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できないことや意味のないことを排除しない社会を目指したい

※この記事は、2022年10月24日にFacebookに投稿した内容をもとに再編集したものです。

誰かにとって価値のある自分でいたかった10代

中学高校時代、本当は最初、純粋に勉強が楽しいと思っていたんです。それなのに、受験というシステムを通過しながら、いつのまにか他人の評価や社会的な見え方を大事に考えるようになっていました。

普通に中学教育以降のシステムにのっかると、どうしても順位とか評価とか気になってしまうのは当然だったかもしれないし、そもそも自分の特性として、箱があれば箱の枠を気にするみたいな、そういうところがあったのかもしれません。(だから今、箱にはあんまり入りたくないのかもしれない。)

しかし、他者の評価によって自分の生き方を決めるということが、結果的には自分の首を締め、大学進学後は暗黒の時代を過ごすことになりました。自分を極端に卑下して誰にも会う資格などないと思い詰め、漫画や小説や映画や音楽を頼りになんとか首をつないでいました。(のだめ、ワンピース、河出書房、小学館、TSUTAYA巣鴨店、池袋HUMAXシネマズ、その節は本当にお世話になりました。あと、そんな自分に仕送りをしてくれていた両親。。。)

成人式。敵対心むき出しの目をしていた

暗黒の時代から抜け出すきっかけになったのは、下北沢のとあるライブハウスで、「わたし」という存在だけで受け入れられた体験でした。このとき、私は名前をもつ実態としてそこにいるだけで受け入れられうる存在なのだということを気付かされたのです。

勝手にがんじがらめになって身動きがとれずにいた私は、氷がゆっくり溶けていくように、ここから少しずつ体と心を外にむかって開いていきます。

しかしその後結婚して子育てをするようになってからも、対価の発生する仕事をしていないことに劣等感を感じたり引け目を感じたりしていたのは、結局のところ、他者の評価(や目に見える対価)を自分の人生の判断軸においていたからかもしれません。(おいていたのは自分自身なので誰も悪くありません。)

はからずも育ってくる過程で培ってしまった、他者の評価によって自分の価値をはかってしまう癖は、なかなか簡単に払拭できるものではありませんでした。

圧倒的な存在感を放つ第三子ハルカ

2015年、第三子であるハルカがたくさんのトラブルを抱えて生まれました。もちろんショックだったし、涙を拭うのに少なくともティッシュ3箱ぐらいは消費しましたが、どこかで少しホッとしている自分もいたのです。

ハルカは、様々なトラブルを抱えつつも、生きる意欲がものすごくありました。あんなにまっすぐに「私は生きる!」という姿勢を、私はこれまでとれてきたのだろうか、という自分への反省とともに、彼女が私の知らない世界を生きることにも圧倒され、驚くべきことに嫉妬のような気持ちも生まれました。そして何よりも愛おしかった。

めんどくさいと思うこともあるのは普通のきょうだいと一緒だが、可愛くて大好きな妹であるのも普通のきょうだいと一緒

こうして彼女は、自分だけではできないことがたくさんあるにも関わらず、我々家族の中で最初から圧倒的な存在感を放っていました。できないことが多いこと、自主的に体を動かしたり表現したりが難しいことは、彼女が存在することとまったく相反しないどころか、むしろそれが故に彼女の存在は大きく、私達にとってなくてはならないものになっていきました。

それは結果的に、いわゆる社会のレールにスムーズにのれなかった自分の人生や、社会的にわかりやすい形で評価されない自分を肯定することにつながったような気がしています。「なんだ、私は別に、私のままでいいんだ」と、肩の力が抜けていくような気がしました。

※とはいえ「〜であるの自分」と「〜があるの自分」のバランスは難しい。詳しくは下記

「意味」の枠からこぼれ落ちてしまったもの

まもなく8歳になるハルカは基本的に自分では何もできないし、言葉によるコミュニケーションもできません。しかしそれ故に、「意味」という枠にとらわれないなにかや、これまで言葉による効率的なコミュニケーションの中に落ち着いてしまってこぼれ落ちていたものが、彼女との関係性の中には見いだせているような気もします。

例えば長男が学校に行きたくないといったとき、ハルカとの関わりがなかったら、もしかしたら彼と二人で旅に出るという選択はしなかったかもしれません。学校に行くことや学校的な何かの中で評価されることにとらわれなかったのは、ハルカとの中で見出してきた様々な「できないこと」の意味や「意味のないこと」の意味(何をいってるんでしょうか…w)を感じていたからだと思います。

旅をしながら一宿一飯の恩義でインドカレーをつくった長男

そうしたものは、ハルカが家族の中に「いた」から感じたことでした。ただそこに「いる」だけで、彼女は実際にはわかりやすい価値を生み出すようなことは何一つしていません。大人になっても、おそらく一般的に言われるような経済的価値を生み出すことは難しいでしょう。

しかし、と、かつての自分を振り返りながら考えます。

経済的な価値を生み出さないと、社会の一員として認めてはもらえないのでしょうか。社会にわかりやすい形で評価されなければ、社会の一員として対等に認識してもらえないのだとしたら、それは本当に豊かな社会といえるのでしょうか

できない人や意味のないものが排除されてしまうことは、自分自身の否定にもつながってしまいます。だってできないことがない人なんていないし、意味のない行為(石拾い、枝拾い、自分ルールで歩行するなど)をしない子供なんてひとりもいませんから・・・!

私達は皆年老います。私自身も、年々体に無理がきかなくなり、否が応でも年齢を意識せざるを得なくなってきていることを実感します。年老いていくということは、できていたことができなくなっていくということでもあります。それでも、年を重ねたからこそ獲得しているものがあるのは紛れもない事実でしょう。

同じように、ハルカのように障害とともに生きている人にも、できないことがたくさんあります。ハルカに限っていえば、ほとんどの生活行為が自分一人ではできません。(その昔PTさんに受けさせられたホニャララの発達テストというのでは、完全なる0点を叩き出しました。あのテストを受ける意味はあったのかはいまだに不明です。)

きょうだいに食べられないせんべいを口に突っ込まれ嫌がるハルカ

老いてできなくなる事が増えるのと引き換えに獲得するものがあるのと同じように、ハルカにはできないことによって獲得しているものが、確実にあるように思うのです。

意味のあることやできることが絶対ではないと言いたい

ところが、どうも現代社会は、意味のあることやできることが無条件に正しく、その枠からはみ出たことを排除する方向に向かっていってしまう傾向にあるようです。(もちろんそうでないことを掲げるかっこいい人も何人か知っていますが!)

だから私は、敢えてできないことや意味のないことを排除しない社会を目指してみたい、と思っています。そして、現代社会のCMO(Chief MUIMI Officer)を勝手に名乗ろうと思います。

小学校でも、学期を終えるたびに、「どんなところが成長したか」という話になりますね。プレゼンや作文でも、「私の成長したこと」が求められます。これでは、なんだかちょっと成長疲れしちゃいそうです。成長していないことを無理やり成長したことにしている人もいそうですね。逆に、成長しなかったこと、できなかったことを発表する機会があってもよいのではないでしょうか。

できないことや意味のないことを認識する機会をつくっていきたいし、それでもよいと感じてほしいし、知ってほしい。時々は、その方がいいこともあったりする。そのために、ハルカがそこに「いる」ような体験を、もっとたくさんの人にしてほしいと思っています。

と同時に、今の資本主義社会のOSの中でそれを実現するために、一旦それらに意味や価値をつけることも、大事なプロセスだとも考えています。

ハルカが指先に筆をつけて描いた作品

というわけで、私はCMOとして、「できないこと」「意味のないこと」を現代社会の中で認めてもらえる形態を模索しながら、若い世代に伝えたり、できないことが多いハルカのような障害児者の生活をより社会に開かれたものにしていく取り組みをやって行こうと思います。

「意味からの開放」や「できてもできなくてもいい」などをテーマにした執筆や発信もやっていきたいと思いますので、思いが重なる方がいらっしゃればぜひお声掛けください。何卒。

ちなみに、最近大好きなポッドキャストでやってたのをきいて、個人的にまずやってみたいって思ってるのはエアー記者会見。

「Zさん、会社辞めたって本当ですか?なんでやめたんですか?」
「Zさん、これから何をやっていく予定ですか?」
「Zさん、ご家族の皆さんの反応はどうですか?」

妄想記者会見楽しすぎる、、、。


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