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ツイステの寮分けよもやま妄想話②ディアソムニア→オクタへの革命

きいろいなにか

こんにちは。ハッピービーンズデー復刻and場外乱闘編配信はじまりましたね。
正直新たな情報が投下されまくって情報がパンクしそうなのと同時にちょうど今書いてる寮分け話をやるのに最適すぎて後々豆の話も付け足さなきゃダメかな?となってます。
今回はそんなちょうど良いタイミングで書くことになってしまったディアソ→オクタへの分岐の話となります。

※ATTENTION

今回は前回のポム→ハーツ→ディアソまでの寮の分岐の経緯の話の続編となります。前のみてないよって方ははこちらをぜひご覧ください

・寮の分かれ③どんな犠牲を払ってでも「新しい世界へ」ディアソムニア→オクタヴィネルへの分かれ道

ここはNRC
はじめはポムフィオーレだけだった寮に規律を求めるハーツラビュル、安寧を求めるディアソムニアと分岐した。
そしてしばらくの間、多少問題はあれど穏やかな時を過ごしていたのであった…。(ここがディズニークラシック→ディズニールネッサンスの別れ目で現実世界だとタイムラグが20年以上ある)
しかしそんな穏やかな時間がいつまでもつづく訳がなくある時、ディアソニアで起きた変化を皮切りにNRCは波乱に満ち溢れていく。

さて、ディアソムニアは出来た当初ハーツラビュルの規範になじめす、ポムフィオーレのポリシーにも馴染めなかった言わば「異端児達」が集まった寮であった。
彼らは自身が異端であることに誇りを持ち、自身の得意分野で果たすべく役割を果たすことで寮に恩恵をもたらしていき、欠点に対しては互いにとやかく言わず補い合う。
そんな実写映画マレフィセントの妖精の谷のような循環社会、ノーブレスオブリージュの息づく高尚な世界を作り上げた。

しかし、NRCに受け入れられる人数が増え輝石の国、薔薇の国に限らず珊瑚の海や夕焼けの草原、熱砂の国から人が受け入れられはじめ、グローバル化した時代背景もあったのだろう。ディアソムニアに受け入れられた異端児達の中である考えを持つ子が増え始めた。

「どんな犠牲を払ってもいい。異端ではなくただ普通の人間として、新しい世界へ歩んでいきたい。」

・相対する価値観。眠りの森の美女とリトルマーメイドからみる「才能」の在り方の変異

西洋では才能のことを「神からの贈り物(ギフテッド)」と呼ぶというのを聞いたことがある方は多いいのではないだろうか?
じつは「眠りの森の美女」と「リトルマーメイド」は時代背景の違いもあるのだろうこの「ギフト」の取り扱われ方が正反対なのだ。

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「眠りの森の美女」で主人公であるオーロラ姫は神に近しい妖精たちから「美しさ」と「美しい歌声」というギフテット…いわば自身の「才能」をもらっており。王子は彼女の歌声に興味を惹かれ彼女を好きになる。そんな物語である。

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しかし、「リトルマイメード」のアリエルはなんと王子と添い遂げるために自身の強みである「歌声」や「美しい尾びれ」を犠牲にし、足を得て人間になるのだ。
さらに原典である「人魚姫」では歩くたびにナイフで突き刺されるような痛みにさいなまれるという。
そういった正直苦行でしかないかもしれない。原典では人魚姫が泡になるようにその努力が報われないかもしれない。
それでもなお今いる自分の世界からの脱却を図り、「新しい世界」を目指し、「自由」を目指し歩みを止めない話なのだ。

さて、このように自前の「特技」ないし誇りとなる「才能」を投げ捨てる選択肢を取ってでもなお「社会に溶け込みたい」と考え、社会に溶け込むために自分の苦手な分野にも取り組むもうと尋常じゃない努力で立ち向かおうとする人間がディアソムニアから出てくる。

するとどうなるか。

ぶっちゃけいってやろう「革命がおきる。」

おそらくここの寮の別れは今までのような「住み分けしていこ」なんて感覚でぜったい話がすまない。

なぜなら革新は双方傷つけあってしまうものなのでそれこそトリトン王が彼女の外界への興味の現れそのものである秘密基地を壊すみたいなことも起きるし、アリエルの帰る気のないガチの家出みたいなことも起きる。
分かり合えないからね。もう双方の根本価値観が違いすぎて話し合いにならないから戦うしかなくなるんです。

・結論「ペンギンが空を飛べるかどうか頑張ってみないと分からないじゃない」

かくして「俺たちペンギンなので海のなかで暮らしたほうが良いじゃん」派がディアソムニア寮に戻り、「俺たちペンギンだけど空飛んで他の鳥達の仲間ななる」派がオクタヴィネルとして分かれたのであった…なおペンギンが空を飛ぶ手法は飛行機を作るでもいいし。空飛ぶ乗り物に乗る権利を得るでもいい。サンシャイン水族館みたいな飛び方もあるかもしれない。方法はさまざまだが社会適応のために個々人の無理難題に取り組もうとする姿勢が大事。

まさに改革ディズニールネッサンス時代への皮切りになった「リトルマーメイド」をベースにしているだけあってのテーマですね。

それこそ貴族社会がフランス革命を側切りに民主主義へ移行したように。

日本でも武家社会が終焉し数々の内戦の後明治維新へ繋がったように。

自分を貫く闘いの末に「自身の弱点を克服しようと邁進し、克服しようとしている相手を真摯に応援する「慈悲」をモットーとしたオクタヴィネル寮が出来上がったんじゃなかろうか。

ちなみにこの話はディアソムニアを貶してる話ではありません。得意分野で役割を見つけて居場所を見つけることは良いことだし合理的です。
ペンギンが空飛ぶって例えの時点でオクタヴィネルがやってることがめちゃくちゃ非効率なのも事実なんです。
アズールvsサイコロあたりいい代表例なんじゃないかな?

つまり、これはどちらがいい悪いの話ではないんです。あくまで個人個人がどういう思想で動くか思想の違いであることを忘れないようお願いします。

補足「いやペンギンだったら水中で速く泳げる努力した方がいいじゃん」

ディアソムニア側の話を補足。
彼らは初めから弱点の克服を放棄してるわけではないのです。
色々自分なりの努力を重ねた後にに(いや弱点のために割く力非効率だなぁ)とか(能力の凸凹が強くて上手く克服できない)とか(どう克服したらいいか分からない。我流には限界があった)(他人に聞いてもうまく咀嚼出来なかった)とか色々経た末に(分かってくれる人だけ分かり合えあえたらいい。)という形に至る→海のペンギンであることを選んでます。
というよりペンギンが空を飛ぼうとした時に飛ぶために割くリソースの膨大さを考えたら自分の元来の強みである水中で早く泳ぐ努力して沢山魚を捕まえた方が社会に貢献できるし生きやすいじゃん!?
って言う努力の方向に至るのがディアソムニアです。互いの弱みを受け入れ強みをのばす努力をする。お前は家作りをやって!代わりに俺はお前の分も魚取りをするな!ってやつ。つまりは努力する方向性が違うって言う話ですね。
自身の思考及び能力には限界があり、他者の意見を受け取る領域にも限界があるので歳を経れば経るほどこの視点になりやすくなります。
オクタヴィネルは主人公のアリエル同様「少し夢みがち」なのです。

さて、ディアソとオクタ、お互い強みと弱みの凸凹がめちゃくちゃ強い生き物同士分かり合えそうに見えて
オクタヴィネル側からすると「なんで広い社会に合わせて弱みの克服をしないのこの人たち??」となりディアソムニア側からすると「強みを捨ててまで社会に合わせようとするより強みを生かして社会に貢献して受け入れてもらおうや」となりつづけいたちごっことなります。難しいね。

次回寮の別れ④「法を欲しがる者は法に守られていた者である」サバナクロー編の予定。
ん?順番的にスカラビアはどうした?ってなりますね…多分ここは前後した方が話がわかりやすいと思ってな…


・おまけ

実はこのオクタとディアソのよもやま練ってて面白い仮説に至ったんですよ…

よければぜひ!

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きいろいなにか
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