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ラジヲの時間

ラジオを聴いていると
リスナーからのリクエスト曲で
当局の音源はレコードしか存在しませんでした…という前振りでアナログ音源の曲がかかることがあります。

それが当時のヒット曲だったりすると
「いやぁ~この曲、当時はレコードがすり切れるまで聴いてました」
とパーソナリティの弁。
それも良く聞かれる。

どの程度まで聴けば
「すり切れ」なのか
五劫のすりきれか? (違)

何度も針が溝を走るわけだから
お祭りの出店の型抜きみたいなことになるであろう。

でも細かく長い溝だから
紐のようになってしまいます。
いやさて
裏にも溝があるから
バラけてフレークになるでなかろうか。

余計な心配はここらにして
CD以降の世代としては
この表現を
どう例えれば良いだろう。

CDは焼き込まれてるわけだから
「焼き目が潰れるまで聴いた」
が適切であろう。(どこがw)

さすれば
ダウンロードデータの場合
どう表現すれば良きことか。

すり切れることなどあらなむ
実体なきもの故
筆舌し難きことこの上なし
よもや霊魂のごとしではあるまいか?


かくして
データの場合は
「成仏するまで聴いた」
と、あいなりました。

国語審議会で採用された場合
発案者はあたしですからw
あしからず

話は
放物線を描いてそれますが
私もレコードを何枚か持っています。
ほとんどジャケ惚れで買いました。
プレイヤーがないので聞けませんが
レコード盤を取り出して
香りを嗅ぐことがあります。
特にLP盤ですね。
なんだかときめく香りなのです。

レコードとしての
存在意義が非常に危ぶまれますが
聴かずとも
ズーッと持っていることでしょう。

盤の細かな傷跡をなぞって
音や心を再現するのが
なんだか不思議です。

私の傷は
何を語るかな
ほとんど猫の記憶でしょう。

猫が私の記憶を再生することも
あるかもしれません。

ニャンニャン(=^_^=)