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永遠など存在しない

ういっす!
るかです。

飲み屋の店長になりたい、
フリーのデザイナーです。


みんないつもみてくれて、
ありがとう!



今日も6時半に起きました。

ちょっと前まで7時に起きるのを
目標にしていましたが、
なんだか楽勝に起きれるようになってきています。

不思議ですね。

やりたいことやるって、
それだけのエネルギーを持っているようです。


今日は、永遠などないのかもしれない。
そんな話をしようと思います。


永遠など存在しない

これはいろんなことに言えるテーマだと思います。

恋愛、サービス、生命、感情、
これらに関して、
永遠はあるのか?

そんなことをよくテーマとして、
挙げられますよね。


私は、永遠はないと思っている派です。


このテーマで1番使われるのは、
恋愛ですよね。

結婚は永遠を誓うってことですから、
まさしくそうだと思います。

だけど、私は永遠は存在しないと思うので、
だから、結婚ってあまり理解できないな〜
なんて思っています。

未来の自分がその人好きである保証はないし、
本当に未来永劫、
その人を好きでいられるのだろうか。
それを誓うのは無責任なんじゃないか?
とすら思ってしまいます。

破るかもしれない約束は、
結ばない方がいいのではないか、
そう思います。

だからといって、破らないために、
自分の気持ちを押し殺すのも違うなと思うので、
だから、結ばない方が懸命だと思うんです。


でも、実はみんなそれをわかっていて、
だからこそ、
永遠というものに憧れ
持つんだと思います。


命というもので考えれば分かりますよね。


永遠の命ってあるのでしょうか?
まだこの世には存在していないですよね。
魂って考え方があるのなら、
もしかしたら永遠は存在するのかもしれませんが、
でも、それは誰も証明していないので、
信憑性が薄いよな〜とか思います。

これも、
永遠に憧れた、人間が作り出した概念
なんじゃないかなって。


まあ結論、
永遠などないと言いたいわけです。


んで、だから、今日伝えたいのは、

今やりたいことがあるのであらば、
それを今やることはとても大切なことだし、
今、目の前に人が好きな人がいれば、
好きだって伝えるのは大切なことだと思っています。

だって、その感情は永遠じゃないから。

今やらなければ、今伝えなければ、
消えゆくもの。

であれば、
今やらない手はないし、
今伝えないって選択肢も
ないんじゃないかな。


うちらは、
常にチャンスで溢れている世界で生まれた。

だけど、ほんとにそのチャンスたちは、
永遠なんだろうか。

実はそうじゃない。

今掴めなかったものは、
もう消えちゃうんだよ。


これまでスルーしていた、
ひとつひとつをもっと大切にして欲しいなと。


今日この話をしたのは、
実家から電話がかかってきたからです。


ばあちゃんが心筋梗塞で倒れたらしい。

びっくりだよね、
でも、大事には至らず、
簡単な手術で済んだらしいから、
全然大丈夫のよう。

もうひと手術して、
来週には家に帰ってくるらしい。


これを聞いて、
やっぱ永遠などないなーって感じた。


家族から聞く声から、
強がっていたけど、
今を大事にしなさいってニュアンスを感じた。
勘違いかもしれんけどね。

人は死を目の前にすると、
本当に大切なことに気づくのかもね。


うちからすると、
正直な話、やっと気づいたのかい。
と思ったよ。

ばあちゃんに対する扱いも変わるだろう。
うちはずっと、そんな扱いでいいの?
もっと日頃から感謝伝えたら?
って思っていた。


この日常を当たり前と思っているのが、
不思議だった。
当たり前でも永遠でもないのに。


無責任に自立という名の奴隷を促す親も
流石に本当に大切なものに気づいて、
うちに対しても、
好きなことやりなさいってニュアンス出してくる。

しかも切実に。

うちはそれを知ってるし、
貫けるからいいけどさ、
それってずるいよね。


それでどれだけ多くの人が、
奴隷として苦しんでいるか。

それが自分自身だということも、
気づかずに、
奴隷が奴隷を促すんだよ。


そうやってみんな後悔するんだーって思うし、
そうやって人の人生殺すんだーって思うね。


本当に無責任だ。


多くの親がそれぐらい適当だし、
それぐらい死とか永遠などないことに
向き合えてないよね。


まあだからと言って、
うちがどこまで考えられているかは知らんけどさ。


でもそれなりには向き合ってるから、
うちは倒れたって聞いた時も、
そんなに動揺しなかったよ。

そんなことはいつ起きてもおかしくないのは、
わかりきっていること。

だから、時間がなくても、
今年の年始は少しだけでも実家に帰った。


ちょっと卑屈な文章になってきたけど、
でも嬉しかったこともあるんだ。


やっぱ、いつかは死が訪れると知っているし、
それがばあちゃんとじいちゃんに近づいていることも、
自覚している。

どんなに元気であろうと、
それがいつ終わるかなんてうちにはわからない。


だから、感謝は伝えるようにしてたし、
もっと元気でいて欲しいことは伝えている。

ほんとここ何年かの話だけどね。

本人らは、
冗談混じりに、5年後はこの世にいません〜
なんていうけどさ、
もっと生きる執念あっていいと思っている。


まあ、20代で死ぬという選択肢が1%でもある
自分が言うことではないけどさ。


うちは、つまらん人生生きるぐらいだったら、
死んでもいいなーって思っちゃったりする。
まあ楽しいから死なないし、
楽しくするかしないかは自分次第だから、
死ぬことはないけどさ。

別にメンヘラとかじゃなくて、
普通にそう思っている。

ただ、それは、
生きたくて生きたくてしょうがない人もいるから、
口には出さないようにしてるし、
それは失礼なことだし、
その考えは良くないと思う。

実際死が近づいたらそんなことも言えないんだと思う。

贅沢すぎる考えだし、愚かな考えだと思う。
だから、クソ残念な馬鹿野郎なんだよ。
うちは。


まあ、その話は良くて、
じいちゃんばあちゃんももう少し、
長生きしたいな〜って気持ちで
いればいいのにな〜って思ってる。


だから、最近は、
実家から大阪に帰るときは、
ちゃんと、
「ばあちゃんも健康に気をつけて元気でね〜」
なんて言葉をつけて、ばいばいをする。

こうゆう気遣いのある言葉は、
あまり得意ではなかったけど、
うちは言われて素敵だなって思ったから、
言うようにしている。

今そう思っているから、
伝えるようにしている。

これは大事にしている。

夜勤時代の先輩からの
「きぃつけて帰りや〜」
にどれだけ救われたことか。
めちゃくちゃ嬉しかったから、
自分もこうゆう言葉を言える人になりたいなー
って思ったから、言うようにしている。

こうゆうのに何よりも価値を感じる。

お金なんかより、ものなんかより、
太鼓持ちの言葉なんかより、フォロワーより、
何よりも素敵なものだと思っている。

だから、
これは意識的に言うようにしている。
最近は習慣にできてきた。


何気ない言葉だけど、
それだけ、割と意識して言葉を発していた。
さらっと言ってるけど、
意味も気持ちもこもっているのだ。

今日お母さんから電話先で、
それがちゃんと伝わっていたことを知って、
めちゃくちゃ嬉しくなった。

涙出ちゃったね。

どんなに言葉を重ねても伝わらないことが多く、
それがすごく悲しく、辛い日々だけど、
だけど、ちゃんと伝わっていることもあるんだって
思ったらすごく嬉しかった。


るかちゃんに元気でねって言われちゃった
って嬉しそうに言っていたらしい。


そんな何気ない、
喜びをちゃんと、つくれていたことが
嬉しかった。


今日は、それが伝えたかっただけです。


なんていいやつなんだ、自分。

素敵な心持ってるよな、うちって。

まあこの心に育てたのは親なので、
親の功績だね。


こじつけてテーマなんか作ったけど、
ただただ嬉しかったことを
ややこしく言っただけです。



素直さを意識してるはずなのに、
全然素直じゃないね自分。


正直300文字とかで話せた内容を
3000字かけて伝えたよ。


3000字、重ねないと素直になれない、
ややこしいやつなんです。


ややこしさの極みですね。
拗らせてます。

そんなるかですが、
ガキだと思って、
これからも見守っていただけると幸いです。


まだまだ頑張ります。




それでは今日は、
言いたいことも言えたし、
この辺で!


では、また明日👋

関西を中心とした美大芸大生のサポートをしていくよ🏃‍♀️💨 サポートは全額美大芸大生のサポートにブチこみます!