人の死

数年前曽祖母が亡くなった。

 正直私は人が死ぬ、生物が死ぬことに対して実感がわかない。
 初めて身内が亡くなったのは幼稚園年長の頃だった。なにも分からないまま親戚が集まって、曽祖父の遺体が骨になった。そのまま訳もわからないまま葬儀が始まり、終わった。断片の記憶しか残っていないがこの葬儀だけが私が人生で唯一参加した葬式だ。
 私の家は長生きの家系だ。現にいまでも両祖父母は健在であり、まだ数十年は生きるだろう。
 そんな中数年前曽祖母が亡くなった。訃報を聞いた時「あっそう」とだけしか思わなかった。またコロナ渦であったため直系親族であるのにも関わらず、都市部に住んでいるからという理由で参列できなかった。
 その後父の意向で帰省することになったが、曽祖母が亡くなって3ヶ月も経っていたため遺品整理が終わっており、曽祖母の痕跡は20畳の仏間に設けられた机上の遺影しかなかった。
 数年経った今でも曽祖母の死についての実感もない。思い返せば私の人生は「死」というものに深く関わってこなかった。死から遠い人生を歩んでいたからこそ私は死という言葉の重みを理解していない、また「死ね」という言葉をかけられても単なるツッコミの一種としてしか認識できない。
 20にもなって私が死の重みを実感できるのはその経験がゆえであろう。
 人が死ぬことに対して実感も重みを感じない不完全な人間の私が嫌いだ。
 


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