怒りや不満はエンタメではないよなぁ

どうも皆様ごきげんよう。
ちょっと疲れちゃうよね。
嵩音ルイです。

定期的に波というか、そういう満ち引きがSNSやインターネットにはあるよなぁとなんとなく認識しておりまして。

連休中でいろんな人が世に放たれたせいなのでしょうが、ぼくのTwitterも色々刺々しいツイートがたまーにTLに流れてくる。

そしてそういうツイートというのは、得てして似たような刺々しいツイートというものを引っ張ってきてしまう。どうしてもね。
Amazonで家電を買ったらおすすめ欄が全部家電生活用品になって趣味のものが消え失せたりするアレです。

そしてTLがそうなって改めて心に思うのは、人の怒りや不満やその他諸々の過激な感情をエンタメとして享受することの危険性について。

ネガティブな感情というのは、わりと共感を得やすいものではあると思ってるんです。
だからこそ人は悪口で盛り上がるし、怒りの元に徒党を組んで理不尽に立ち向かうわけで。

ただ共感を得やすいものであるからこそ、自分の心や感情への揺り戻しみたいなものは大小あれどやっぱり「来る」んですよね。

果たして目の前の理不尽なツイートに関して、覚えている感情というものは果たして僕の本心なのか。それともただそう感じさせられているだけのものなのか。

けどやっぱり、それが本当に正しいのかと言われれば僕は心の底から首を縦に振れない気がするんです。

ネガティブな感情を覚えたときに、それを溜め込んで爆発してしまうくらいならいっそ何処かへ吐き出した方がいいとは思ってます。それはそう。
けど、それを爆弾にして他人に投げつけるのは違うのではなくて?というね。

例え誰かが褒められたものではないことをしていたとして、果たしてその人に人格攻撃や悪口誹謗中傷をぶつけることが本当に「正しい」と心から思ってます?本当に?

批判と批評と誹謗は違うものだからな?
わかってるか?
他人はお前の憤懣を晴らして気持ち良くしてくれるサンドバッグじゃないからな?

……とまぁ、そういう人たちを普遍的に批判する文を書くことを「お前だってサンドバッグにしてんじゃねえか」と言われてしまえばそれだけの話なんですけども。

表立って言いにくいことって世の中にいくつもありますが、振り返ってみるとこうやって荒れ狂う人たちと一緒になりたくなくて敬遠してるコンテンツもあるなぁ、と。

どうしようもない理不尽に遭った時はやるせなさに襲われてしまうものですが、それで他人を無差別に攻撃してしまうような人にはなりたくないな、と改めて思います。

もうそうなっちゃってる人たちは今更どうしようもないので、自衛していくしかないんだろうなぁと。
好き勝手やってる人たちのせいでこっちがなんかしなきゃいけないの、腹立ちますけどね。

インターネットは用法容量を守った上で正しく使いましょう。的な。

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