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夏至の太陽と昼の月と虹のかけら


夏至の空は、いろんな雲が西から東へとグングン走って、雲の運動会

夏至は6月21日12:33で、ちょうどその頃の太陽の様子。
お昼頃は空の半分ぐらいが雲に覆われていて、オブラートにつつまれたようなお日さまです。

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夕方早くにはもう、このあたりは太陽が見えなくなります。
そのかわりあちこちのビルに太陽の分身が映りますので、現代はビルの数だけ太陽があって、中国の古代に太陽が10個あった神話を思い出します。

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ビルの上あたりが虹色に光っていて、まるで虹のかけらのよう。
雲と一緒に虹のかけらも動いて「彩雲」という素敵な名前を今日また一つ知りました。

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月を見失っていたら、ビルのガラスに月が映っていました。
中の照明も月に見えて、月がいくつもあるようです。京都盆地の南に広がっていた巨椋池にも月が映っていたことを想いました。

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北西の空は夕焼けの気配。
雲はぐんぐん左(西)から右(東)へと行進していってて、時折、JALやANAの飛行機が、遠くや近くの上空を飛んで行きます。バス停のベンチに座っている老紳士もバスを待つ間ずっと西の空を見つめていました。

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そして、南東の空には雲の向こうに十二夜の月がぽっかりと。
夜空の月もいいけれど、青空に白い月も夏らしくて清々しい。

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こんな方向にこんな角度でこんな月をこんな時間に見たことがなくて。関西は東にも西にも山があるのでここまで低く広々とはしないのです。
武蔵野は月が存分な場所なんだと思う。
雲が月を見過ごしながらぐんぐん右(西)から左(東)へ過ぎ去っていくのを、同じく隣で空を眺めていた老婦人と、「いろんな雲が楽しいけれど名前を知らないこと」とか「月が毎日少しづつずれること」とか「空が見える貴重な場所のこと」とか「飛行機にのっている気分のこと」とかおしゃべりしながら、空を見ていました。

いつもの道の楠の上空も泡立った雲がいっぱい。
『智恵子抄』で「東京に空が無い」といっていたけれど、確かに大空はないのだけど、ビルが空を分割して、空はたくさんあると思う。

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東へ去っていく雲たち。
ビルやお城がなかった頃、このすぐ先は海でした。
雲は海の彼方へ流れていき、振り返ると武蔵野の原っぱが広がっていて、かつてたった一つのとても大きな空があったことを想像できて、そんな想像はとても自由。

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気がつくと、西の夕空は黄金色に。
太陽はもう富士山の向こうに沈んだ頃でしょうか。

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今年は、夏の雲が格別になりそうです。


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