや声優さんの会話で盛り上がっています。

本もそうです。今でこそデジタルで読んでいますが、時間があれば子供達の前で普通に本を読んでいました。
面白い?と聞かれれば、すっごく面白いよ。と答えます。読みなさいと強制したことはありません。

それがきっかけになっているのかは分かりませんが、家の子供達は普通に本を読みます。もっぱら漫画ですけれど。

何事もそこに楽しみを見出せば自主的にできたのでしょうね。宿題とか部屋の掃除に関しては、強制的にやりなさいと言っていましたから。
先ずは私が率先して楽しく家事している姿を見せておけばよかったと、今更ながら反省です。

冒頭に書いた私の脳内を占拠していることも
「今日の仕事が生活費になるんだ。仕事させてもらおう!」
「洗濯すればいい匂いの服が着れるじゃん。あがるー!」
「家族と自分のために食べたい物を作るぞ!美味しくできるかな」
という風に、意識を楽しいにつなげて脳内変換していこうと思います。

きっと今の後ろ向きで疲れている私に、何らかの力が働いてこの手紙を読ませたのかもしれません。

全ては自分次第。考え方ひとつってことですね。
楽しくあろうと思います。

心配なので念のため書きます。
この記事は、頑張って努力している人を否定したくて書いたわけではありません。
もし、誤解させてしまう文章になっていたらすみません。私の文才の無さです。


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