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風船に手紙を括り付けたあの日

 90年代、まだインターネットが普及していなかった頃の話。
当時まだ幼い子供だった私は、アニメか絵本だかで、ヘリウム入りの浮かぶ風船に手紙を括り付けて、見知らぬ誰かに届けるという物を見た。子供の行動範囲といえば、家と学校、あとは友達の家ぐらいなので、これを試せば見知らぬ誰かと文通が出来るんじゃないかという淡い期待を抱いていた。

 休日のとある日、親に連れられ出かけた先で浮かぶ風船を貰った。これでいよいよ道具は揃った。一応、両親に了承を得て、簡単な連絡先を書いた紙を括り付け、当時住んでいた団地の5階のベランダから放った。風船は強く吹く風に乗って、どこか遠くへ飛び去っていった。

当たり前の事だが、それからいくら待っても返事が来る事は無かった。そんな事も忘れて何年か経った時、学校の先生が手紙を風船に括り付ける話をしだしたので、やった事があると言うとクラスの皆から笑われた。「返事なんで来る訳ねぇじゃん。バカじゃねぇの」と。とても悲しくなった。何故やった事も無いのに、そう言い切れるんだろうと、当時の私は思った。

それから時が経ち、今や見知らぬ誰かとやりとりをするのは当たり前の光景になった。インターネットにより世の中が便利になり、もはや人類にとって必需品となった。しかし、ある時ふと思うのだ。インターネットの無かった時代に戻りたい、と。

 おそらく今生きている30代より上の世代は、インターネットが無かった世界を知る最後の人類なのだろう。あの頃は間違いなく世界がゆっくり進んでいた。今と違って不便な事もたくさんあるが、不便さの中に小さな喜びや楽しみを感じられる瞬間があったように思う。風船に手紙を括り付けた、あの頃の私のように。

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