Parity(同等)とSimilarly(同様)
今朝のニュースで「パリティ・ミラー」という技術を使った空中ディスプレイのことを紹介していました。空中に像が映るんです。そこにないものがそこに表出する。面影が立つ。ああ、なんて日本っぽい。
ところで「パリティ」って、データ通信時のパリティビットとかハードディスクバックアップのRAIDの技術やブロックチェーンのハッシュなどに使われる概念だけど、その言葉は1933年のアメリカの農業法に登場する「パリティ価格」としての"parity"が、世の中(アメリカの)に「パリティ」という概念の本格的な使い方を提示する最初だったみたい。
当時、世界恐慌で農作物の価格が暴落したためニューディール政策の一環として「農家に他産業従事者と見合う購買力を与える」ということを目的に「農家の購買力」の同等の価値をもつものとして「農作物の価格」に置き換えて、政策のターゲットとしました。ターゲットを等価変換して、扱う対象をコンパクトにして、よりダイナミックに動かせるようにする。
証券用語にもパリティという言葉があって、この感じってアメリカ的技術のあらゆるところに登場しているような感じがする。
一方の日本は、似ているけどちょっと違う。連句や山水画や枯山水の庭にみられるように、ものに宿る面影を別の場所に縦横無尽に移していく。「似ている」という感覚で変換していくので、等価にはならない。同様というか「だいたい同じ」は「同じ」とみなす。同時にむしろ変化していくこと、等価でないことを尊ぶ感覚。与えるイメージは同じだけど、ちょっとズレている感じが新しい価値を生み出していて面白いと。ズレやギャップを楽しんじゃう。
パリティ・ミラーはその両方をあわせ持っているような技術で、スターウォーズでルークがレイア姫の動く像を見たような場面が近い将来でてきそう。
それはきっと、古代の人が鏡の中にアマテラスを見たのと同じ感覚。
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