もしときの乗車券 1話目
ラッキーセブンなんて誰が決めたのか。
「ボール。ファーボール」
審判の大きな声に合わせるように、バッターはガッツポーズをしながら一塁に向かう。ベンチと応援席から歓声が上がる。
高校野球 県予選の準決勝。相手は何度も甲子園出場歴のある私立高校で他県からスカウトされた選手たちが多数を占める名門チーム。対する俺たちは、公立の地元出身者ばかりのチーム。
初回にいきなり3点を取られ、追加点も取られてはいたが、ギリギリで踏みとどまっている間にラッキーなホームランもあって1点差で迎えた7回の裏。
1人目はショートごろだったが、続く8番キャッチャーが詰まってはいたが、セカンドとライトの間に執念のポテンヒット。9番のところで代打。送りバントの構えからヒットエンドランが決まって、ワンナウト一、三塁のチャンス。1番に回ってきたチャンスは外野のダイビングキャッチで記録はファールフライ。だが、相手チームはファインプレーに大きな声で歓声が上がった。ツーアウト一、三塁の盛り上がる場面。2年の後輩は緊張の面持ちで打席に向かおうとしていた。
「焦んなくていいぞ、俺たちに回したらお前はヒーローだ。」
俺の後ろで4番のキャプテン大輝が声をかける。ネクストバッターズサークルにいるおれも、うん、と少し大きめにうなづき、安心感をアピール。
後輩はボールに必死にくらい着き、10球目のボールを見逃してファーボール。
ここで3番の俺に回ってきた。
マウンドに伝令の選手が向かい、少しの間が開く。
「裕太。いつもは俺にチャンス回してくれてたけど、今日はお前が決めてきていいぜ。」
俺もひどい緊張の顔をしてたのかもしれない。
いつもはない掛け声を大輝からされた。
「うちのチームはいつも、俺がチャンス作って、お前が決めるスタイルだろ。勝ち越しの美味しいチャンス作ってやるさ。」
グータッチをして、打席に向かう。相手ピッチャーは帽子をとって肩で汗を拭き、大きく深呼吸。
おれもバットを体の中心に置き空に向かって伸ばし先端から空を眺める。今日は本当に暑いくらいの晴天だ。忘れられないくらいの青空。
ここで打てればヒーローになる。ラッキー7。ツーアウト満塁。舞台は整った。
「よろしくお願いします。」大きな声で、あいさつし、いつものように左足から左打席に入り、足場をセット。
相手ピッチャーと目が合う。さすが名門校のエース。疲れは見えるが目には闘志がみなぎっている。一ノ瀬っていったっけ。ぷろのすかうともきてるとか。
雰囲気に飲まれないように、「さーこい」っと大きな声を出す。
初球は高めのボール。エースと言ってもここまで1人で投げているだけあって疲れているようだ。これならチャンスがあるかもしれない。
2球目は低め一杯にストレート。これは手が出ない。スピードのある球。3球目は外から内に入ってくるスライダー。なんとかファールにする。
あっという間に追い込まれてしまった。
「こっからだぞー」という歓声が聞こえる。
おれはバットを指一本短く持ってミートに照準を合わせる。相手ピッチャーの得意なフォークが、次かその次に来るはずだ。
4球目。高めのストレート。手を出したくなるが我慢した。
次は絶対フォークだ。手を出さなきゃ大丈夫。
5球目。フォークが落ちずにストライクに来た。急いでバットを出してファールで逃げる。チャンスボールだった。だけど打ち気に手を出してフォークが来てたら三振だったはず。
お互い生き延びた。
審判にタイムを告げて、一回打席を外す。
大きく一回息を吐き出し、バットを正面に構え、バットの先を見る。大丈夫まだ行ける。
ツーボール、ツーストライク とジェスチャーをつけてアンパイアが確認をとってくれる。
次のボールが勝負だ。もう一球余裕があるとはいえ、満塁のピンチ。フルカウントにはしたくないはず。得意のストレートか決め球のフォーク。2択のはずだ。失敗したばかりのフォークは使えないはず。ストレートに気持ちを7割くらい向ける。
ピッチャーが投げるモーションに入った。スローモーションのようにピッチャーからボールが投げられる。
パッと感じたのは外すぎる。ボールだ。内気が削がれた。が、ぞくとする感覚。
思わずバットを動かす。
その瞬間ボールが内側に向かってくる。ゾーンを攻めたスライダーだ。
間に合え!と念じながら体全体でバットを押し出す。
鈍い音がしてほぼ真横にボールが飛んでいった。
ファール。審判は次のボールをキャッチャーに渡している。
自分も再度打席を外し、今度はバットを足にかけて両手をズボンのすそで汗を拭う。
外では大きな音楽の演奏と応援の声が飛んでいるが、ノイズキャンセルされたようにほとんど聞こえない。
さ、ここで行くぞ。
ピッチャーのモーションから投げられた6球目。ほぼストレートの軌道からフォーク。それを何事もなく見逃した。
なんとなくわかった。次のストレートで勝負だと。絶対打つ。
勝負の7球目。インサイドより力のこもったストレート。右足を少し外目に開き思いっきり腰の回転でバットを最短距離で回す。
キーンという気持ちいい音と共にボールはライトの方に大きく飛んでいく。
はいってくれー
そう思っていたとき、
「走れ!」 と声が聞こえた。大輝の声だ。
いそいではしりだした。だが、ボールはみるみる横に曲がっていき、ホームランのポールのだいぶ右側のスタンドに入ってしまった。ため息と安堵の歓声が上がる。
入らなかった。渾身の一振りだったのに。
残念そうにバッターボックスに向かっていると、バットを拾い上げた大輝がたっていた。
「ストレートのタイミング合ってる。
この場面はもうストレートしかない。三振してもいいから思いっきりふってこい。」
相変わらずいいタイミングで声をかけてくれる
「三振はないだろ。」 にやりと笑いながら、答える。
わかってるから心配すんな と心の中で付け加えながら。
バットを受け取り打席に向かう。腰にドーンと大輝の手のひらの感触。
『うつ、うつ、うつ。』
そう言い聞かせてバッターボックスに向かう。ピッチャーマウンドに固まっていた相手の守備陣もいつもの定位置に戻り、キャッチャーが帰ってきた。
『うつ、うつ、うつ。』
念仏のように心の中で呟きながらボールを待つ。
ピッチャーがクイックではなくしっかりとモーションをとって投げた。
低い、アウトロー。
でも際どい。
うつ、うつ、うつと心は言っていたのだが、バットはぴくりとも動かす。俺は固まったようにボールを見送った。
多分審判によって、判断は分かれるくらいの際どいボールだったはずだ。しかし、
「ストライクアウトーー」
という審判の大きな声が聞こえた。
相手チームスタンドから大きな歓声。動けず、俯いている俺に、さっきと違い優しいタッチで大輝が駆け寄ってきた。
「あれは、しゃーない」いつもとは違うぎこちない笑顔。
「すまねー。回せなかった。」
それだけを吐き出す。
チームメンバーも苦しい顔をしている。
監督から「まだ終わってないぞ、切り替えろと掛け声。」
守備に着く前に円陣を組んで気合いを入れ直したが、次の回に失点。痛恨の2点を追加され、攻撃も3人ずつきっちり抑えられ、その後はあっという間にゲームセットを迎えた。
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そんな暑い夏があったのはもう20年前。あの敗戦で野球はこりごりと大学では野球をやらず、英語サークルですっかり文化系人間になり、結果、英語に慣れたおかげで、大学卒業後は中堅の貿易商社に勤務して16年目。
それでも夏が来るたびにいつもあの一球が頭から離れない。夏は俺の嫌いな季節だった。
あそこでもし手を出して、流し打ちしていれば。
何よりも手を出せなかった自分への怒りと大輝の振り絞るような笑顔の一言がいつまでも後悔として残っている。
もし、あの時間に戻れるなら。何度考えたことだろう。
4番でキャプテンの大輝は大学でも野球を続けて頑張っていたが、プロや実業団などに行くこともなく、先輩のつながりで大手の銀行へ就職。就職後、再会した野球部のマネージャーと結婚して今じゃ2人の子供と一緒に幸せな生活を送っているらしい。らしいというのは、結婚式に参加した後、特にあったりしていないからだ。
あの試合の後、なんかぎくしゃくしてうまく話せなくなった。それでも結婚式の時は、野球部同士の結婚ということで、ほかのスタメンのメンバーと一緒になじみでよんでくれたが、その後はやっぱり疎遠に。どうしても、あの試合の後から大輝の目を見てうまく話せなかった。
野球に、スポーツに、たらればないとよくいうのだが。こんなに苦しむなら野球なんてやらなきゃよかった。
ベンチによりかかりながら、真っ青な空を見上げていると。。
「もしもが、あるんですが」
目の前に無邪気そうな、青年が顔をのぞかせた。
「うわっ」と驚いて顔を上げる。急に上げた俺のおでこと青年のおでこが、がちーーんとぶつかり。 お互いおでこを抑えて座り込む。
「な、なんで急に動くの」目に涙を浮かべて、、青年が声をかける。この炎天下の日差しの下に、黒いワイシャツに黒いネクタイ、黒のスラックスに黒の革靴。だけど顔は真っ白で金髪が似合っている青年が立っていた。
「いや、急に人の前に顔を出す方が悪いだろ」悪態をつく。誰だこいつという顔をしてやりながら。
「え、だって、もしもがあったらッて考えていましたよね。長々と10年以上も。もういい加減忘れたらどうですか?」さらっという口調に、怒りを覚え
「お前に関係ないだろ。忘れられるならどんなにいいか。。」大きな声で言い放ったはずが、最後はしりすぼみ気味に弱い声になる。なんでそんなこと知っているのかなんてことはそのとき気づくこともなく。
「そんなにあの一瞬にかけていたのに、出し切れなかったんですね。」残念そうに下を向く金髪の青年。プチっと何かが切れた。というか、飛んだ、思考が。
「てめー」と言いながら、思いっきり右手で殴ろうとする。殴ったことなんてないのだが、もうよくわからなかった。
しかし、さっと青年は体を後ろに倒して俺のパンチをよけてしまった。
俺は体勢を崩して大きく転んだ。
「あぶないなぁ。なんで急に殴ってくるんですか」よくわからんという顔だ。
「うるせー、同情なんていらねーよ。」立ち上がるのも嫌になって地面に座りながら、大声を上げる。「早くどっか行けよ」大きく声を振り絞る
「え?いいの?」驚いたような青年の顔。
「だって、やり直したいんでしょう。あの日の時にもどって。」 真面目に答える青年。手にはこれまた黒革の手帳を持っている。
あれ、さっき持っていたか。鞄なんか持っていなかったはずだが。。
「斎藤裕太さん。あなたが長く悩んでいたあの日、あの時に一度だけ戻ることができる特別チケットをお渡しします。」手帳に書いてあるのか、おれの名前を読み上げながら、手帳からぴりりっと紙切れをちぎり俺の目の間に手を伸ばす。
なんか文字が書いてありそうだが全く読めない真っ黒の紙。
「お前は、誰なんだ?」絞り出すようにきくと、、
「そういえば自己紹介していませんでしたね。私の名前は、馬星 大(うまほしだい)といいます。いつまでも心から後悔している人に、ラストチャンスを与えることを生業にしています」
「はい?」 こいつヤバい奴だと思いながらも。
「信じていませんね?」笑いながらも、黒い紙切れを持った手を指し伸ばしたままだ。
「もう一度聞きますが、本当に後悔し続けているのですか?やり直したいいほどに」
「当たり前だろ。」
「では、このチケットを受け取ることをお勧めします。信じる信じないはお任せします。明後日の満月の夜、このチケットを燃やしてみてください。あなたの願いはきっと叶います。大体あの時間にもどれますよ」
「馬鹿にしているのか?」
「信じる、信じないはあなた次第といっているでしょう。スキにしてください。」そう言ってチケットいう黒い紙を強引に渡そうとする。
受け取ってしまった。
踵を返し、ではと公園の外側に向かっていく青年。
「あっ」と何かを思い出し、
「あなたがかわれば、世界が変わります。あの時のピッチャーのボールもあの時と違う球筋になるかもしれません。」
「なんでそんなことまで知っているんだ、お前」そう言った時に、急に風が目の前を吹き流れた。
目を覆った後には、もうあの青年はいなくなっていた。 なんだったんだ。
手には黒い紙切れだけが残っていた。
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結局あの後よくわからずかえって、紙を色々調べてみたが、わかったのはすごく丈夫で手で切ったりできなさそうなこと、何か模様のような字のようなものは書いてあったのだが、全くわからず。
インターネットで調べてみてもなんの情報もない。気持ち悪いなら捨ててしまえ場と思ったのだが結局捨てられず紙切れをもらった日から2日後の満月の日になった。
その日は仕事に手がつかなく、定時早々に上がって、自分には珍しく1人で居酒屋に入り強くないお酒を少し飲んで帰ってきた。仕事したりするためのデスクに一枚置いた黒紙を見つめてそろそろ30分になる。
ふぅ。と一息ついて、
椅子に背中を大きく寄りかかり目を閉じる
「斎藤雄太さん。あなたが長く悩んでいたあの日、あの時に一度だけ戻ることができる特別チケットをお渡しします。」
あの時の青年の声が記憶の中でリフレインされる。
確かに悩んでいたし、変えたいと思っていた。
だけど、もし、本当に同じ状況になった時に自分を変えられるのか。
同じ後悔を味わうだけかも知れない。やり直しができたとして、そのあとはどうなるんだ。
使わない理由だけが頭をよぎる。
だけど、本当にいいのか。何もしなくて。
20年も毎年やってくる苦しみ。それから解放されるかも知れない。危ない賭けかも知れないが乗ってみる価値はあるのではないか。あの時、振らずに後悔している自分が嫌いだった。このままだと何も変わらない。
ごくりと息を呑み込み。
どんぶりに黒い紙を入れる。灰皿とかないから仕方がない。
一度眼を閉じる。今度は背筋を伸ばして。大きく深呼吸をして、眼を開ける。
さっき買ってきたマッチから一本取り出し、さっと擦り上げて火をつけた。
今回は思いっきり振ってやるさ。
火のついたマッチを黒紙の端に近づける。
火が移る。少しずつ火が広がっていく四隅の一つから広がった火は短い縦の隅に届き、そこから炎が横に伸びていく。オレンジ色の火はあっという間に逆の隅まで広がり、、、
燃え尽きた。
何も起きずに。
だまされたのか。
緊張が解けて、また椅子に寄りかかる。
なんだよ。本気だったのに。
そう言った瞬間。燃え尽きた灰しかないどんぶりからすごい勢いで真っ白な煙が吹き上がった。
あっという間に部屋いっぱいに広がる。
やばい、警報が鳴るんじゃ と思ったのだが、体が動かない。両手がぶらりと肩から落ちる。
意識がだんだん遠くなってきた。
「信じられない。あなたは何もしないと思っていたのに。あなたなら、変えられるかも知れません。」
聞き覚えのある声が聞こえる。
騙したなと言いたかったのに、声をも出ない。
「新しき世界に幸あれ。」ほとんど真っ黒な立ち姿をかろうじてとらえるが、あっという間に俺は視界を失った。
『あなたが変われば、世界が変わる。』
最後に聞こえた言葉だった。
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気づいた時は、
「ファーボール」 審判の声が聞こえた。
何度も夢に見た、あの瞬間に戻っていた。太陽の暑さも土臭いグラウンドの匂いも昔の、夢で何度も見たあの感覚だ。
審判の大きな声に合わせるように、バッターはガッツポーズをしながら一塁に向かう。ベンチと応援席から歓声が上がる。
7回裏ツーアウト満塁。
「焦んなくていいぞ、俺に回したらお前はヒーローだ。」
俺の後ろで4番のキャプテン大輝が声をかける。ネクストバッターズサークルにいるおれは、
「おう、もうやらかさないぜ!」と少し緊張感を持った声でこたえた。
大輝は少しびっくりしたような顔をする。懐かしい顔だ。勝つことだけ考えてる純粋な顔。
大きめにうなづき、安心感をアピールした。
マウンドに伝令の選手が向かい、少しの間が開く。
「裕太。いつもは俺にチャンス回してくれてたけど、今日はお前が決めてきていいぜ。」
懐かしい掛け声だ。
「美味しいところは俺がいただくぜ。」
前回とは違う言葉で返す。
グータッチをして、打席に向かう。相手ピッチャーは帽子をとって肩で汗を拭き、大きく深呼吸。
おれもバットを体の中心に置き空に向かって伸ばし先端から空を眺める。今日は本当に暑いくらいの晴天だ。昔のルーティンも忘れてないようだ。
「よろしくお願いします。」大きな声で、あいさつし、いつものように左足から左打席に入り、足場をセット。ルーティンは忘れていない。
相手ピッチャーと目が合う。あの時と同じように、さーこいっと大きな声を出す。
初球は高めのボール。昔と変わってない。疲労感がありそうなボール。
2球目は低め一杯にストレート。3球目は外から内に入ってくるスライダー。わかっていてもなんとかファールにできるキレだ。
あの時と変わらず、あっという間に追い込まれてしまった。
こっからだぞーという歓声が聞こえる。
わかってる。チャンスボールはこのあと来るんだから。
おれはバットを指一本短く持ってミートに照準を合わせる。
4球目。高めのストレート。来るのがわかっているから簡単に見逃せた。
次だ
フォークの失敗。すっぽ抜けるボールくるのがわかっていればチャンスボールになる。
5球目。フォークが落ちずにストライクに来た。
決める。狙いすましてバットを振り抜こうとしたが、指に引っかかっていたのかボールが急に曲がった。急いでバットを出してファールで逃げる。チャンスボールだったはずが、初めて記憶と違うボールだ。まさか、変わった?
意識を失う前にきいたことばがよみがえる
『あなたが変われば、世界が変わる。』
四球目の見逃し方が違ったせいなのか。
いきなり余裕がなくなってしまった。一気に緊張感が増す。両肩に何か重いものが乗った感覚。
審判にタイムを告げて、一回打席を外す。
大きく一回息を吐き出し、バットを正面に構え、バットの先を見る。切り替えろ。
バットの先を地面に下ろし、眼を瞑る
2回目なんだ。おじさんにもなった。人生経験が違う。こんな若造に負けるわけがない。
自分に言い聞かせ、打席に戻る。
「ツーボール、ツーストライク」 ジェスチャーをつけてアンパイアが確認をとってくれる。
次のボールが勝負だ。だが、前回と同じボールかそうじゃないのか。
ピッチャーが投げるモーションに入った。スローモーションのようにピッチャーからボールが投げられる。
パッと感じたのは外すぎる。ここからうちに入ってくるはず。思わずバットを動かす。
その瞬間ボールが内側に向かってくる。が、前回ほど曲がらない。ボールのままだ。咄嗟に左手を離し右手だけでバットを伸ばす。
とどけ!と念じながら右手首を捻るようにバットを押し出す。鈍い音がしてほぼ真横にボールが飛んでいった。
ファールボール。打席を外し、今度はバットを足にかけて両手をズボンのすそで汗を拭う。
外では大きな音楽の演奏と応援の声が飛んでいる。ここで、同様はさらに大きくなった。
やっぱり違う。変わっている。
次は本当にフォークなのか? テストでカンニングしようとしてアテが外れたらこんな気持ちなのか。鼓動がすごく早くなる。
その時、
あれ、ずるしたかったわけじゃないよな。
チケットに火をつける前あれだけいろいろ考えていた思考が頭の中にあふれてくる。
思いっきり悔いなくバットを振りたかっただけだった。それで変われると。
なんか吹っ切れた。
そして周りの歓声が消えた。
ピッチャーのモーションから投げられた6球目。ほぼストレートの軌道からフォーク。それを何事もなく見逃した。
次はストレートだ。
勝負の7球目。インサイドより力のこもったストレート。右足を少し外目に開き思いっきり腰の回転でバットを最短距離で回す。
キーンという気持ちいい音と共にボールはライトの方に大きく飛んでいく。
これは入らないんだ。勝負は次だから。
「走れ!」 その声が聞こえた。大輝の声だ。
だが、くるりと向き直し打席に戻ろうとする。
ボールはみるみる横に曲がっていき、ホームランのポールのだいぶ右側のスタンドに入ってしまった。ため息と安堵の歓声が上がる。
舞台は整った。色々変わってたけど、結果は何も変わっていない。やっぱりここが俺の勝負所。
バットを拾い上げ、ネクストバッターボックスの大輝に向かって。左手の拳を突きつける。
「ストレートのタイミング合ってる。
この場面はもうストレートしかない。三振してもいいから思いっきりふってこい。」
「あー。これが俺のラストスイングだからな。」
伝わったか、わからないが、大輝は大きく頷いた。
泣いても笑っても気持ちよく全力で振り切るさ。
そう言い聞かせてバッターボックスに向かう。ピッチャーマウンドに固まっていた相手の守備陣もいつもの定位置に戻り、キャッチャーが帰ってきた。
さ、過去の自分と勝負だ。
相手は将来プロになるエースだ。思いっきり振り抜けばいい。気持ちは晴れ晴れしてる。
ちょっと笑みが浮かぶ。相手ピッチャーは一度汗を拭いた。
ピッチャーがクイックではなくしっかりとモーションをとって投げた。ゆっくりだが綺麗なフォーム。ランナーが一斉にスタートを切る。
ど真ん中?
思いっきりバットを振る。
ボールは今まで見たことないようなホップするようなボールで、自分のバットはボールの下を通過した。
バシーンと。気持ち音がいい俺の後ろで響く。
「ストライクアウトーー」
という審判の大きな声が聞こえた。
相手チームスタンドから大きな歓声。すごいボールだった。だけど俺も思いっきり気持ちいいくらい振り切った。
満足気に空を一回見上げる。
あーおわっちまった。 個人的に踏ん切りはついたけど、周りには悪いことをしてしまったことに気付く。
「すまねー。回せなかった。 」前回よりトーンを上げて大輝に声をかける。
固まっていた大輝。俺の声を聞いて、
ニカっと笑い。
「いやー、気持ちいい三振だったぜ。
これならまだいける!」
無理に出した声じゃないのが俺にも伝わる。
「この回抑えたらまだいけるぞ。」メンバーが口々に声を出してる。前回と違ってメンバーの目がまだ死んでいない。むしろ、やる気が増している。
結果は変わらなかったけど、世界が変わった。
このあと、チームは三者凡退で抑えた。そしてその裏、先頭バッターの大輝が特大の場外ホームランを打つ。そこで、相手ピッチャーは肩の違和感から交代。この緊張の場面での緊急登板で自分のピッチングができず下位打線で逆転し、チームはまさかの決勝戦に駒を進めることになった。
決勝戦は5対3でまけてしまうのだが、初回、俺のファーボールの後、また大輝が特大のホームラン。その3回後にもホームランを放ち準決勝から続けて三連発。その後は敬遠され、どっちが勝っているかわからないまま試合は終わった。
俺の野球人生はそこで終了。普通に大学生活をやり直し、商社で貿易関係の仕事をしている。違うのは大手の会社で、世界を飛び回ることが増えたこと。
変わったのは俺だけじゃなく、大輝も。三連続ホームランが話題になり、東京の野球の有名大学に推薦が決まり、三年からクリーンナップ。なんとドラフト5位ながらプロ野球選手になった。
そのお祝いを兼ねて当時のメンバーが集まったのだが、東京で垢抜けてた大輝はちょっと俺たちとは違う世界の人になってしまった感はあった。
分かれる直前、最後に一言、「お前のあの三振のスイング見て、俺バッティングのコツみたいなのがわかったんだよ。」
それだけ言いたくてな、と、帰り際に言われた。
大輝は2軍でもしっかり頑張り、3年目から一軍でプレイを始める。当時のメンバーの俺たちからすると希望の星だった大輝のプロ野球人生はあっけなく6年ほどで終わってしまう。
のちに知るのだが、大学3年生の時に腰をやっていたらしい。全力で振り切るスイングの服作用だったようだ。大学野球の試合を観戦に行った時、そんなそぶりは全くなかったのだが。
セカンドキャリアではなかなか苦労しているらしい。逆に向こうのエースだったピッチャーは遅れてきたルーキーと言われ社会人野球からプロに。今やメジャーリーグ挑戦目前と言われている、
『あなたが変われば世界が変わる。』
あの時の言葉が自分を支えている。そんな自分は今タンカーに乗り日本に戻っているところだ。
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