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結局愛されたいんじゃん


3年前の日記を読んだ。

「楽しい事をたくさんしたい」

今と言ってる事が変わってないな。


振り返ってどう?

人生は良くなった?

何かわかった?

何かかわった?


自分にワガママになったな。と思う。

自分の理想を追えば追うほど、

俺の求めているものは子供のような欲求ばかりで

スヤスヤ眠りたい

貝や木の実を拾いたい

きれいなお花を眺めたい

図鑑で見たものを生で見たい

からあげが食べたい

なんてものばかりだった。


大人になれてない。

いや、

大人になって、

子供の頃の夢を実現できる力を入手できたからなのかもしれない。

大人になれたから子供になっているんだ。

これは喜ぶべき事なんだと思う。


大人になれているだろ。

自立できてる。

労働して、自分の稼ぎで全て賄っている。

問題を自分で解決できる。

食事も、納税も、移動も、購入も、計画も、

全部できている。

出来ているのに。


はっきりしない。

何がそんなに不満なんだ。

今自分の何がそんなに気に入らない?

ずっと所在不明の消化不良がある。

食あたりの心あたりがわからない。

わからんから対処のしようがない。

雲に殴られている気分。


努力してきた。

人生の意味を決めて進んだ。

将来のタイムテーブルも立てた。

自分の話が出来る場所も作った

やりたい事だってやっている。

自分の扱い方だって上手くなってきた。


何がまだ足りないのか。

完全になれていない。

どこかに穴が空いてる。

隙間風が吹いてる。


ほんとはわかってる。

実物の人間から愛されたい。

デジタル変換されてない人間の暖かさに触れたい


気付いてた。

やりたい事リストをどんどん書いている時、

公園でバトミントンがしたい

ベランダで野菜を作って一緒に料理したい

美味しいお茶を淹れてあげたい

プレゼントをあげたい


全部ひとりじゃ出来ないことだ。

喧嘩だってひとりじゃできない。

完全に盲点だった。

自分を満たせば満たすほど痛いほど明確になった。

嬉しい事をしているのに虚しい気分だったのはこれだ。


ひとりで生きていくから。

ひとりで生きていけるから。

ひとりでも楽しいから。

そうやって意地になっていた。

ひとりは寂しい。

ひとりになってみてわかった。

何事も体験しないと納得しない性格だ。


無力感。

ひとりで気ままにしたい事をするという理想を突き詰め過ぎて、

足に絡む草を振りほどいたら、

ひとりの俺だけが残った。


憧れから始まったんだ。

ひとりで逞しく人生を謳歌する人間を。

美しいと思った。

かっこいいって思った。

だから自分も真似した。


また間違えた。

その度に学んできた。

もういいよ。

もう十分自分の事は学んだ。

もう掘り下げる場所はない。

そこら中が穴だらけだ。

自分を理解したいと沢山掘った穴は、

自分を取り囲むようにしてできた落とし穴になった。

これ以上掘ってしまうと地盤沈下してしまう。

まさに墓穴を掘ってしまった。


自分の内側を掘削する事はしばらくいい。

外へ出て行かないと。


悲しいな。

どこから手を付ければいいんだ。

どこからやり直せばいいんだ。

もうやり直さない。

過去を抱えたり、背負いこんだり、引きずったり

そんな事はしない。

過去を振り返ることも、覚えることもしない。

過去なんて過ぎるだけでいい。


もっと人間と交流をしたい。

少しずつ少しずつ、

無理のない範囲で領土を広げて、

来年は少しづつ社会に慣れたい。

ひとりでしたい事も、

誰かと一緒にしたい事も、

めげずに求めて行って、

一段深い部分の“嬉しさの追求”に挑戦する。





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